新世界崩壊/倉阪鬼一郎
まず、シンディの書いた童話「バラの館」・「鏡の館」・「踊る館」では、“あっるあるある”
(46頁)や“ひっょー”
(136頁)など“っ”の扱いがいかにも不自然で、“っ”の後の文字が暗号になっていることを見抜くのは、さほど難しくはないでしょう。また、上小野田警部がいうところの“ミサ曲のコーダ”
(152頁)の部分が警部の推理より直接的な表現であることも、“スペシャルステーキ”を念頭に置けば予想できるはず。とはいえ、シンディの本名“スズキ・ヨネ”が織り込まれていたり、“っ”がシンディの体格を表していたり、といったあたりには意表を突かれましたが。
“アメリカ”(“ニューヨーク”・“サンフランシスコ”)や“イギリス”(“ロンドン”)が高級ファッションヘルスだったという真相には脱力を禁じ得ませんが、“鏡がたくさんあるところといえば(中略)高級ファッションヘルスだったり……。”
(93頁)と、早い段階でぬけぬけと真相が暗示されているのには脱帽です。上小野田警部らが実際にアメリカにいるかのような地の文は、アンフェアといえばアンフェアかもしれませんが、“演劇的人間”
(81頁)というキャラクターを踏まえれば、個人的には納得できる範疇です。
そして本書の最大の見どころである、上下段同時進行のパートに仕掛けられたタイポグラフィックな〈伏線〉は圧巻。正直なところ、あれをエレベーターだといわれても直ちには受け入れがたいものがないではないのですが(苦笑)、すべての頁の各段に“一|階”または“二|階”という文字が仕込まれた中、頁中央の行に上下段を貫く空白が配置され、実際にシンディがその箇所で上段から下段へ(あるいは下段から上段へ)移動までされてしまうと、納得せざるを得ないでしょう。いずれにしても、文章(文字)の配置でエレベーターを表現するという、誰も考えもしない奇天烈なアイデアには頭が下がります。
さらに、この〈伏線〉の謎解き場面での提示の仕方が面白いところ。一般に、叙述トリックについては作中で〈伏線〉を指摘することは困難なのですが、とりわけこの〈伏線〉の場合にはテキストの配置――テキストの内容(すなわち作中の事実)ではなく――という形であるため、本来であれば作中の登場人物にすぎない上小野田警部は認識すらできるはずがないもの。にもかかわらず、メタホラー的な強引な手法で上小野田警部に〈伏線〉を認識させているのが何ともいえませんし、序盤から“わたしは小説の中の登場人物にすぎない。”
(45頁)といった形で“仕込み”が行われているのが秀逸です。