アンデッドガール・マーダーファルス3/青崎有吾
ホイレンドルフでのルイーゼ誘拐事件では、一見すると“人狼が煙突から侵入し、ルイーゼをさらって窓から脱出した”としか思えない現場の様相の中に、隠れた不可能状況を潜ませてある(*1)のが巧妙。人狼が〈二本〉・〈三本〉・〈五本〉と自在に変身可能で、なおかつ実際に変身したことが現場の足跡で明示されているため、侵入も脱出も何とでもなりそうだと思わされてしまう部分がありますし、津軽による犯人の行動の描写(80頁)まであるものの、語りの調子の良さで後半の“省略”が目立たなくなっているのがうまいところです。
その不可能状況を浮かび上がらせる、窓の手がかりをもとにした推理が実に鮮やかです。〈五本〉の姿でなければ窓から脱出できないにもかかわらず、〈五本〉の状態ではルイーゼを運び出せないという矛盾はすんなり腑に落ちますし、ドアを破る直前に“ドアのすぐ向こうから少女の声が聞こえた”
(31頁)ことで、先にルイーゼを窓から出しておく手順を封じてあるのも周到。明かされてみると、“ルイーゼの部屋のドアを開けた瞬間から”
(405頁)わかっていたと鴉夜が豪語するのも納得ですし、現場の状況からいきなりただ一人に絞り込まれる手順が意外で面白いと思います。
惜しむらくは、津軽の枕(苦笑)を使った実験もあって(*2)暖炉の灰の意味がかなりわかりやすくなっているため、煙突からの侵入は偽装であって室内にいたルイーゼの自作自演――ルイーゼ自身が人狼という結論自体が先に見えてしまうきらいがあり、加えて、さらなる偽装のために殺されたアルマが、“無駄死に”感が強くなってしまっている(*3)のがやや難ではありますが……。
足が不自由なルイーゼが人狼だったとは考えにくい一方で、親も間違えるほどルイーゼとよく似ていた(108頁)ユッテの存在を考えれば、“ルイーゼ”の正体がユッテであることは明らかでしょう。そうなると、ルイーゼが“残念ながらもう殺されている”
(85頁)と鴉夜が断言するのも妥当……ですが、その時点では、読者はもちろんさすがの鴉夜も、ルイーゼが直前まで生きていたとまでは予測できないのが心憎いというか何というか。
一方のヴォルフィンヘーレでの事件ではまず、鳴らなかった銃声の手がかりと犯人の消失から、二つの村を結ぶ秘密の抜け道の存在が導き出されます。さらに、アリスが気づいた(266頁)ように、身重で負傷したローザがホイレンドルフまでたどり着いたことも、崖ではない“別ルート”の存在を示す手がかりとなっています。そして地下道の中に棲んでいた蛾の鱗粉が、人間ではなく人狼が犯人であることをしっかり確定させる手がかりとして用意されているところがよくできています。
そのあたりまでくると、“ルイーゼ”=ユッテ=ノラという真相はエレガントな構図であるがゆえに見当がつきやすくなっていると思いますが、ノラが左腕を怪我していた(187頁・199頁)にもかかわらず、“ノラ”の死体には“銃創以外に外傷はない”
(239頁)こと(*4)を手がかりに、ノラ本人の死体ではないことを明らかにする手順が抜かりないところですし、人間と人狼の生活サイクルのずれが、ノラの一人二役を成立させる上で大きく貢献しているのも見逃せません。
ルイーゼの死体を、ヴォルフィンヘーレではノラの死体に見せかける一方、ホイレンドルフではルイーゼの死体として登場させる、いわば“死体の使い回し”トリックは、特に“バールストン先攻法”のバリエーションと考えれば似たような前例もありそうです(*5)が、本書のすごいところは“死体の使い回し”がノラ/ルイーゼにとどまらず、他の被害者たちにまで――事件全体に“拡張”されている点でしょう(*6)。
犯人の正体がユッテだというところまで予想できれば、鴉夜ならずとも、母ローザを害した二つの村への復讐という動機が思い浮かぶところですが、それに飛びついてしまうと犯人のもう一つの目的が見えにくくなり、ノラ/ルイーゼ以外の“死体の使い回し”が隠蔽されるのが秀逸。しかして、〈終着個体{キンズフューラー}〉を生み出すという人狼の目的から作り出された“血の儀式”の、それぞれの個体を“素材”としか見ていない恐ろしさと、それに対してノラが練り上げた、人間の少女を身代わりにして人狼の少女を逃がす計画の凄絶さが、強く印象に残ります。
*2: この実験そのものは面白くはあるのですが、いささか親切すぎるというか、暖炉の内側を調べた津軽の手に
“別段何も付着していない”(74頁)だけでも手がかりとしては十分だったのではないか、とも思われます。
*3: その後の戦闘も含めて、
“全員ちょっとこらしめてやろう”(458頁)というには犠牲が大きすぎる気もしますが、そこは人ならざる者ゆえの倫理観の違いととらえるべきでしょうか。
*4: ただしこれについては、仮に
“左手首には短い包帯が巻かれて”(199頁)いたままだったとすれば、傷が直接見えているわけではないのですから、(フェアプレイを意識した登場人物でもない限りは)“外傷はない”と表現してもおかしくはないようにも思います。
*5: “バールストン先攻法”ではありませんが、一つの事件を複数の事件に見せかけるという点では、1990年頃に講談社ノベルスで刊行された長編((作家名)中西智明(ここまで)の(作品名)『消失!』(ここまで))を思い出しました。
*6: 犯人の計画からすると、ヴォルフィンヘーレの側で死体を見せる必要があるのは当然として、その後に死体をホイレンドルフへ運ぶメリットは少ない――“人狼に連れ去られた”だけで十分――ようにも思われますが、最後は人間の少女としてホイレンドルフで弔ってほしい、というせめてもの気持ちの表れということかもしれません。
2021.06.08読了