ミステリー・アリーナ/深水黎一郎
本書では、物語が進んでいくにつれて――より正確にいえば“問題篇”の進行と並行しながら、十五通りの“解決”が順次示されていく構成となっています。本来であれば、あまり早い段階で“解決”が披露されるのは無理がある(*1)のですが、それをうまく成立させてあるのが本書の巧妙なところで、そこには主に三つの要因が考えられます。
最大の要因はもちろん、テレビ番組《推理闘技場{ミステリー・アリーナ}》の“早押しクイズ”形式で、正解は早い者勝ちであるために、解答者たちが“解決”を急ぐのも自然。そしてそれをさらに後押しする二つ目の要因が、解答者たちにとってのリスク/リターンの設定です。解答が間違いだった場合には殺されて臓器を摘出される一方、いち早く正解すれば20億円もの賞金が与えられる、極端なハイリスク/ハイリターンの条件を承知で応募してきた解答者たちは、リスクは覚悟の上で何としてでも賞金を手に入れる必要がある(ということになっている)と考えていいでしょう。それが、多少不確かであっても有望な“解決”を早く披露する、と同時にもちろん他の解答者とは異なる“解決”を何としてでもひねり出す、強力なインセンティブになっているのは確かだと思われます(*2)。
そうはいっても、あまりにも早い段階では情報が不足しすぎて、“解決”しようとしても当てずっぽうになってしまう……はずなのですが、厳しい予選を勝ち抜いてきたミステリマニアを対象とした“ミステリーヲタ大会”であって、(作中の)“現実”の事件ではなくミステリマニア向けの“問題篇”であるために、それを前提とした“メタ推理”――ミステリとして“ありそう”なパターンの推測――が可能となっているのが三つ目の要因。序盤の〈一ノ瀬の解決〉や〈二谷の解決〉で特に顕著ですが、“問題篇”の情報ではなくその枠外にある既存のミステリの手法を材料に説得力を生み出すことで、明らかに情報不足の状態でもそれなりの“解決”が示されているのが見逃せないところです。
それでは、解答者たちによる“解決”について。
- 1.〈一ノ瀬の解決〉
- [“俺”(多重人格)が犯人]
- “視点人物=犯人”というおなじみの(?)パターンですが、“問題篇”がまだ「第2章」、“俺”が鞠子の死体を発見したところまでしか進んでいないこの時点では、他の人物についての情報が少ないがゆえに、視点人物の“俺”(三郎)が最も“意外な犯人”といってもいいかもしれません。アンフェアを回避するために多重人格を持ち込むのはいささか安直ではありますが、
“ほんの少し微睡んだだけのつもりが(中略)一時間近く経過していた。”
(文庫版29頁/単行本20頁)と、“空白”がしっかり用意されているのはうまいところです。
後に〈四日市の解決〉の中で否定されており、くしゃみについての推理はやや強引ではあるものの、“下のシーツが、デニムの水分を吸収した”
(文庫版29頁/単行本20頁)ことから“歩き回っていない”とする推理は、なかなか説得力があると思います(*3)。その後、“俺は多重人格者などではない。”
(文庫版182頁/単行本147頁~148頁)と三郎の独白があるのが決定的でしょうか。
- 2.〈二谷の解決〉
- [丸茂(女)が犯人]
- 丸茂が“探偵役”を買って出ていることから“探偵=犯人”のパターンとなりますが、さらに
“アキのスカートも素敵よ”
(文庫版38頁/単行本27頁)といういかにもな“手がかり”をもとに、“丸茂=アキ”(*4)の性別誤認トリックを組み合わせてあります。加えて、犯行の機会がなさそうな点についても“一人時間差トリック”が用意され、凝った“解決”となっています。
〈三澤の解決〉の中で、服が濡れていないことから“一人時間差トリック”が否定される一方、丸茂が視点人物の「第4章」から少しずつ男性であることを匂わせる描写が増えていき(*5)、「第12章」のトイレの場面(文庫版230頁/単行本187頁)でそれが確定。最終的には丸茂も殺されてしまい、完全に誤りとなっています。
- 3.〈三澤の解決〉
- [沙耶加が犯人]
- 死体発見直後の、三郎が
“ほんの少し手を動かし、それから大声で階下のみんなを呼んだ。”
(文庫版59頁/単行本45頁)という描写を証拠湮滅と解釈し、三郎がかばいそうな人物である沙耶加が犯人とする“解決”で、某有名海外作品を思わせる怪しげな描写をうまく利用してあります。
直後の「第5章」で沙耶加が視点人物となっているのが、“視点人物は犯人にはなり得ない。”
(文庫版95頁/単行本74頁)と力説していた三澤にとって皮肉です。
- 4.〈四日市の解決〉
- [沙耶加(多重人格)が犯人]
- 三郎に対する沙耶加の(あくまでも三郎からみて)不自然な態度や、沙耶加視点の「第5章」での意識や感覚の中断とも思える描写を根拠としたものですが、〈一ノ瀬の解決〉の二番煎じという印象もなきにしもあらず。しかし、その〈一ノ瀬の解決〉を否定する推理は前述のようにまずまずですし、見取図の不在を逆手にとって沙耶加に犯行が可能な部屋割りを導き出すあたりも面白いと思います。
部屋割りの推理が後に否定されている(文庫版168頁/単行本131頁)のはまだいいとしても、沙耶加視点の「第8章」で三郎に対する態度が説明されると、多重人格説の根拠はもはや無きに等しいといっていいでしょう。
- 5.〈五所川原の解決〉
- [ヒデ(女)が犯人]
- 〈二谷の解決〉と同じく性別誤認を絡めた“解決”ですが、こちらは“ヒデ=アキ”とするもの。ヒデが女性らしく思われる根拠がいくつか挙げられていますが、三郎が濡れたボトムの替えをヒデに借りようとしなかったことに着目してあるのが面白いところ。また、三郎が
“ほんの少し手を動かし”
(文庫版59頁/単行本45頁)という描写を引っ掛け――脈を確かめた――と解釈してあるのも見逃せないところで、〈三澤の解決〉と対立する解釈が示されることで、以降の“解決”の自由度が確保されています。
「第8章」で三郎の証拠湮滅が明らかになった後、「第14章」でアキ=秋山鞠子が登場し(文庫版263頁/単行本214頁)、さらに「第19章」で英=ヒデが“さすがは男性”
(文庫版363頁/単行本298頁)とされていることで、この“解決”は完全に否定されます。
- 6.〈六畝割の解決〉
- [ヒデ(男)が犯人]
- 〈五所川原の解決〉とは対照的に、ヒデが年配の男性で別荘の管理人だとする推理で、同じボトムの替えについて異なる解釈が持ち出されているのが面白いところ。そして、管理人の立場ゆえにサークル外の“見えない人”になる、という推理もまずまず。
「第9章」で明らかになった中央階段のワックスがけによって、ヒデ犯人説は否定される――と、司会者の樺山桃太郎が説明しています(文庫版200頁/単行本162頁~163頁)が、これはひとまず妥当でしょうか。
- 7.〈七尾の解決〉
- [たまが犯人]
- 猫に見せかけられた“たま”が人間――犯人だったという(動物)種の誤認トリックですが、“猫”とは一言も記されていないので、これは想定の範囲内。とはいえ、バレリーナというのはさすがに想定外で、苦笑を禁じ得ないところです。また、螺旋階段ではなく中央階段を使うという推理も重要でしょう。
「第9章」ではっきりと猫が登場することで、この“解決”も否定される――とまではいかず、猫の名前は最後まで明らかにされないままなので、決定的な否定材料はありません。
- 8.〈八反果の解決〉
- [アキ=もう一人の鞠子が犯人]
- まず、殺された鞠子が男性だったという性別誤認トリックに驚かされますが、それを支える、“鞠子”が名前ではなく苗字だったというトリックは完全に予想外。しかもそれが、
“実家は静岡の方(中略)《東海道五十三次》にも描かれている”
(文庫版206頁/単行本167頁)と、“とろろめしの全国チェーン店を展開している実業家のパパ”
(文庫版25頁/単行本16頁)という記述から導き出されるのに脱帽です。そして本命は、“もう一人の鞠子”(アキ)が隠れている二人一役トリックで、犯人の存在自体がうまく隠されているのもさることながら、四時に鞠子と電話で話した(文庫版191頁/単行本155頁)という“一人の女”
(文庫版187頁/単行本151頁)を犯人(アキ)とすることによって、中央階段のワックスがけによる密室状況を回避できる犯行時刻の錯誤トリックを仕込んであるのが秀逸です。
後にアキこと秋山鞠子が本当に登場しているとはいえ、“ずっと部屋で休んでいた”
(文庫版263頁/単行本214頁)とすれば、四時に鞠子と電話で話した女性とは別人ということになります。
- 9.〈九鬼の解決〉
- [文太が犯人]
- 犯人にはあまり意外性がありませんが、ダイイングメッセージの
“やや細長いSの文字”
(文庫版182頁/単行本147頁)を“∫(積分記号)”と解釈し、関文太(セキブンタ)につなげてあるのがお見事。さらに、“上下つなぎの白いライダースーツ”
(文庫版18頁/単行本12頁)と“百合の花のような純白”
(文庫版24頁/単行本16頁)の螺旋階段とを組み合わせた保護色トリックが、何とも強烈です。三郎が“最近どこかで見たような気がした”
(文庫版59頁/単行本44頁)ナイフの欛の紋様が、ライダースーツの“エンブレム”
(文庫版18頁/単行本12頁)だというのは、かなり微妙な気がしますが……。
三郎がナイフの欛の紋様を“ようやく憶い出した”
(文庫版343頁/単行本282頁)ことで、ずっと目の前にあったライダースーツのエンブレムではあり得ないとされているものの、それ以外の部分を否定する材料はないように思われますが、「第20章」の最後まできてようやく、文太が沙耶加に犯人を明かそうとしていることで、文太が犯人でないことが確定するといっていいでしょう。
- 10.〈十和田の解決〉
- [英(ヒデとは別人)=アキが犯人]
- タクシー代が
“五千円を超えた”
にもかかわらず“一人当たりは千円ちょっとだった”
(いずれも文庫版14頁/単行本8頁)ことから、タクシーに乗ったのが四人――ヒデと恭子の他に、たまを加えてもあと一人“隠れた人物”がいる、という推理がまず鮮やかです。その“隠れた人物”がアキであるところまでは〈八反果の解決〉と同じですが、沙耶加視点のパートに登場する“英”が三郎視点や丸茂視点の“ヒデ”とは別人という二人一役トリックで、重複を回避してあるのが周到です。
“隠れた人物”として秋山鞠子が登場(文庫版263頁/単行本214頁)しても、たまを猫だと考えれば“英=アキ”が成立する余地は残りますが、沙耶加視点の「第19章」での“〈気配りの英〉”
(文庫版362頁/単行本298頁)が冒頭の“〈気配りのヒデ〉”
(文庫版10頁/単行本5頁)と対応することから、“英=ヒデ”と考えるよりほかなさそうです。
- 11.〈十一月の解決〉
- [並木が犯人]
- 本書の“飛び道具”その1。クローズド・サークルものと見せかけて、犯人がすでに別荘を脱出しているという、大胆な発想の転換にはうならされます。しかし、
“横なぐりの雨に激しく打たれている並木が、まるで身を捩るかのように左右に揺れている”
(文庫版22頁/単行本14頁)という記述が、“並木という人物”の描写だと断じているのにも唖然とさせられますが、その直後に三郎が“無意識のうちに(中略)万年筆のキャップの部分を、指の腹で触っていた。”
(文庫版23頁/単行本14頁)ことを、“並木→並木製作所→パイロット万年筆”という連想の結果だとするマニアックな(失礼)推理には絶句。
〈十二月田の解決〉の中で、丸茂の“今年もみんなよく揃った”
(文庫版37頁/単行本26頁)という台詞(*6)などによって並木の存在が否定されていますが、これはまったく妥当だと思います。
- 12.〈十二月田の解決〉
- [恭子・文太・たま・秋山鞠子が犯人]
- このあたりまでくると、“解決”でクリアすべき条件が色々と厳しくなってきている感があります。一つには、鞠子の携帯電話の履歴が調べられることを念頭に置くと、〈八反果の解決〉で示された犯行時刻の錯誤トリックが難しくなり、中央階段の密室状況が再浮上すること。そしてもう一つ、深夜に平三郎が丸茂の部屋の前にいたという文太の目撃証言(文庫版300~302頁/単行本245頁~246頁)もネックで、それを尋ねられて否定した際の三郎の心理描写(文庫版306頁/単行本249頁)をみると、三郎が嘘をついているようには思えません。これらを一気にクリアできるのが、(作中にもあるように
“海外の超有名作品”
(文庫版329頁/単行本269頁)を思わせる)“全員(?)が犯人”という“解決”で、普通に螺旋階段を使えるのもさることながら、犯人グループである文太の目撃証言を嘘だと片付けることができるのが効果的です。
〈九鬼の解決〉と同様に、「第20章」の最後で文太が犯人ではないことが明らかになり、この“解決”も瓦解します。
- 13.〈十三の解決〉
- [丸茂が犯人]
- 殺されたと思われた丸茂について、
“冷たくなってる”
・“変わり果てた姿”
・“ひどい有様”
(文庫版299~300頁/単行本244頁)としか書かれていないことを根拠に、丸茂による狂言だとする“解決”ですが、微妙な記述が目につきやすいので十分に予想できるところでしょう。そして、文太の目撃証言を説明するものすごい推理には苦笑。しかし重要なのは、ワックスがけによる密室状況を無効化する二重螺旋階段の推理で、“フランスのどこかのお城にある、有名な芸術家の設計した螺旋階段を模しているらしい”
(文庫版25頁/単行本17頁)というさりげない記述が、思わぬトリックにつながるところがよくできています。
「第20章」の最後で文太が“丸茂と平を殺したのも同一人物だ”
(文庫版394頁/単行本323頁)と断言していることで、丸茂が本当に死んでいることが確定し、狂言説は崩れます。
- 14.〈十四日の解決〉
- [鞠子が犯人]
- 最初の事件がそもそも狂言で、死んだふりをした鞠子が犯人という、典型的な“バールストン先攻法”。ミステリ研OB・OGを相手にした“問題”を絡めてあるのは納得できるところですし、鞠子の“死体”が消えたことに説明がつくのもうまいところですが、三郎と丸茂が協力者だったというあたりは微妙。十四日が説明しているように、それで筋が通る部分があるのも確かですが、三郎が“S”のダイイングメッセージを消した――三郎視点での内面なので虚偽ではない――ことは、狂言だと認識していればどう考えても不自然。また、前述の文太による目撃証言が完全にスルーされているのもいただけません。
「第20章」で指摘されているように、“血によってどす黝く染まっている”
(文庫版58頁/単行本44頁)(*7)などの描写から、鞠子が本当に死んでいたことになり、この“解決”も誤りとなります。
「第16章」に至って、序盤から少しずつ匂わされていた《ミステリー・アリーナ》の詳細と恐るべき背景が明らかになりますが、「第5章」最後の誰のものともわからない不穏な独白(文庫版122~123頁/単行本97頁)を考えると、番組がどのような結末を迎えるのかおおよそ見当がつくのではないかと思います。しかし、「第19章」の〈十四日の解決〉の途中で突然、退場した解答者たちが乱入してくる展開に苦笑……していると、そこで暴露される《ミステリー・アリーナ》のとんでもない仕掛け――正解者を出さないために、解答者の解答に応じて“問題篇”を次々と分岐させていく仕組みに打ちのめされます。
ストーリーの分岐自体は、ゲームブックの昔からある仕組みの応用ともいえますし、ストーリーの進行につれて追加される情報(手がかり)によって可能性が一つに収束していくのは、(大方の)ミステリの本領といっても過言ではないのですが、それらを組み合わせることによって作り出される、“解決”に対応して“問題篇”がダイナミックに変貌する(*8)イメージ――しかもそれが、絶対に正解を許さないという“悪意”に基づいているところが何とも強烈。何を答えても――いかにも正解らしくみえる答でも間違いになってしまうことで、解答者が残っている限り次々と“解決”を示す必要に迫られる、いわば“強制多重解決システム”が構築されているのに脱帽です。そしてまた、最終的に“真相”を確定させながらも、同時にすべての“解決”が“真相であり得た”裏事情を明かすことで、“唯一の真相”と“解決の相対化”を両立させてあるのがすごいところです。
現実的に考えれば、“問題篇”のストーリーを進行させていかなければならない一方で、解答者が解答するタイミングや示される解答(の内容)の順序は番組側でコントロールできないのですから、“解答者の数よりも一つ以上多い分岐シークエンス”
(文庫版379頁/単行本311頁)どころではすまないようにも思われます。例えば、ストーリーが進行して“アキ”の正体が確定した後では、“アキ”に関わる複数の“解決”が出てくるはずがないので、場合によっては“アキ”の正体を確定させないまま他の部分だけ話を進める、といった操作が必要になる……かもしれません。
もっとも、正解者を出さなければ十分であって、番組側が用意した“解決”を解答者が網羅する必要はないのであれば、粛々と可能性を狭めていけばよさそうなので、分岐の数は少なくても何とかなるのではないでしょうか。また、とりあえず本書の(今回の)“問題篇”に限っては、他の分岐シークエンスが残っていたとしても、最終的には十五番目の、誰も当てられそうにない〈最後の解決〉に収束させてしまえば大丈夫だと思われますし、そうするのがベストでしょう(*9)。
……閑話休題。前述の“強制多重解決システム”を支えているのは、犯人/真相を積極的に示唆する手がかりの不在です。“解決”をある程度制限し、そのヒントにはなり得るとしても、極端にいえばどうとでも解釈できる“消極的な”手がかりがほとんどで、例えば〈五所川原の解決〉と〈六畝割の解決〉での“ボトムの替え”のように、異なる解決を補強する材料として機能し得るものもあります。否定材料の登場によって可能性が狭まっていくものの、なかなか一つに収束しそうな様子がないのは、このあたりによるものでしょう。
しかし“問題篇”の最後、「第20章」までくると様相が変わります。以下に引用するのはその最後の、文太と沙耶加のやり取りです。
「つまり狂言で死んだフリをする予定だった鞠子を、本当に殺害した人間がいるんだよ。鞠子の死体を隠し、丸茂と平を殺したのも同一人物だ」
「となると犯人は……」
「もちろん。もう言わなくてもわかるだろう?」
(中略)一番犯人であって欲しくない人間。できればその可能性は、考えたくもなかった人間――。
(文庫版394頁/単行本323頁~324頁)
このやり取りを通じて沙耶加には犯人がわかった、ということはすなわち、会話の中に〈犯人の条件〉が示されているということになります。つまり、鞠子の狂言を事前に知ることができ、またその死体を隠す理由がある――ということが、文太にも沙耶加にもわかっている人物ですから、少なくとも“鞠子に特別近しい人物”が犯人ということになります。と同時に、その人物が、沙耶加にとって“一番犯人であってほしくない人物”であることも示されています。
加えて、“メタ情報”に基づく条件として“それまでの“解決”と重複しない人物”(ただし属性が違えば可)であることも、もちろん求められます。したがって、〈犯人の条件〉は以下のようになると思います。
- それまでの“解決”と重複しない人物
- 鞠子に特別近しい人物
- 沙耶加にとって一番犯人であってほしくない人物
さらにいえば、“S”のダイイングメッセージや、文太による平三郎の目撃証言など、“解決”の中で辻褄を合わせる必要がある事項がいくつかありますが、《ミステリー・アリーナ》の真の黒幕・樺山桃太郎が用意した、すべての条件を満たす真犯人は完全に予想外。
- 15.〈最後の解決〉
- [鞠子の息子・平三郎が犯人]
- というわけで、本書の“飛び道具”その2。上の〈条件1〉~〈条件3〉を思わぬ形でしっかり満たしているのは確かですが、この期に及んでさらに“隠れた人物”を取り出してくるのはさすがに卑怯(←ほめ言葉)。〈犯人の条件〉が示されるとともに、ある程度の伏線も張られているとはいえ、これを当てられる読者はまずいないのではないでしょうか。
しかし、終盤にきて解決への高いハードルとなっている文太の目撃証言が実は、“隠れた人物”に言及してその存在を裏付けるほぼ唯一の機会として用意されたものだったところに、完全にしてやられました。あまりメリットが見えず、いたずらに解決を難しくしているだけのようにも思われたのですが、これならば納得せざるを得ません。
また、これまでの“解決”では取り沙汰されなかったので気づいていませんでした(*10)が、沙耶加の口紅を盗む機会の問題について、うまく説明されているのもお見事です。
“S”のダイイングメッセージはかなり強引な説明ですが(苦笑)、一応は納得できなくもないところで、全体としては強烈な意外性とまずまずの説得力を兼ね備えた、非常によくできた解決といえるのではないでしょうか。
正直なところ、〈最後の解決〉以上の“解決”をひねり出す余地はまったく残されていないと思われます。とはいえ、お約束といえばお約束なので(?)、かなり微妙ではありますが〈十六番目の解決〉をどうぞ。
*2: 正解の“後追い”をした場合には
“賞金はもちろん得られませんが、執行は免除されますよ”(文庫版266頁/単行本216頁)というルールのようですが、これでは(絶対に正解は出ないとしても)解答者が解答を自重する方向に作用しかねないようにも思われます。
*3: ただし、これは〈一ノ瀬の解決〉よりも前に示された情報――〈一ノ瀬の解決〉を受けた分岐での情報ではない――なので、最後に明かされる《ミステリー・アリーナ》の仕掛けと微妙に整合していない感があります。裏を返せば、決定的な材料とまではいえない、ということかもしれませんが。
*4:
“丸茂はサンキューと言いながら”の直後に、スカートをほめられたアキが
“そう? サンキュー”(いずれも文庫版38頁/単行本27頁)と返答しているのも、“丸茂=アキ”というミスリードを助長する効果があるでしょう。
*5: “解決”が示された途端にそれを否定するような情報が増えていくのは、まさしく
“解答を傍で聞いていて、意地悪をしているかのようです!”(文庫版110頁/単行本87頁)という、ご都合主義のように感じられて気になっていたのですが、終盤に《ミステリー・アリーナ》の仕組みが明かされると納得で、うならされます。
*6: これも〈一ノ瀬の解決〉と同じく、否定材料でありながら分岐前に配置されているのが気になるところです。
*7: さらにその後に、
“血なのだから真っ赤に染まっていると表現した方がわかりやすいのだろうが、俺はあくまでも、自分の目で見た通りの印象を記しておきたい。”(文庫版58頁/単行本44頁)と、鮮やかな赤色とは違うことを強調するかのような描写があるのも周到です。
*8: 探偵役の解決に対応して事件の様相(?)が変わるという点で、某国内作家の怪作((以下伏せ字)殊能将之『黒い仏』(ここまで))を連想しました。
*9: 〈最後の解決〉自体がよくできているのもさることながら、(“鞠子”ネタもそうですが)人名ネタは使い回しが難しいと思われる――別の問題で似たような名前が登場してくると、ネタに気づかれやすくなる――ので、ここで披露しておかないとお蔵入りになりかねない、ということもあります。
*10: 口紅を盗み出す機会がかなり限られることが明るみに出ると、容疑者も限定されてしまうことになるので、作者としても(作中の樺山としても)あまり触れたくないところなのは確かでしょう。
2015.06.25読了