独捜!/霞 流一
終盤になるとまず桐井が、〈瀬良が犯人〉とする事件の“アウトライン”を説明します。すなわち、二年前のジュエリー窃盗事件がすべての発端で、瀬良がその共犯だったことに気づいた宮寺が殺害され、さらにK公園のオブジェで脅迫してきた鶴木も殺害されたというものですが、よりストレートに〈ネックレス〉を表現している(ようにみえる)鶴木殺しの際のオブジェ――本来なら瀬良自身が絶対に作るはずのないオブジェについて、存在するかもしれない“第三の脅迫者”に向けた“公開脅迫状”(*1)という形で、それなりに辻褄の合う説明をつけてあるのがうまいところです。
それに対して光弓は、事件の“インナー”こと密室殺人には触れることなく、鶴木殺しだけをもとにして異なる犯人を導き出しますが、【前提の確定】→【容疑者の範囲の限定】→【犯人の条件】と進んでいく、三段階の推理が実に丁寧でよくできています。
まず最初は、鶴木のトランクルームで見つかったリボンやロープが、泥で汚れたまま(173頁)美少女フィギュアの上に押し込まれていた(174頁)ことで、鶴木ではなく〈犯人が隠した〉としています。一見すると犯人特定からはだいぶ離れていますが、次の手順へ進むためには、ここで〈キイホルダーが犯人の落とし物〉だと確定させることが不可欠です。
次はそのキイホルダーが手がかりで、会社関連の鍵と間違えずに正しい鍵を持ち出した(*2)ことから、〈犯人はナスカイ工房の社員〉と容疑者が限定されます。読者の立場からするというまでもないようにも思えますが、特に鶴木殺しはクローズドサークルでも何でもないわけですから、予備的な【犯人の条件】としてきちんと押さえておくべきところなのは確かでしょう。
そして最後に、犯人が持ち去ったポケットティッシュと粘着テープが、即席の絆創膏(*3)を作るのに使われたとする推理によって、ついに〈怪我をした人物が犯人〉という【犯人の条件】が導き出されるのが鮮やか。怪我人らしい人物が見当たらないために真相が見えにくくなっていますが、不自然に右手だけを使う動作(167頁~169頁)が手がかりとしてしっかり示されています。ということで、〈椎谷が犯人〉とする光弓の推理にも納得です。
その後に解き明かされる密室トリックは、密室外からドア越しの犯行という点では、超有名な海外古典(*4)のバリエーションといえるかもしれませんが、キャスター付きの椅子(101頁)による被害者の移動が非常に効果的で、凶器のナイフが被害者自身の持ち物だったことと併せて、衆人環視下の犯行が成立しているのが面白いところです。
窓ガラスが割れたとはいえ、地上五階からの脱出はさすがに不可能なので、室内での“怪しげな音”
(63頁)も含めたタイミングを考えれば、その時に室内に手を入れた椎谷が最も怪しいはずですが、やはり死体がドアからだいぶ離れていたことがネックとなります。裏を返せば、椅子のトリックさえ見抜ければ犯人は明らかなので、桐井の推理をスライドさせた鶴木殺しの動機も納得しやすいですし、鶴木がトリックを見抜いたきっかけに関する光弓の推測(219頁)も妥当なところでしょう。
読者や捜査陣に対しては、“一反木綿”の直前の“西日を反射するものが窓に近づいてきた”という目撃証言(159頁)と、椅子の“シルバーフレームの背もたれ”
(100頁)が、有力な手がかりとなっています。“一反木綿”ことマフラーがかけてあったコート掛けについても、“デスクとコート掛けの間をすり抜けて窓に歩み寄った。”
(100頁)と、窓の近くにあったことが描かれているので十分ではないでしょうか。
謎解きの最後には、“椎谷さんは江畑チーフを一人の女性として愛していた”
(225頁)と、性別誤認の叙述トリックが仕掛けられていたことが明らかになります。フーダニットとは直接の関係がないので、トリックの意味/効果がわかりにくいところがありますが、このタイミングで江畑チーフが女性だと明かすことによって、宮寺を殺した椎谷の動機に説得力が加わっている(*5)のは間違いないでしょう。すなわちこの叙述トリックは、読者を納得させるための“伏せすぎた伏線”として機能しているといえるのではないでしょうか。
叙述トリックとしては、江畑チーフが“使い心地と感触”
を知るために“電気シェーバーを顎に当て”
る――しかも“今、剃っていたんですか?”
(いずれも92頁)という質問に対してそのように説明する――あたりはうまいと思いますが、“奥さん、悩んでいたっけ”
・“結局、自殺”
(いずれも76頁)の下りで江畑チーフを“奥さん”と呼んでいるのは、少々あざとすぎるように思われます(*6)。
(前略)考えてみれば、戸野間さんがああして愉快犯現場を作ったからこそ、殺人犯や脅迫者が反応して、便乗して、足を引っ張り合って、その結果、それぞれ馬脚を現して、事件解決へと結びついたんですからね。(後略)
(232頁)
さて、「エピローグ」で光弓が指摘しているように、愉快犯の犯行が殺人事件の顛末に大きな影響を与えているのは確かで、本書では殺人事件よりもむしろ愉快犯の方が“主”だと考えてもいいでしょう。
まず最初の四件の愉快犯現場について、光弓が解き明かすオブジェの数と駅の法則は、推理が困難な反面ありがちといえばありがちではありますが、続いて愉快犯本人しか知り得ない手袋に関する“失言”(54頁)から、〈独捜〉の班長・戸野間その人が愉快犯だと判明するのはやはりなかなか強烈です。しかしそれにとどまらず、オブジェの意味は〈考えていない〉上に、光弓が拾った法則のメモはうっかり落としたらしいという顛末には、さすがに脱力を禁じ得ません(苦笑)。
しかるに、法則から外れるので明らかに戸野間の仕業ではないK公園のオブジェは、“犯人”が何らかの意味を込めて愉快犯を模倣したことになるわけで、桐井の推理では前述のように鶴木による〈ネックレス〉の見立てとされています。このように、当の愉快犯(戸野間)自身ですら意味を即答できない抽象的なオブジェであるがゆえに、“大喜利”よろしく関係者たちがそれぞれの解釈を当てはめていくことになるのが本書の眼目でしょう。
結局のところK公園のオブジェは、当初は“自転車のタイヤとベンチだけ”だったという目撃証言(160頁~161頁)、鶴木のタイヤに関する“失言”(90頁)(*7)、さらに鶴木のトランクルームで見つかったリボンやロープについての光弓の推理によって、鶴木と椎谷の“合作”ということが明らかになりますが、ここで自転車のタイヤとベンチをつないだオブジェが、密室トリックに使われた〈キャスター付きの椅子〉の見立てだった(*8)という真相が秀逸。いわば、“見立て殺人”ならぬ“殺人見立て”という逆転した図式が非常にユニークです。
脅迫された椎谷が、オブジェを増やすことで最初の四件に寄せてカムフラージュを図るのも納得できるところですが、さらに鶴木殺しの際に被害者がキャスター付きのワゴン(124頁)の上に倒れた(*9)ことで、期せずして再び“殺人見立て”になってしまったという“殺人見立ての天丼”も面白いところですし、瀬良をスケープゴートに仕立てるために、K公園のオブジェをうまく発展させる形で〈ネックレス〉の見立てへと軌道修正しているのも巧妙です。
事件解決後、捜査一課に対してはオブジェの“多重解釈”を利用して〈ネックレス〉の見立てを前面に出し(*10)、殺された宮寺に押しつけて戸野間の犯行をうまく隠しているのがお見事。そしてその裏で、光弓が戸野間の無意識(?)を解き明かして、すっきりと腑に落ちる〈手錠〉の見立てという解釈を示すのが鮮やかです。
*2:
“半年前に取れて失くしたと鶴木から報告された”(174頁)と、犯人が持ち出した際にはすでに鍵の番号札がなかったことが示されているのが周到です(ちなみに、番号札がなくても、
“ドアには名札が貼られていた”(172頁)ので鶴木のトランクルームはわかります)。
*3: 光弓は、町金融の多田の絆創膏がヒントになったとしています(205頁)が、読者向けのヒントなのか、195頁で“絆創膏”が“連打”されているのが愉快ですし、
“人生の絆創膏”には苦笑を禁じ得ません。
*4: いうまでもなく、(作家名)カーター・ディクスン(ここまで)の長編(作品名)『ユダの窓』(ここまで)です。
*5: 社内に激しい派閥争いがあるわけでもないようですし、単に“上司と部下”というだけでは、さすがにそこまでするとは考えにくいでしょう(……と書いたところで、部下が“そこまでした”作品を思い出してしまいましたが……)。
*6: もっとも、
“宇佐美さん、椎谷さん、江畑さんたち、彼ら創立メンバーはみんなデザイナー仲間でね”という野々村の言葉をみると、現在の江畑(智佳子)チーフだけでなく夫の江畑亮介もデザイナーにして創立メンバーだったとも解釈できるので、そうだとすれば夫と区別するために
“奥さん”という呼び方になっても不思議はありません。しかしそうであっても、その後の
“営業とか事務とかは三人(注:宇佐美・椎谷・江畑と考えられる)の奥さんたちがパートみたいに手伝ってね”(いずれも79頁)というのは、現在の江畑チーフの姿をみるとあり得ないような気が……。
*7: 同じく“失言”とはいえ、余計なことを言ってしまった戸野間に対して、こちらは“言い落とし”という形で変化をつけてあるのがさすがです。
*8: 密室トリックの解明による犯人特定が採用されていないのは、作者のロジカルな推理へのこだわりもあるでしょうが、トリックの解明から“見立て”まで一気に持っていくためではないかと思われます。
*9:
“血糊がテーブルにこびりついていた”(124頁)ことから、妥当な推理といっていいでしょう。
*10: 宮寺殺しが
“十月二十一日”(61頁)なのに対して、一連の愉快犯は
“十月二日”(29頁)から始まっているので、正直に“〈密室トリック〉の見立て”だと説明するわけにはいきません。
2017.01.05読了