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アルファベット・パズラーズ/大山誠一郎

2004年発表 ミステリ・フロンティア(東京創元社)
「Pの妄想」
 作中で峰原は、“缶はいったん口を開けたらそのままですが、ペットボトルは蓋ができる。投毒を防ぐという点では、ペットボトルの方が、缶よりはるかに優れているのです”(42頁)と指摘していますが、これは一概にはいえないように思います。飲んでいる途中でこまめに蓋をしておけば、目を離した隙の投毒が防げるのは確かですが、飲みかけでその場を離れれば意味がありません。また、手元に置いたまま飲みきるようにすればペットボトルでも缶でも同じことで、その意味ではむしろ比較的小サイズのものが多い缶紅茶の方が有利ともいえます。

 というわけで、ペットボトルを選ばないのが不自然とまではいいきれないのですが、缶紅茶特有の不透明という性質に着目したロジックは、非常に面白いと思います。また、屋敷の傾きを他人に知られたくないという動機も、十分に納得できるものです。

 ただし、作中の“屋敷が正面から裏手へ五度ほど傾斜している”(44〜45頁)というのは、いくら何でも傾きすぎでしょう。sin5°が約0.087ですから、約8.7%という急勾配(床面1mに対して高低差8.7cm)になり、液面を見るまでもなく普通に立っているだけでも気づくはずです(というよりも、生活に支障をきたすのでは?)。この作品の中心となる、“液面の傾きを隠すために缶紅茶を選んだ”というアイデアが成立するためには、もっと緩やかな傾斜でなければなりません。

 ところが、屋敷の傾斜を緩やかにすると今度は絨毯のトリックに問題が生じます。絨毯の材質と重さから、巻き取られた状態の摩擦抵抗はかなり大きくなるはずなので、人が気づかない程度の傾斜ではひとりでに転がり広がっていくのは難しいと考えられます(巻き取られた絨毯を人が手で広げていくところを想像すれば、それなりの力が必要なことはわかるでしょう)。あちらを立てればこちらが立たず、といったところでしょうか。

(2013.07.03追記)
 2013年6月に刊行された創元推理文庫版では、上述の“五度ほど”が削除され、問題が露呈しにくくなっていますが、当然ながら問題の本質は変わりません。
 この作品で最も面白いのは、缶紅茶という手がかりの意味――その“気づき”にあるわけですが、しかし屋敷の傾きは缶紅茶をもとにした推理によらずとも気づかれる蓋然性が高いでしょう。同じ角度でもスケールが大きくなれば高低差が大きくなるわけで、ペットボトルのスケールでも気づかれる恐れのある傾きが、屋敷/部屋のスケールで発覚しないとは考えにくいものがあります。そしてそうなると、“傾きを隠すために缶紅茶を選ぶ”という行動が、まったく意味をなさないものになってしまいます。
 もっとも、ペットボトルは(屋敷と違って)水平線がはっきりしやすいので、ごくごく緩やかな傾斜であれば成立する余地もないではないのですが、上述のように緩やかな傾斜ではうまくいかないトリックを採用することで、作者が“自爆”しているのが何とも。

「Fの告発」
 あまりにも古典的な一人二役トリックには脱力させられますが、指紋認証というハイテクと組み合わせることで、(実際には存在しない)仲代館長の実在が裏付けられているのが面白いところです。また、死亡推定時刻に犯人が現場にいたという、結果だけみれば何も不思議なところのない状況にもかかわらず、指紋と身元のミスマッチのせいで不可能状況が生じてしまうところもユニークです。そして何より、日付が変わってから通報された理由が秀逸です。

「Yの誘拐」
 誘拐の目的が身代金奪取ではなく悦夫を殺すことだ、というところまでは推測しましたが、“Yという奴が偽者なんだ”という柳沢の台詞については、悦夫のY染色体が偽物(すなわち悦夫が成瀬正雄の息子ではない)という意味だと考えました。
 峰原の推理をひっくり返すきっかけとなる、峰原の推理と調査との不整合という手がかりは、なかなかよくできていると思います。犯人の側からすれば、仮説の確認が取れたかと質問されて“取れました”(221頁)と答えてしまったことが致命的だったわけで、調査によって当初の仮説が崩れた後で新たな仮説を立てたことにすれば、回避できたようにも思います。もっとも、住人たちは当時の銀行支店長が怪しいというところまではたどり着いているので、逃れようはなかったのかもしれませんが。

2006.03.07読了

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