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三百年の謎匣/芦辺 拓

2005年発表 ハヤカワ・ミステリワールド(早川書房)

 まず、書物に記された各エピソードについて。

「新ヴェニス夜話」
 物語の舞台に関する真相については、完全にしてやられました。“東洋のヴェニス”の一つとして森江春策が挙げている堺は一瞬頭に浮かんだのですが……。田中啓文のダジャレSF短編(以下伏せ字)「火星のナンシー・ゴードン」(ここまで)を思わせる(本書を読んでこの作品を連想する人はあまりいないかもしれませんが……)固有名詞の変化を利用したトリックが秀逸です。

 ガリヴァー氏はもちろんこの物語を英語で書いたのでしょうが、耳にした地名や人名を発音通りに表記するのは理解できますし、自分の名前を“レムエル・グリイフェル”と記した点も“試みにその発音をなるべく忠実に写してみた”(58頁)とされているので納得できます。

 物語の中で使われているアリバイトリックもまずまず。“アヒル{ダック}のなにがしという隠者”(65頁)という伏線には、さすがに苦笑を禁じ得ませんが……。

「海賊船シー・サーペント号」
 位置関係がやや把握しづらいものの、さすがに真相はこれしかないでしょう。むしろ、左舷と右舷でそこまできっちりと艤装を違えることができるのかどうかが少々疑問ですが、まあ大丈夫でしょうか。

「北京とパリにおけるメスメル博士とガルヴァーニ教授の療法」
 ノアイユの錯乱の状況が今ひとつわかりにくく、また特殊な知識がなければ謎が解けないのが難点。しかし、ヴェルサイユ宮殿にそっくりだということをあらかじめ示しておくとほとんど見え見えになってしまうので、致し方ないところでしょうか。過去の事件の、死体を電気で動かすというトリックはなかなか面白いと思います。

「マウンザ人外境」
 二つのトリックはどちらもさほどでもなく、むしろ皮肉の利いたプロットが印象的です。特に、“白き女王”の真相が鮮やかです。

「ホークスヴィルの決闘」
 決闘の状況からみて、ギャラガー保安官が仕組んだものだということは簡単に予想できるでしょう。一方、保安官が東西を取り違えたトリックについては、森江の“推理”どおりであれば実現可能なのは確かですが、いかんせん手がかりが少なすぎて、“推理”とはいい難いのではないでしょうか。特に、“偽の新聞記事”のあたりはほとんど妄想といっても過言ではありません。

「死は飛行船に乗って」
 “GZ”が犯人の名前を示すダイイングメッセージだと見せかけておいて、意表を突いたさりげない手がかりから犯人を導き出す手法はよくできています。ただいずれにせよ、頭文字だけを書き残した理由が説明されていないのは難点。

*

 森江春策は各エピソードに残された謎を解いた後、それぞれのエピソードで使われたトリックを以下のように要約し(305~306頁)“ものごとの二重性空間の錯誤とでもいった、奇妙な一致”と述べていますが(306頁)、これら六つのトリックをひとくくりにするのはいささか乱暴にすぎるでしょう。

 例えば「トリック1」が“二重性”を利用したものとはいえず、また逆に「トリック2」が“空間の錯誤”とは無関係であるように、六つのトリックすべてが双方の要素を備えているわけではありません。そもそも“ものごとの二重性”と“空間の錯誤”とは独立した要素であって、それを組み合わせることですべてのトリックが一つの共通点を備えているかのように強弁するのは、それ自体が作者によるあまり出来のよくないトリック、悪くいえば欺瞞としか思えません。

 それぞれのトリックをもう少し詳しくみてみると、「トリック1」は秘密裏の移動によるアリバイトリック、「トリック2」は船の“一人二役”トリック、「トリック3」・「トリック5」・「トリック6」・外枠部分のトリックは二つのものを誤認ないし同一視させる“二人一役”トリック、そして「トリック4」は錯視トリックといったところでしょうか。そう考えると、「トリック3」・「トリック5」・「トリック6」は何とか外枠部分のトリックと関連しているといえますが、「トリック1」・「トリック2」・「トリック4」はほとんど無関係というべきでしょう。

 また、トリックの“連鎖”についても同様です。森江は“ガリヴァーが自分では真相を知りつつ書き残した謎をヨンケルが解き、彼はそこから同じく船を使ったトリックを思いついた”(306頁)としていますが、両者の共通点はそれこそ“船を使う”ことだけで、その使い方はまったく違っていますし、そもそも海上で仕掛けるトリックであれば船を使うという発想も自然でしょうから、ヨンケルがガリヴァーの残した真相からトリックを思いついたという推理には、大いに無理があるといわざるを得ません。

2006.03.14読了