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「ダンナーー、サインくれ、サイン」
今日も今日とて、ザックスはセフィロスの執務室へサイン欲しさにやってくる。
「始末書のか?」
「残念、まともな報告書」
「……2ヶ月前に提出期限が来ている報告書のどこがまともだ…」
セフィロスは呟くと、それでもすぐに書類にサインを入れた。
「直接、本社に持っていけ。事務局の連中にこれ以上借りを作りたくなければな」
「へーい」
「まともな返事はできんのか」
「変態ロリコン」
ぼそっと一言、ザックスは言う。セフィロスは無表情にザックスを見た。
「ロリコンとは、女児愛好者を指す言葉だと思ったが?」
「変態は否定しないんだな」
「何が言いたい?」
セフィロスの目が剣呑に光るが、ザックスは飄々とした顔のままだ。
「別に?クラウドと上手くいってんのかと思ってさ」
「本人を見ていてわからんのか?」
「見て簡単に分かるようなら、あんたらが出来た時に気がついてるだろ」
セフィロスはザックスの本心を探るように見た。
怒っているのとも、呆れているのとも違うようだ。
「随分、こだわるな」
「そりゃ、こだわるだろ。オオカミの群から救出したつもりが、避難させた場所がベヒモスの巣だったって分かったらさ。責任感じるのは当然だろ」
セフィロスは低く息をつく。子供相手の趣味はないと思っていた信用を裏切ったのだから、当分、嫌みを言われそうだ。
無言で頬杖をついているセフィロスを、ザックスは腕組みして見下ろした。
「言われっぱなしで、怒んないのな」
「別に。オレとしては、この間のお前の乱入はむしろタイミングが良かった。感謝しているくらいだからな」
しゃあしゃあと言われ、ザックスは複雑な顔になった。
「感謝?」
「おかげでクラウドの本音が分かった。あれがどういうつもりでいるのか今ひとつ計りかねていたが、これで今後の対応がしやすくなる」
「……なんだよ、それ」
ザックスは机に手をつくと、セフィロスの顔を覗き込むように身を乗り出した。
セフィロスは口持ちに笑みを浮かべている。楽しそうだ。
「……あれが、オレに父親を見ているのは分かっていた。それがオレ限定なのか、それとも、年上の男全てに対してなのか、それが分からなかった」
「あんた、クラウドのパパ?」
くくっと、セフィロスは含み笑いをする。
「オレ限定だ。それなら、オレは保護者の役目も引き受けながら、あれが大人になって親離れするのを待てばいい」
「親離れしたら、あんたから離れていっちゃうじゃん。もしかして、あんた…」
ザックスは顔をこわばらせた。
「そうやって、自然消滅狙ってる?」
「誰がそんなことを言った、このゴンガガゴリラは」
「……ゴリラって……あーた、それは酷いんじゃない?」
ザックスは指さしして喚く。それをさらっと無視して、セフィロスは続ける。
「消滅などさせる気はない。大人になるまでの間に、じっくり口説いて意識を変えさせるだけだ」
「じっくりって、ねえ……交渉じゃないんだからさ」
「交渉みたいなものだ。お前が言うとおり、あれは言いたいことを引っ込めて本音を隠す癖があるからな。焦って事を性急に進めれば、あっさりと身を引いてしまうのも、この間のことで分かった。時間をかけて、信用させるしかない」
ザックスはばりばりと髪をかき回した。
なんて言うか、セフィロスの言い様を聞いていると、まるで、アレだ。つまり、ソレ。
「……なんか、本命口説いてるっぽい」
「そうかもな」
あっさりと吐かれた言葉に、ザックスは固まった。
「そうかもって、アンタ、子供相手に?」
「お前は……本命ではなく、遊び相手の方が良かったのか?」
ザックスは勢いよく首を横に振った。
クラウドを遊び相手にされたくはない。だからといって、この英雄が本気の本命扱いしているなどと言うことも、全く頭になかった。
矛盾した考えが頭の中をぐるぐるして、ザックスは目眩がする。
「い、いや……あんたが本命なんて言うなんて……冗談以外ありえねーって思ってた」
「お前、オレをなんだと思ってる?」
「モテスギのタラシ」
セフィロスはザックスを睨む。さすがのザックスも背筋が凍る鋭い目だ。
「下心付きで寄ってくる連中など、もてるとは言わんだろ」
セフィロスは長い息をはいた。その忌々しげな様子に、ザックスは気づく。
今までセフィロスが相手をしてきた女や男達が、何を考えてセフィロスに近づいてきたのかなんて、ザックスは知らない。
ただ、女優やモデルはもちろん、良いところのご令嬢ご令息だって、おそらく世界で一番有名な男の傍らにいることに価値を見いだしていたって事はあるはずだ。
セフィロスという1人の男ではなく、有名な「英雄」の横に立つ、パートナーとして選ばれた自分。
それを想像して、愉悦に身を震わせなかったと、そう断言できる者がいたのだろうか。
クラウドは間違いなくセフィロスに憧れ、英雄を讃える目をしていた。
だが、そのクラウドは、セフィロスに何を求めたのだろうか。
贅沢な生活も、人に憧れの目で見られる陶酔も、何も求めなかったはずだ。
ただ、セフィロスという1人の男の側にいたいと、願っただけ。
ザックスは、なぜセフィロスがクラウドを側に置きたいと思うのか、分かった気がした。
『オレを捨てる気か』という、英雄らしからぬ、女の尻に敷かれたヘタレ男みたいなセリフも、半分くらいは本音だったのかもしれない。
部屋から出ていこうとするクラウドの足下にすがるセフィロスの姿を想像し、ザックスはにやけてくるのを止められなかった。
ぐふふっという不気味な笑い声が漏れ、セフィロスは不審げに眉をひそめる。
「不気味な声を出すな。ゴンガガゴリラ」
「あ、そーゆー言い方は止めろよな。言い換えれば、俺はアンタとクラウドの結びのキューピッドみたいなもんなんだから」
「随分とむさ苦しいキューピッドだ」
「あ、その言い方。なんか、むかつくーーー」
ザックスは怒った顔を作るが、本気でないことは一目瞭然だ。セフィロスは僅かに肩をすくめる。
そこへ内線の呼び出し音がなった。受話器を取ったセフィロスは、それをすぐにザックスに差し出す。
「お前の副官からだ」
「へー、なんだろ」
ザックスが変わると、ショーンの疲れたような『隊長、書類、間違えたでしょ』という声が聞こえた。
「書類間違えたって?急ぎのは別の書類?――あ、そっちだったっけ、悪い」
ザックスは誤魔化すように舌を出すと、受話器を置いてセフィロスに向き直った。
「サイン貰わなきゃ無いの、別の書類だって」
「お前は、何をやってるんだか……」
「日付が古い方だと思ったんだよ。部下の勤務評定書、今日中に出さないと年末手当が年内に出ないんだって」
「何を暢気に言ってる」
セフィロスは呆れた。部下達はきっと今頃泣いてるだろう。セフィロスの執務室まで連絡をよこすわけだ。
「で、内容の方はショーンが記入しちゃって、後は俺とダンナのサイン入れて提出するだけの状態にしてクラウドに持たせたって。もう来るかな?」
そう言ってザックスはドアを開け、廊下を見回した。ちょうど、エレベーターが開いて中から少年が出てきたところだった。
「ザックス、もうみんな泣いてるよ。とっくに提出したと思ってたって」
少し怒った顔のクラウドに、ザックスは両手を合わせて謝る振りをする。
「悪い、去年まで評価される側だったから、なんか自分の仕事じゃないような気がしてた」
「書類をためるから、優先順位が分からなくなるんだ」
ドアの所でセフィロスが説教口調で言う。
「ほんとだよ」
クラウドがすぐにそれに同意する。
「お前ら、気が合いすぎ」
「普通、誰でも同じ事言うよ」
クラウドがそういうと、「まったくだ」とセフィロスが同意する。
「お前ら、やっぱり気が合いすぎだ」
ザックスはそう言って笑った。以前と変わりのない態度で話が出来るのが、嬉しかった。
セフィロスの執務室で、セフィロスのペンを借りてサインを入れ、ザックスは人心地ついたようにほっと息をつく。
「じゃ、これを本社に直接もってきゃいいんだな」
「急げよな。それ、今日の午後の三時までだって」
「はいはい」
書類を纏めてピンで留め、ザックスはふと思いついたように言った。
「そういやさ、旦那が俺のこと、ゴンガガゴリラって言うんだぜ。酷いと思わないか?」
「ゴンガガゴリラ?」
クラウドはピンと来ないような顔で繰り返した。
「ゴリラって、大きい猿だよね」
「ゴリラ、見たこと無い?」
クラウドは「……図鑑で見たかな…」と曖昧に答える。
「ザックスって、猿に似てたのか?」
「似てないって思ってるから怒ってんの。こんないい男をデカイ猿扱いなんて酷いと思わないか?」
「うーん、……俺、猿もよく知らないからその評価が当たってるかどうか分からないな…。でも、似てない…気がする」
「ほら、旦那。猿よりいい男だってクラウドも言ってる」
「似てないと言っただけだろうが」
セフィロスは笑うと、まだ曖昧な顔つきでザックスの顔を見ているクラウドに話しかける。
「動物には興味ないのか?」
セフィロスが聞くと、クラウドは顔を顰めた。
「興味ないって言うか、ニブル周辺はモンスターの方が多かったから、普通の動物ってペットや家畜くらいしかいないんだ」
「へー、ゴンガガはジャングルだから、モンスター以外にも一杯いたなぁ」
「ゴンガガで一番多いのはカエルだろう」
セフィロスが混ぜっ返す。
「言うなよ、俺、カエル嫌いなんだから」
本気で嫌そうな顔をしてから、ザックスはクラウドに悪戯っぽい顔を向けた。
「んじゃさ、今度動物園行かないか?カームの近くにデカイ所があるんだ。ゴリラとか猿とかいろいろ」
「へー……動物園。面白そうだね」
興味を示したクラウドに、ザックスは我が意を得たりとばかりににんまりと笑う。
「旦那も行くだろ」
そう言ってセフィロスを見ると、クラウドもつられて視線を向けた。
「動物園?」
言われたセフィロスは珍しそうに繰り返した。
「そ、動物園。何たって、親子連れの定番行楽コースだし」
瞬時にセフィロスの顔がきつくなった。ザックスはにやにやと笑ってる。
親子連れなどと言う特大の嫌みに、一言釘を差してやろうかと思ったが、その前に少しだけ声を弾ませたクラウドが割り込んだ。
「……サーもいっしょに行く?」
目は期待に輝いてるが、言い方は控えめだ。一言言ったきり、後はじっと返事を待っている。セフィロスは可笑しくなった。この程度で喜ぶのなら、親子連れ定番コースを経験するのも悪くない。
「動物園か――状況が落ち着いたら、行ってみるか……」
そう言ったセフィロスの目が酷く穏やかで、クラウドは嬉しくなった。
ひょっとしたら、ほんとに勘違いかもしれないけど、自分が側にいることで、この人に幸せだと思ってもらえるかもしれない。
それなら、側にいよう。
この人に、もう邪魔だって言われるまで、ずっと側にいようと思う。
ここにいて欲しいって、人からそう望まれる夢。
そんな幸せな夢を、もう少しだけ見ていたい。