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フロントライン(2003夏・小笠原)その4

北港(母島)

一夜明ければ、母島での最後の日。
おがさわら丸の遅れで一日削られてしまったのと、前日がスコール風の雨で殆ど外出できなかった為に、なんだかロクに母島を堪能できないままに、今日の日を迎えるハメになってしまったのだ。
朱蘭さまは、雨だって平気なダイビングを楽しめたんだから羨ましい。
母島は、父島ほど大勢のダイビング客が訪れる訳では無いので、大掛かりなダイビングショップを営める訳も無く、海に出るのは小さな漁船のチャーター船で、スタッフも人手不足で大忙しだったらしい。
そんな母島のショップに申し込んだのは、別に必然性があった訳ではない。
我が家が小笠原行きを決定した段階で、すでに父島のショップは全て満員・キャンセル待ちの状態で、空いていたのが母島のショップだけだったという理由なのだ。



さて、母島最後の日は、おがさわら丸の思わぬリカバリーに助けられた形になった。
どういう意味かと言えば・・・・・
我々が一日遅れで小笠原に到着して以来、おがさわら丸は遅れを取り戻すべく、スーパーピストン運行を行っていた。
もともとお盆休みに合わせたピストン運行だった為、それを取り戻すのは容易な事ではなく、竹芝でも父島・二見港でも到着後にソッコー出航を繰り返す強行スケジュールとなっていた。
従って入出航時刻もバラバラな状態で、今日は、おがさわら丸が夕方前に父島・二見港に到着し、2時間後には出航してしまう有様なのだ。
片や、ははじま丸は
「あたし、オトォチャンについていく」
なんて感じで、おがさわら丸に完全追従していくらでもダイヤを変更してしまう良妻っぷりである。
今日は、夕方前に到着したおがさわら丸からの乗り換え客を乗せて母島に着いた後、事実上の回送状態で、19時ごろに父島に向けて戻ると言うのだ。
この、通常ではまず有り得ない、ははじま丸の夜間航行のお陰で、我が家は日没後まで母島に滞在できると言う事になったのだ。
そうとなったら、この恩恵を有効活用しなければ損である。
昨日とは打って変わって泣けてくるような晴天で、母島は
「んもう、何でも好きにしてぇ」
などと、我々を怪しげに誘いをかけてきている状態なのだ。

クジラが見れるらしい、夕日ヶ丘(母島)

まずはレンタバイクを借りなければならない。
原チャリスクーターとはいえ、オコチャマをオンブしての走行に二の足を踏んでいたのだけれど、母島に官能的な誘いを受けてしまった以上、受けて立つ事にしたのだ。
宿のレンタバイクは一台しか借りられなかったけれど、別の民宿のスクーターをもう一台手配してくれた。
その民宿にバイクを取りに行くと、なんと80ccのスクーターも置いてある。
コレはラッキーだ。
だって、2歳児をオンブするとはいえ、コレは一応は二人乗りであると思われ、50ccのスクーターでは違反と言う事になるけれど、80ccならば法的にも問題が無い。
「オバチャァン、さっきデンワでバイクをお願いした者なんですが・・・・」
「ああ、ハイハイ。聞いてるよ」
「あのぉ、コッチの80ccのほうを貸してよ」
「ええ?ソッチは別の予約が入っちゃってるの。なんで50ccじゃダメなの?」
「実は・・・・・」

オコチャマをオンブするツモリである旨を伝えると、オバチャンは考え込んでしまった。
「だったら50ccのほうで良いっす。で、で、で、ところで・・・・」
ひそかに気になる事を聞いてみる。
「この島のケーサツって、50ccの2ケツはウルサイですか?」
まあ、おそらくは「ダイジョーブ」という答えが返ってくるだろう。
何しろ、白タクだってマイカーの有料レンタルだって、ケーサツが知らない訳がなく、見て見ぬフリをしてるに違いないからだ。
「う〜ん。スクーターの二人乗りは、けっこう取り締まってるわねぇ」
「げげげげげ!!」
「しかも、そういう事情を聞いちゃったからには、50ccを貸す訳にはいかないわ」
おおっ、なんとも厳格な。
余計な事を言わなければ良かったよう。

オバチャンと一緒に話を聞いていた、宿のスタッフのオネェチャンが口を挟む。
「どこに行く予定なんですか?」
「えっと、とりあえず北港とか・・・・」
「○△ちゃんに聞いてみましょうか?」
えっ?○△ちゃんって誰?
オネェチャンに聞き返すよりも、オバチャンが先に反応した。
「そうそう、○△ちゃんが良いわ。すぐにデンワしてみて!」
オバチャンに指示されたオネェチャンは、さっそくデンワをかけに奥に消える。
「あ、あのぉ、○△ちゃんって・・・・」
「大丈夫。安心して」
あ・安心って、な・なにを安心すれば・・・
ほどなく、オネェチャンが小走りに戻ってくる。
「ダメです。○△ちゃん、デンワがつながりません」
そんなに慌てる必要もなかろうに、ジーンズの短パンから伸びる日焼けした足をバタつかせる姿が、妙に健康的で眩しい。

結局、○△ちゃんの実態は判らないまま、
「予約客がスクーターを使い始める午後一時までに必ず戻ってくる」
という約束で、80ccスクーターを借りられる事となった。
どうやら、乗り合いタクシーとして○△ちゃんを手配してくれようとしたらしい。
○△ちゃんと連絡がつかなかった事は、かえって気が楽な結果になったのだけれど・・・・
その正体が、短パンのオネェチャンみたいな娘だったら、そりはそりで考えが違ったかも知れない。

念願の親子ツーリング

紆余曲折はあったものの、とにかく2台のスクーターで出発なのだ。
しかも、心ならずも
「いつかは親子3人でツーリングを・・・・」
なんて希望が、実態は矮小化しているながらも実現してしまう事になった。
オコチャマをおぶったオトォチャンの80ccが先行し、後を50ccの朱蘭さまが追いかけるフォーメーションを取る。
オンブ紐でガッチリと縛り付けているとは言え、何かアブナそうな前兆が見えたら、後のオカァチャンがソッコーで知らせる為だ。
目指すは、母島の北端の北港。
沖港の集落を出ると、あっというまに周囲は無人のジャングル地帯となる。
グングンと登る細い山岳路が右に左にクネクネと続き、こりゃレンタサイクルなどで来たら死んでしまいそうだ。
道の舗装状態は決して悪くないものの、至る所に巨大なカタツムリの遺骸が転がっていて、なかなか気が抜けない。
ついつい後方の確認が疎かになると、登り坂では排気量の差の分だけ、オカァチャン50ccが後方に消えてしまう。
オコチャマはといえば、コーナーごとにキッチリとリーンアウトの姿勢を繰り返している。
が、いつのまにかその動きが不規則になり・・・・・
オカァチャン待ちで停止したついでに見てみたら、キッチリとイネムリしていやがる!!

長い登りの果てに、遥か眼下に海を見下ろす崖沿いの道となる。
このあたりは夕陽ヶ丘という名前が付けられていて、運が良ければ沖を泳ぐクジラの姿を見る事ができるポイントだそうだけれど・・・・・・
もちろん、世の中はそんなに甘くは無く、寝てしまったオコチャマが気になって先を急ぐ事にする。
更に、ひたすらアップダウンや真っ暗なトンネルを繰り返し繰り返し走り抜け、車道の終点の北港に到着。

学校の廃墟(北港)   工場の廃墟(北港)

北港は、戦前は北村という集落があり、鰹節工場などを中心に栄え、娼婦の館まであったそうだ。
もちろん今は無人で、聞かされなければ旧集落の存在さえ判らないような、かなりこなれた廃墟系スポットである。
小学校の痕は石垣だけで、あとは工場痕らしき建物の残骸。
当時は東京行きの船も発着したという桟橋の残骸は、よくぞここまで朽ち果たものだと感心してしまうような様相で、ただただ海に向かって突き出している。
目の前の入江の先に続くであろう父島や、遥か本土を目指す船の発着所にしては、あまりにもチンチクリンになってしまった小さな桟橋の残骸が、なんだか北港のミイラのように感じてくる。

かつては東京行きの船も出た、桟橋の跡(北港)

それにしても、異常なまでに海水がキレイなのだ。
モルジブでも西表島でも対馬でも利尻・礼文でも、これほどまでに澄んだ海を見た事が無い。
「すっげぇキレイ」以上の表現を行う知識も才能も無いのが残念だけれど、
とにかく、「まるで水が無い」みたいに澄んでいるのだ。
入江の奥というロケーションは沖港と同じなのに、この違いは何だ。.
答えは一つ。
ニンゲンさまの存在なのだ。
たった400人の生活が、これほどまでに環境を変えるものなのか。
その生涯の終焉と引き換えに、稀に見る透明度を得た北港。
それをあからさまに知らしめてくれた北港に敬意を表する為にも、
「コメのトギ汁や飲み残した牛乳は、流しではなく庭に捨てよう」
などと、フイに心に誓ってしまうのだった。

在りし日の北港周辺

街に戻って80ccスクーターを返却すれば、後は2本の足が頼り。
乳房山への登山なのだ。
この山は標高462mで、母島だけでなく、小笠原の事実上の最高峰でもあるそうだ。
実際には南硫黄島に900m級の火山もあったりするのだけれど、一般人が簡単には行けない無人島なのだから、事実上は母島の乳房山が最高峰で良いのだ。
山頂からの眺望は絶景で、ハイキング気分で2時間ほどで登れるとなれば、コレは登ってみるしかない。

この山に登れば、観光協会が『乳房山登頂記念証明書』を発行してくれる事になっている。
登る前に観光協会に申し出る事が必要で、その時に台紙とチョークのようなモノを渡される。
山頂に着いたら、それで山頂の碑の拓本を採り、それが登頂の証拠となる仕組みなのだ。
事後報告では認めず、例えばデジカメなどで証明写真を持ってきても受け付けないとの事。

いよいよ登山開始だ。
海抜0mから歩かなければならないので、正味462mの登り。
ルートは2つあって、直登コースと剣先山を経由する縦走コース。
どちらもキチンと整備された登山道で、急な登りにはキッチリと階段が設けられているとの事だけど・・・・
なにしろ2歳児連れなのだ。
まさかオコチャマが完歩できるとは思っちゃいないながら、できるだけテッペン近くまで歩いてくれよと祈りながら、オンブ紐を荷物にブチ込み、距離の短い直登コースを登りはじめる。

オコチャマは200mほどのポイントで歩みを止めた。
標高200mではない。距離にして僅か200mなのだ。
コレは、思ったよりも遥かに早く訪れた試練であった。
この頃のオコチャマの体重は15キロで、オトォチャンが3年程前に完全装備で北アルプス・剱岳に登った時の荷物よりも重いのだ。
しかも、その3年間のうちに、オトォチャンは着実に体力が衰え、脂肪という名の自前の荷物も膨大に増やしてしまっている。
しかし、オトォチャンの意地にかけても、山頂を目指すしかないのだ。

一歩一歩、我が子の重みが身にしみる。
左右から道を遮る木の枝や得体の知れない植物を避ける為に体を反らせると、そのリアクションに喜ぶオンブ小僧。いい気なもんだ。
やがて山腹にポッカリと開いた巨大な竪穴に到着。
案内板によれば、太平洋戦争時に米軍機が落とした爆弾の痕なのだそうな。
なんでこんな所を爆撃する必要があったのかと思えば、なんと、東京空襲を終えてグァムに戻る米軍機が、遊びなのか練習なのか、余った爆弾を落としていった痕なのだそうだ。
なんだそりゃ。
確かに自然現象で出来た穴とは思えないながらも、案内板が無ければ気付かずに通り過ぎてしまう程度の竪穴である。
それでも
「ほぉぉぉぉ、なるほどぉ」
などと異常にコーブンして見学するのは、もちろん、それが休憩の口実になるからに他ならない。

樹林帯を抜けて稜線に出ると、南国の真夏の日差しが容赦なくギラギラと照り付けてきた。
それが不快なのか、オコチャマがフガフガと抗議する。
ば・ばかやろう!
オトォチャンのほうがツラいのだ。
とは言え、親の都合で連れてきている事実は否定できず、あまり嫌がるならば、ここで下山する事も考えねばなるまい。
それはそれで残念だけれど、我が体力にとっては嬉しい選択かも。
そしたら、すぐに静かになったと思ったら・・・・・
ま・またまた寝ていやがる。
なんという順応性なのだ。オトォチャンは嬉しいよ。

だめだめコゾー

ヘロヘロになって山頂に辿り着く。
到着した途端に、なんだかインチキくさいタイミングで起きたオコチャマ。
このやろう。
オニギリを食いながら周囲の展望を眺めると、確かに素晴らしい絶景ではないか。
特に、東側に張り出した『お立ち台』のような柵から覗き見ると、すぐ足の下まで迫る大崩湾の展望がスバラシ怖い。
何も人工物の見えない、まったく原始の姿なのだ。
おそらく、地球上にニンゲンが登場する以前から変わらぬ光景なのだろう。
そして、ニンゲンが根絶した未来永劫までも・・・・・・
いや、そうでは無い。
北側に見える山が、山頂からイッキにえぐれた崖となって海岸線に落ち込んでいる姿は、いつの日か母島が海に食われて消えてしまうであろう圧巻な光景なのだ。
崩れた土砂によって変色して見える波打ち際の海水が、そんな海の唾液のようにも見える。

崩湾のブキミな光景(乳房山より)

ほどなく、小学生位の子供二人が争うように山頂にやって来て、
「おとぉさぁん、はやくぅ。着いたよぉ」
などと煽られながら父親も到着。
すこし時間を置いて、一人だけヘロヘロ状態にバテまくって辿り着いた母親は、我が家族を見て
「ええっ?そんな小さな子が登ったのですか?」
などと驚きながらヘタリこむ。

ウチのオコチャマもあの位になれば、家族の行動範囲も広がるなぁ・・・・・
そんな近い将来に思いを巡らせるものの・・・・・
我が家の場合、真っ先にヘタるのはオトォチャンに違いない。

乳房山、遂に登頂!  1人だけ、殆ど歩いてません

剣先山を経由する縦走コースから下山する事とする。
下りはオコチャマの手をひいて、自力で下山させようとしたのだけれど、頂上直下はちょっとキケンだ。
断続的に続く急な階段の道幅が狭く、手を繋ぐと横に並んで歩けないのだ。
もうすこし道幅が広がるまでのツモリで、ふたたびオコチャマをオンブして階段を下りること数分・・・・・
なんと、あっというまに寝てしまった。
マジでインチキとしか思えない。
やがて快適なピクニック風の緩やかな道になるももの、もうメンドウクサイのでオコチャマをおぶったまま先に進むと、先に下山した4人家族に追いついてしまう。
子供たちは元気ながら、相変わらずヘタってる母親に合わせた、いわゆる護送船団方式の速度なのだ。
しばらく追い抜いたり追い抜かれたりを繰り返すうちに、徐々に先行する4人家族に引き離されてしまった。
イイカゲンに、オトォチャンのヒザが笑ってきたのだ。

剣先山から先は特にヒサンで、急な階段の連続となってしまい、もうタイヘン!オクサマ!
コッチから登ってたら、絶対にリタイヤしたに違いないほど、
「これでもか」
ってくらいに、階段が続くのだ。
ヘタっていたハズの4人家族の母親でさえ、驚異のペースで前方に消えてしまった。
「階段は慣れてますのよ団地妻」
などと余計な思いが、モーローとしたオツムを巡る。

乳房山からの沖港

観光協会の窓口で、さっそく親子3人分の『登頂証明書』を発行してもらう。
実は我が家は、諸般の事情によって登山前に申し込んでいなかった。
ホントなら『証明書』は貰えないハズなのだけれど、観光協会の計らいで、特別に発行してもらったのだ。
なぜ特別扱いだったかは、観光協会とのヒミツの約束なので言えない。
基本的には絶対に認めないとの事なので、証明書が必要なら必ず事前申し込みを行って欲しい。
まあ、山頂まで登った事に満足しているのだから、証明書の有無はオマケでしかないのだけれど・・・・・
我が家の小僧!!
キミの証明書はインチキだ!!
登りも下りもワープした、キセル状態の山頂到達ぢゃんかよう!!



ははじま丸が出航したのは、完全に日没後だった。
沖港が視界から消えると、まったく光が存在しない母島なのだけれど、その存在をぼんやりと浮かびあがらせてくれたのは、母島の背後から登場した満月だ。
後方に去っていく母島の、未練のように突き出した北端の岬の裏あたりが北港だろうか。
歴史に埋没してしまった港に、再び船が訪れる事は無いのだろうけれど・・・・・
再び母島を訪れる時、遠巻きながらも真っ先に出迎えてくれるのがキミである事を忘れない。

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