寂しさの終わり
最後の客が帰り、グラスや皿をのせたトレイを若い娘が運んでくる。
「後かたづけは私がやるから、もう帰って良いわよ」
と、ティファが声をかけると、娘はありがとうございます、と礼を言い、キッチンの隅に置いてあったバッグを手に取る。
「それじゃ、また明日」
「はい。おやすみなさい」
娘はそう言っていそいそと電話を取り出す。家で待っている夫に迎えを頼むためだ。
そう――娘はとっくに結婚していて、小さな子供もいるのだ。
ティファは母親の顔も持つ若い娘をため息をつきつつ眺めた。
確か、今年で20才だと言っていた。
まだ20才なのに、立派な家庭を築くことが出来たのね。
ティファはひっそりと思う。自分が20才だった頃は、それどころではなかった。
神羅を潰すため、そしてセフィロスを倒すための戦いの真っ最中だったのだから。
もっとも、今更そんな事を言っても仕方がない。
今のティファはもう25才になる。
若い娘とは言い張れない、一人前の大人の女の歳だ。
同年代の若い夫と仲良く帰っていく手伝いの娘を見送り、ティファは力無くドアを閉めて手近な椅子に腰を下ろした。
店の中はしんとしている。2階の住居部分からも物音一つしない。
半月ほど前に、バレットがマリンと一緒に暮らすからと迎えに来たからだ。
デンゼルもバレットと共に行った。
今バレットは、元炭坑夫だったという仲間を集め、新しいエネルギー開発に忙しい。
数年前に見つけた油田は質が良く、さほど加工しなくてもエネルギーとして使えるということで、その周りに人が集まり始めて小さな村のようになっているという。
バレットはそこに家を建てた。
今度こそ、住み良い、良い町を作るのだと、そう言っていた。
デンゼルがなぜバレットと一緒に行くと言い出したのか、ティファには判らない。
『今の暮らしに不満があるの?』
思わずそう訊いてしまったティファに、デンゼルは困った顔で下を向いてしまった。
気を使っているのなら、そんな必要はないのよ――そう言うティファに、バレットはちょっと話があるからと場を移すよう促し、そして二人きりになってから言った。
『ティファ。お前は自分の家族を作るんだ。良い亭主を見つけて、子を産んで育てろ。今のお前にはそれが必要だ』
なぜ突然そんな事を言い出すのか、ティファにはまったく判らなかった。
ティファはマリンもデンゼルも、家族だと思っていた。
私の大切な家族。
なぜ、そのままでいてはいけないのだろう。
でもバレットは何度も繰り返し言った。
『お前は、自分の家族を作るんだ』
納得できないティファを残し、3人は出ていった。
連絡をくれれば、いつでも駆けつける。離れて暮らしていても、家族だからと、そう言って。
それならば、なぜ一緒にいては行けないのか。
ティファには判らない。
なぜ、みんなに見捨てられるのか――まったく判らなかった。
ティファは1人椅子に座り、カウンターに肘をついてそこに顎をのせた。
ため息が出る。
つけっぱなしのラジオからは、最近人気だという若い女性歌手のラブソングが流れている。
『私の愛を見つけて。私の愛は永遠よ。あなたと暮らして、ここに幸せを築いていくの』
ぼんやりと歌詞を聴きながら、ティファはまたため息をついた。
ティファは家族が欲しかった。
ニブルヘイムがまだあって、両親が生きていて、なんの不安もなく幸せだったあの頃を取り戻したかった。取り戻せると思っていた。
あの戦いのあと、ここでクラウドとマリンとデンゼルと『家族』として暮らしていた。
多少ぎくしゃくすることはあっても、月日が経てば、昔の両親のようにクラウドともなれると思っていた。あの頃の両親が子供だった私にしてくれたように、いろんな事をマリンとデンゼルにもしてあげられると信じていた。
でも、今は誰もいない。
何がいけなかったのだろうと、ティファは思う。
私は精一杯家族を愛して守ろうと思っていただけなのに、なぜ、上手くいかなかったの?
クラウドはちょっとぶっきらぼうだったけど、強くて優しかった。知らないことも沢山あったけど、私が教えると、一生懸命覚えようとしてくれた。
ずっと一緒にやっていけると思っていたのに、なぜ?
ティファは店から2階に続く階段の方を見た。
昔は、あの2階にみんなで住んでいたのに。
どうして、今は誰もいないの?
家族としてずっと一緒に暮らそうと思っていたのは、私の独りよがりに過ぎなかったのかしら――。
何気なく目を向けたカウンターの
端に一冊の本が置いてある。
紙も装丁もかなり安っぽくて、ページ数もあまり無い。
常連客が自費で出したという写真集だ。
ぜひ一冊、と請われ、付き合いで買った。中は、彼があちこちを旅して、メテオ災害のあとの復興の様子を写した物だという。
神羅が無くなり、地方の生活水準はあっと言う間に後退した。
昔のように井戸から水をくみ、薪を燃料にする町が増えた。
生活は目に見えて不便になったのに――『人はたくましくなっているよ』
そう、男は言った。
男も女も伴侶を求め、親を守り、子供を守り、ずっと家族の結びつきが強くなった。
年寄りの知恵が尊ばれ、人々は自然を敬うことを思い出した。
星と共に行きようとする意識の高まった人々は、都会よりもずっと生き生きしているよ。
男はそう考え、各地の写真を一冊の本にしたのだという。
都会の中途半端に便利な暮らしの中で、不満だらけで生きている人たちに見て欲しいと。
不満なんかないわよ、とティファは思う。
人に説教される覚えもないわよ。
だって、星を守るために戦ったのは、私たちなんだもの。
私は必死に、一生懸命頑張った。
間違ったこともしたけど、今はそれを償いたいと頑張っている。
でも――どうして、今、私はこんなに寂しいのかしら。
ティファは興味など全くない目で頁をめくった。
雪に覆われたアイシクルロッジ。僅かに見える青空の下で、たくましい体つきの北国の女達が大きな荷物を抱えて笑っている。
名前も知らない小さな村で、町で、いろんな人たちが生きている。
中には疲れた顔で軒先に座り込んでいる人もいる。
キャプションには『彼はかつて魔晄中毒で廃人同様になっていた。神羅から実家に戻され、両親と兄弟達に献身的に看護され、この数年で劇的に快復した。まだ疲れやすく、一人前に働くのは無理だという。だが、それでも希望は見えている』と書かれている。
――希望。
昔は、クラウドが希望だった。
あの戦いの中、クラウドがいてくれれば、どんな恐ろしい敵でも戦えると信じていた。
クラウドは――どうだったのかしら。
私はクラウドの希望になれていた?
クラウドがエアリスに惹かれていたことは知っていた。彼女が死んでしまった後も、エアリスが残してくれた希望を追って、クラウドは戦い続けていた。
でも、私だってエアリスのことが大好きだった。彼女の残してくれた思いを抱いて戦っていた。
クラウドと同じ想いだと信じていた。
私たちは、分かり合えたんだって信じていた。
クラウドは私に優しかった。
記憶を取り戻したあとは、それまでよりもずっと優しかった。
いつでも私を力づけようとしてくれていた。
私は、クラウドの戦う理由になれていたと思っていた。
それは、勘違いだったのかしら。
ティファは心ここにあらずといった体で頁をめくり続ける。
どこかの冬の祭りの写真がある。
古い伝統の祭りを復活させたものだとある。
冬の冷えた星に、聖木を燃やした熱を捧げ、一年の恵みの感謝と来年の恵みへの期待を願うのだという。
薄暗い広場には多くのランプが吊され、中央の巨大煙突からは太い煙が天に向かって上がっている。
純朴そうな町の人たちが、その周りで祭りを楽しんでいる様子が写っていた。
ぼんやりとその楽しそうな写真を眺めていたティファは、ある一点で息をのんだ。
頁の下の方にある小さめの写真の中央辺り、人混みの中で後ろ姿でもひときわ目立つ男がいる。
長身の黒っぽいコートの背中に長い腰までもある白い――おそらく銀髪をたらした男。
――セフィロス!
そう緊張感に全身をこわばらせたティファは、すぐに力を抜いた。
バカね、私。こんな所に、セフィロスがいるわけないじゃない。
だって、この人、子どもと手を繋いでいる。白っぽいから、多分この人と同じ銀髪ね。この人が長身だから小さく見えるけど、きっとマリンより少し幼いくらいだわ。
どう見たって、この人の子どもだわ。セフィロスが子どもと手を繋ぐなんて事、あるわけないじゃないの。
ティファは自分を笑いながら、じっくりと写真を見つめた。
この子、隣の子と手を繋いでる。兄弟かしら?こっちの子は金髪?背格好が似てるわ。
双子ちゃんかしら。顔が見えればいいのに。
金髪ちゃんは、――あら、反対側の手を繋いでるこっちの人、きっとお母さんね。
古風なブラウスにスカート。金髪がこの子と同じ色だから、じゃあ、この銀髪の人の奥さんなのかしら?すらっとしてきれいな人ね。あんまりはっきりした写真じゃないけど、横顔の輪郭がすごく整ってる。
肌も真っ白。灯りのせいとかじゃないわよね。いくつくらいかしら、私と同じ歳くらい?
それで、もうこのくらいの歳の子どもが2人もいるのね。
そうね――私もそういう歳なのね。子どもが2人いたって全然おかしくないくらい。
私、何やってるのかしら。
写真に写る女性の顔を指でなぞっていたティファは、ふと心に何かが引っ掛かったような気がした。
私、この人知ってる?なんだか、見たことがあるような気がする。
どこだったかしら?
金髪。白い肌。大きな眼。繊細な鼻から顎。優しそうな口元。
どこだったかしら――クラウド?
ティファははっとなって息を詰め、写真を凝視した。
そのままじっと睨み付けるように写真を見つめたあと、不意に声を上げて笑い出した。
ほんと、私、何をやってるのかしら。
クラウドが女性の服を着て、セフィロスと一緒にいるって言いたいの?
子ども2人と手を繋いで、幸せそうに微笑んでいるとでも?
バカみたいだわ。
ひとしきり笑ってから、ティファは思わず声に出して呟いた。
「私、これからもこうやって生きるの?ちょっと似た人を見つけると、セフィロスだクラウドだって言って緊張して神経すり減らして。他の女性はしっかり旦那様見つけて子どもを産んでいるって言うときに、いつまで幻想を追いかけるの?」
無意識に涙がにじむ。ティファはそれを乱暴に拭った。
「そんなの嫌よ……。ほんとバカみたい。私が一番、過去を引きずってる。きっとバレットはそれを言いたかったのね。いつまでも、居なくなったクラウドを待ちながら、壊れた家族ごっこ続けるの止めなさいって。ちゃんと、自分で最初から家族を作りなさいって」
薄々は気がついていたのだ。でも、自分で認めたくなかった。
自分が、昔の、自分が一番幸せだった頃の家庭を再現しようとしていたなんて。
強くてリーダーシップがあって妻と娘を一番に考えていた父。
優しくて、家族のことならなんでも知っている母。
そんな2人にいつでも守られていた娘。
私は、その父の役目をクラウドに、母の役割を自分に、そして娘の役割をマリンとデンゼルに当てはめようとしていた。
クラウドは父を、マリンは母を知らない。そして、デンゼルにとっての両親は、亡くなった本当の両親だけ。
みんな全然違う育ち方をしているのに、私はそれを自分の理想だけに当てはめようとしていた。
クラウドが戸惑って、私たちをもてあますのは当然だ。
きっと彼は、自分が「父親」の役割を求められているなんて、考えていなかったに違いない。
そんなクラウドに、私は、自分が思うとおりの行動をしてくれないと不満に思っていた。
彼だっていろんな事があって、一杯一杯だったはずなのに。
バレットもクラウドも、私には何も話してくれなかった。
当たり前だわ、話せるはずがない。
だって私は多分、自分が望む以外の結論は受け入れられなかったから。
彼らの苦しみを見てみない振りをした。
自分の痛みを癒すのに精一杯で、考えてあげられなかったから。
ソルジャーになりたいって言ったクラウドにヒーローの役を当てはめ、自分をヒーローに助けられるヒロインに見立てて喜んでいた子供の頃と一緒。
あの頃のまま。
ティファは嗚咽を堪え、天井を仰いだ。
小さなライトが不安定に明滅している。急速に建物が増え、遅くまで営業している店も増えて、電力が不足気味なのだ。
「……ランプの灯りの方が、キレイかもね」
立ち上がると、一つを残して店内の灯りを消した。
たった一つのライトは落ち着いた暖かみのあるオレンジに輝いている。
「決めた。私、もうクラウドの事なんて待たない」
そう声に出して言うと、急に気分が軽くなったような気がした。
「あんなどこに行っちゃうか判らない風来坊なんて、もう待たないわ。私は、私を一番に愛してくれる人と恋をして、子供を産むの。たくさん産んで、笑って、賑やかで幸せな家庭を作るわ。いつかクラウドが戻ってきたとき、ほったらかしにして失敗したーーって後悔するくらい、幸せで素敵な家を造るの。そして、デンゼルやマリンも招待して、バレットも入れて、賑やかに生きる。こんな所で1人でぽつんと寂しく夜を過ごすような女じゃないわ、私は」
半分以上強がりなセリフを、ティファは声を出して自分に言い聞かせる。
「人に甘えて幸せにして貰わなくたって、自分で幸せになれる力があるはずだわ、私。私は健康で、美人で、お料理も上手で魅力的な女だもの。そんな私の魅力に気がつかない朴念仁なんて、こっちからお断りしてやればいいのよ」
勢いよく言って、ティファは頷く。
「そうよ、めそめそするのは終わり!だって私は、かつては星を救う旅で、あのセフィロスとも戦った女だもの。いつまでもうじうじと過去を懐かしむような、そんな情けない女であるはずがないわ!」
そう、もう終わり。
1人で寂しがるのは、もう終わり。
きっぱりと心を決め、さっきまでの萎れた様子とうって変わったきびきびとした歩き方で、ティファはドアに向かう。
さ、戸締まりをして、ちゃんと後片づけをして、あしたも店を開けなきゃ。
この魅力的な私の出す料理とお酒を楽しみにしている常連さんが山と居るんだもの。
不景気な顔なんて見せられない。
そう考えてカギを掛けようとしたところで、ティファはドアの向こうの気配に気付いた。
それは気配を潜め、こっちの様子を窺っているように感じる。
――良い度胸じゃないの。女1人だと思って、強盗でもするつもり?
冗談じゃないわ、久しぶりの私の必殺技、見せてやろうじゃないの。
この私の美脚に蹴られて、ありがたく天国にお行きなさい。
不敵に笑うと、ティファは腰を落し、すぐに動ける姿勢をとると、勢いよくドアを開けた。
それに驚いたのか、ドアの影で子様子を窺っていた人物は、急いで後方に飛び退いた。
あら、なかなか良い動きじゃない。
でも、私の敵じゃないわ。
ぱっと外に飛び出したところで、ティファは街灯の下にいる男に気がついた。
夜だというのにサングラス着用の、スキンヘッドの大男。
いつもはどっしりとした雰囲気の男が、泡を食ったような顔でへっぴり腰で立っている。
「……何してるの?」
ティファは気勢がそがれ、力の抜けた声を出した。
「ドアの影でコソコソしてるから、蹴り飛ばしてやろうかと思ったわ。何か悪いことでも企んでいたの?」
腰に手を当てて睨み付けると、ルードはずれてもいないサングラスをなおしながら、しどろもどろで言った。
「……い、いや……閉店に間に合うかと思ったが……いつも時間が合わなくて…」
「なに?お客さんとしてきたの?タークスにツケは認めないわよ」
「いや、ツケは無しだ……現金払いする」
つけつけとした素っ気ない物言いに生真面目に返す大男に、ティファは吹き出した。
「現金は嬉しいけど、あいにく、今日はもう終わりなのよ」
「ああ、わかってる……から、その……帰る」
不器用そうに言って振り返るルードは、後ろに両手を組んでいた。そして、その手になぜか花束を持っていた。
「何、それ。誰かにプロポーズする予定だったの?」
ティファが本気で不思議そうに訊くと、大男は頭まで真っ赤になってぱっと振り向いた。
そして自分の手に持っていた花束を目にし、しまった、という顔をする。
その狼狽えた様子がおかしくて、ティファは腕組みをしてからかうように言った。
「はーん……プロポーズしてふられて、それでやけ酒飲めるところ探してたのね」
「い、いや、そうではなくて」
あたふたとする大男の言い分を無視し、ティファはにまっと笑うとドアノブに手を掛けた。
「私、これからまだする事があるのよ。洗い物もあるし、ゴミも出さなきゃないし」
「あ、ああ…判ってる」
大男はいちいち生真面目に応える。すっかり余裕が出てきたティファは、鷹揚に言った。
「だからね、後かたづけ、手伝ってくれるなら、一杯だけ奢ってあげる。ただし、愚痴は聞かないからそのつもりで」
「…ああ、…感謝する」
大男の顔がぱっと明るくなった。笑って手招きしながら、ティファは先に店の中へ入っていく。
足早にやってきたルードは、真っ赤な顔で手にした花束を差し出した。
「なに?行き場を無くした可哀想な花束、もらってやってくれって事?」
「いや、そうではなくて……」
口ごもる大男を無視して、ティファは両手で花束を受け取った。
「まあ、良いわ。この辺じゃ、まだ、花は珍しいし。せっかくの綺麗な花、その辺に捨てられちゃ可哀想。私が大事に飾ってあげる」
「ぜひ、そうしてくれ!」
勢い込んで言う大男に、ティファは笑いかけた。
「黄色も綺麗だけど、私、ピンクの花も好きよ」
「ならば、次はピンクの花を探してくる!」
大男は真剣な顔で、真摯な声でそう約束する。
ティファは花束の香りを楽しみながら、くすりと笑った。
そして大男のために、とっておきの酒を選んでやろうとカウンターに入った。
ラジオからは甘いラブソング。
大男は大きな体を緊張気味にこわばらせ、ちんまりと椅子に座っている。
酒を注いだグラスを二つと簡単な料理を盛りつけた皿をトレイにのせ、ティファは曲にあわせて歌を口ずさむ。
優しい甘いラブソング。
『私は独りぼっちじゃないでしょ?だって、あなたが約束したから。小さな赤い屋根の家で、子猫を一緒に育てるの。信じてるわ、約束。一緒に海に行きましょう。そして浜辺を並んで歩くのよ』
私は大丈夫。1人で寂しがるのはもう終わり。
だって私は、強くて魅力的な最高の女なんだから。
強がりだって、空元気だって、100回口に出して言えば本当になる。
大丈夫って100回言い終わる頃には、きっとちゃんと恋が出来るようになってるわ。