Another(上下)/綾辻行人
本書では、まず“What?”――“何が起きている/行われているのか?”(〈現象〉とそれを防ぐ対策)が、次いで“Why?”――“なぜ起きているのか?”(〈現象〉の発端)、さらに“How?”――“どのように働く/止まるのか?”(〈現象〉のルールと停止法)が順次明かされていき、最後に“Who?”――“誰が〈死者〉なのか?”が謎として残されます。
しかしそこで大きな障害となるのが、〈現象〉に合わせて記憶や記録の改竄が生じてしまうというとんでもない状況(*1)で、その渦中にある恒一らにとっては、何を手がかりにできるのかまったく五里霧中の状態。加えて、〈観察者〉千曳をもってしても完全な法則性を導き出すには至っていない、細部にやや曖昧なところの残るルール(*2)もあって、ミステリ的な推理はかなり困難といえるでしょう。
実際のところ“三神先生”については、“担任や副担任であればね。三年三組という集団の成員だから。”
(下巻30頁)という千曳の言葉や、一昨年の三年三組の担任だった(下巻30頁)という事実から、“容疑者”の範疇に含まれるのは当然(*3)――むしろその筆頭といってもいいくらいですが、“三神先生”が〈死者〉であることを直接指し示す手がかりは見当たらず、決め手を欠いた状況となっています。
かくして作中では、推理によるのではなく、見崎鳴の特殊能力を頼りに〈死者〉が特定される形になっています。〈死者〉が指摘された後で、“副担任がいるのは、学校中で三年三組だけ”
(下巻331頁)や“机の数はね、確かに新学期から一つ足りなくなっていたの。ただし、教室の机じゃなくて、職員室の机が”
(下巻333頁~334頁)といった“後出し”の情報で補強されているとはいえ、示された“真相”を保証するのは論理ではなく、“鳴を信じられるか”という一点にかかっています。
そこに、“三神先生”=“怜子さん”の“一人二役”(叙述トリック)の暴露も加わることで、恒一が迫られる決断の重さが衝撃をもって読者に伝わるようになっているのが見事。最終的に恒一は、苦渋の末に鳴を信じて“叔母殺し”――“怜子さん”に重ねた亡き母の面影ごとその手で“消滅”させるという、凄絶な決断を下します。つまるところ、あえて推理を放棄して“信頼の問題”を強調することで、よりスリリングな結末に仕立てることに成功している、といっていいのではないでしょうか。
もちろん、鳴のような特殊能力を持たない読者にとっては、作中での“解決”は――前述のように情報の“後出し”もあることですし――ミステリとしてフェアな謎解きといえないことになります。が、作中で明示されないためにわかりにくくなっているものの、読者は作中での“解決”とは別の手順によって、真相を解明することが可能となっているのが本書のものすごいところ。
まず、“三神先生”=“怜子さん”の“一人二役”については、真相が明かされた場面で恒一が回想する(下巻327頁~330頁)伏線――久保寺先生の“三神先生も、むずかしい立場でありながら”
(上巻304頁)という言葉や、望月が“心配になっちゃって”
(上巻294頁)訪ねてきた件(*4)、あるいはクラス名簿について望月が“べつに僕に頼まなくたって……”
(上巻298頁)と口にしていること――以外にも、いくつかの手がかりがあります。
特に、序盤に紹介される「夜見北での心構え」――“昔から伝わるジンクスのようなもの”
(上巻46頁)にすぎない「その一」と「その二」はともかく、「その三」の“クラスの決めごとは絶対に守るように”
(上巻46頁)というのは現在のクラスの状況に関わるものであり、十年以上前の卒業生というだけの立場としてはいささか不自然な発言です。ましてや、料理研究部について“夜見北にはないわねえ、そういうのは”
(上巻117頁)と即答しているのは、現在の学校の状況に通じていなければ不可能ですから、“怜子さん”が現在の学校関係者だと考えるのが妥当でしょう。
そして、美術関係の大学への進学についての“経験上、云わせてもらうと”
(上巻118頁)という言葉で美大出身であることが示唆され、終盤には“美大では油絵をやってて”
(下巻219頁)とそれが明示されているので、“怜子さん”が美術教師である“三神先生”と同一人物である蓋然性が高いといえます。
また、久保寺先生が自殺した7月30日朝のSHRの際、“三神先生は一緒じゃなかった。休みではないはずだけれど”
(下巻81頁)という独白は、“学校では姿を確認していないが、出勤したことは知っている”と考えればしっくりくるもので、“三神先生”=“怜子さん”をさりげなく示唆する記述になっています(*5)。
このように、“三神先生”=“怜子さん”という真相については、作中では公然の事実であって〈現象〉による改竄とは無縁であるがゆえに、その手がかりも比較的全体にわたって配置されています。対して、“誰が〈死者〉なのか?”を示す手がかりは、〈現象〉による改竄の影響をもろに受けることになるわけで、その所在が大きなポイントとなっています。すなわち、恒一らがいる夜見山の“内部”にはなく、〈現象〉の効力が(あまり)及ばない夜見山の“外部”――具体的にいえば、インドにいる父親からの電話の中に配置されています。
恒一の父親が、何度かあった電話の中で一度も“怜子さん”に言及しない――のみならず、序盤(5月6日)には“お義母さんとお義父さんによろしくな。”
(上巻41頁)と、さらに終盤近く(7月25日)には(作者が)改めて念を押すように“おじいさんとおばあさんによろしくな。”
(下巻139頁)と、恒一が世話になっている家族がその二人だけであるかのような言葉を口にしているのが重要で、そのあまりに不自然すぎる“省略”は、父親からみると“怜子さん”が存在していないことを意味していると考えるべきでしょう(*6)。
さらに、6月8日の電話では“一年半ぶりの夜見山”
という発言の後に、(松永克巳が残したカセットテープの“■■”と同様に)突然雑音が混じり始め、ついには“そいつは私の記憶違い……”
(上巻400頁)という唐突な言葉を最後に電話が切れてしまっており、これはインドにいる父親にまで及んだ〈現象〉による改竄だと解釈するのが妥当。つまり、一年半前の恒一の夜見山訪問が、復活した〈死者〉の正体に直結するようなものだった――その際に誰かが〈現象〉により命を落とした、と考えられます。
そして、“怜子さん”が“三神先生”であることを考慮に入れても、“三親等”
(下巻134頁)である恒一には〈現象〉は及ばず、祖父母は三年三組の関係者ではないので(仮に一年半前に亡くなっていても)復活はできず、他に夜見山に恒一の知人がいる様子はない――となれば、該当するのは“怜子さん”ただ一人ということになります。
このあたりについては、「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂 » Another / 綾辻 行人」で指摘されているように、“事件の渦中にいる人間の記憶も、世界を構成している要素も時の経過によって改竄されてしまっている”
中にあっては、“この異様な「世界」の法則の「外部」から手掛かりを手に入れない限り、本作の「犯人」を推理することはできません。”
ということになるのですが、本書では“一人二役”の叙述トリックを仕掛けることで、夜見山の“外部”と(恒一自身を除く)三年三組との接点を切断してあり、真相を気取られることのないよう手がかりを配置してあるのが非常に秀逸です。
作中の登場人物と読者とが、それぞれ異なる手がかり/手順によって真相に到達できる――という仕掛けには前例(*7)もありますが、本書ではいわば“ホラーのロジック”による解決と“ミステリのロジック”による解決が用意されているわけで、まさにホラーとミステリの融合というにふさわしい、ユニークな仕掛けといえるのではないでしょうか。
*2: もっとも、これにはやむを得ない部分もあって、例えば恒一が転校した5月から〈現象〉が始まった(ように見える)ところからしてイレギュラーなわけで、ルールをあまり厳密にしてしまうと話が成立しなくなるおそれがあります。
*3: “三神先生”と“怜子さん”を別人だと見せかける叙述トリックも、“三神先生”を容疑の圏外に追いやる役割を果たしてはいないことに注意。
*4: その少し前、望月が恒一にかけた
“まさか三神先生、何か命にかかわるような重病だったりはしないよね”(上巻270頁)という言葉も、(願望を込めて)同意を求めているように読めますが、“三神先生”の病状を恒一に尋ねているとも受け取れます。
*5:
“こういう場で三神先生とじかに話をするのは、どうもまだ慣れなくて苦手だった。”(上巻180頁)というのも同様。
ついでにいえば、「Interlude II」での、転校してくる恒一の意味ありげな噂――
“でもってね、そいつって実は……。”(上巻361頁)の後に続くのが何なのか、その時点ではさっぱりわからないのですが、真相が明かされてみるとこれは“三神先生の甥”という話だったと考えていいでしょう。
*6: ちなみに、父親が転校について義父母と(電話で)相談する際など、“怜子さん”の存在について会話に齟齬が生じるのではないかと考えてみましたが、そこで九官鳥の“レーちゃん”が叙述トリック的に機能した可能性に思い至りました(笑)。
*7: いわゆる“古典”ではない某海外長編→(作家名)ギルバート・アデア(ここまで)の(作品名)『ロジャー・マーガトロイドのしわざ』(ここまで)。
2013.08.17 / 08.23読了