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[映]アムリタ/野﨑まど

2009年発表 メディアワークス文庫 の1-1(メディアワークス)

 本書の中盤以降はミステリへと大きく舵を切っていきますが、解かれるべき“謎”は天才・最原最早の思惑。すなわち、“探偵”をつとめる主人公・二見遭一に対して“犯人”の立場に据えられる最原最早が“何をしようとしたのか”――いわば“犯行計画”を解き明かしていく形になっています。

 決定的な手がかり――最原が映画でどんなことまでできるのか――が“篠目ねむ”によって与えられているのはもちろんですが、それ以前から完成した映画『月の海』に対する違和感が示されているのが巧妙で、兼森をして期待はずれ(133頁)とまで言わしめているのがものすごいところ。そして二見が推理した、映画『月の海』が作られた理由――『アムリタ』の制作をカムフラージュするためという“真相”は、それ自体非常に面白いものだと思います。

 かくして、二見は最原の“犯行計画”を引き継ぎ、“自らを殺す凶器”である『アムリタ』を完成させて“犯人”との対決に臨み、見事に勝利した……かに思えましたが、理解できたはずの天才の“真の思惑”は、やはり想像を絶するもの。二見がたどり着いた“解決”は、“犯人”である最早が用意した偽の手がかりに導かれたもので、いわゆる“後期クイーン問題”*1にも通じる犯人が探偵を操る構図*2が浮かび上がってくるのが圧巻。そしてまた、制作された映画『月の海』そのものが、『アムリタ』がすでに作られていたという真相を隠蔽するための、実に大がかりなレッドへリングだったというのが見事です。

 同時に、最原の“犯行計画”を解き明かす“犯行以前”の物語であったはずが、“私は『アムリタ』を作りました(中略)そして私は完成した『アムリタ』を、ある人に見せました。”(220頁)というさりげない台詞によって、“犯行以後”を描いた物語へ一気に姿を変えてしまうのが強烈。さらに、“そして、私はその人を映画撮影に誘いました。”(221頁)という言葉から、物語が始まる前にすでに“犯行”がなされていたことが明らかになるのが何ともいえません。

 実のところ、二見が『アムリタ』によって“定本になった”とすれば、たとえ記憶がそのままだとしても自身や周囲に違和感を抱かせずにいられないと思われますが、本書ではそのあたりがほぼスルーされているのが気になるところではあります*3。ただし本書の場合、描写の視野を狭い範囲に限定してその外側にあるはずの“現実”をばっさりと切り捨てるかのようなライトノベル風のスタイルを逆手に取り、不都合な箇所を見えない部分に追いやることで真相を隠し通して、サプライズを演出する――ある意味で叙述トリックにも通じる――手法が採用されている、ともいえるように思います。

 真相につながる伏線としては、以前の二見を知るほぼ唯一の登場人物であるバイト先の店長の指摘を受けた、“最近ちょっと映画の見方が変わってきたように感じる。”(15頁)という独白がありますが、これだけではやはり力不足。しかしさらに考えてみると、(二見の主観では)初対面の際に、最原がいきなり私の事を愛していますか?(30頁)と問いかけていることが、すでに“犯行”がなされたことを暗示しているといえるようにも思いますし、受験の応募作に仕込まれていた“ストッパーとストッパーはずし”(167頁)*4によって、(感情だけでなく)記憶まで操作できることが示されていることを考え合わせれば、真相に思い至ることも不可能ではないのかもしれません。

 最後には、“僕はこの数日の忘れられない出来事を、みんな忘れてしまうのだろう。”(230頁)とあり、そこまで遡る必要があるのかという疑問もないではないのですが、二見が真相にたどり着く可能性を断っておくためにはやはり、“篠目ねむ”に出会ったあたりからの記憶を消しておく必要があるのでしょうし、二見の記憶からは失われてしまったとしても、最原としては欲しかったものはすべて手に入れたので十分ということなのでしょう。それに対して二見の、すでに観念してしまったかのような“この映画はきっと、とても面白いのだ。”(231頁)という最後の思考が、何ともいえない余韻を残します。

*1: “探偵に与えられた手がかりが完全で全て揃っている、あるいはその中に偽の手がかりが混ざっていないという保証ができない、つまり、「探偵の知らない情報が存在することを探偵は察知できない」”「後期クイーン的問題 - Wikipedia」より)。
*2: 麻里邑圭人さんも、“そして終盤。読者は(と言ってもミステリ読者限定だが)本作が実は本格ミステリにおけるあるテーマを隠し通していたことに気付き衝撃を受けることになる。(中略)本作は○○物の新たな収穫と言っていいだろう。”「9:26 PM May 8th」と指摘していらっしゃいます。
*3: 秋月耕太さんの、“メインの部分に重大な穴があるってか起こりうるはずの問題がスポイルされてるのが難点だけど、それを補って余るサプライズはあると思うし。”「11:25 AM May 22nd」との指摘には同感です。
*4: 作中では、“篠目ねむ”(最原最早自身)が“一体どういう意図でそんなものが仕込まれているのか、私にはわかりませんが……”(167頁)としていますが、二見を“偽の真相”に誘導したいはずの最原としては、記憶を消すことができることまで明かしてしまうのは手の内をさらしすぎなので、これはあくまでも読者に向けた手がかり/伏線だと考えられます。

2010.05.26読了