黒面の狐
[紹介]
戦後間もない混乱期。放浪の旅に出て、北九州のとある駅に降り立った物理波矢多{もとろい・はやた}は、そこで合里光範{あいざと・みのる}に助けられたことがきっかけで、合里とともに炭鉱で炭坑夫として働き始めた。そんなある日、合里が落盤事故で坑道に取り残されたのを皮切りに、波矢多の住む炭鉱住宅で、炭坑夫たちが次々と注連縄で首をくくる、不可解な連続怪死事件が発生する。現場はいずれも密室状態の自室で、当初は自殺とも思われたが、現場近くではいつも黒い狐の面をかぶった人影が目撃されていたのだ。そして……。
[感想]
もともとは〈刀城言耶シリーズ〉として構想されたものの、刀城言耶は炭鉱という舞台にそぐわないということで、新たな探偵役・物理波矢多が主人公に据えられた(*1)、新シリーズの第一作です(*2)。ホラー要素も盛り込まれているとはいえ、〈刀城言耶シリーズ〉に比べるとホラー色は薄めで、民俗学指向も若干は見受けられる(*3)ものの、最も前面に出されているのは舞台となる炭鉱という“社会”そのものであり、その点では歴史ミステリ/社会派ミステリに近いところがあるといえるかもしれません。
物語は、波矢多が悪評高い炭鉱で働かされそうになったところを合里光範に助けられる一幕に始まりますが、そこから二人の過去――戦時中に朝鮮人の徴用に携わっていた合里と、満州の建国大学(*4)で抱いた理想と現実の乖離に挫折を味わった波矢多――が、それぞれ一章を費やして語られるのが目を引きます。そして、炭坑夫となった波矢多の生活を通じて、炭鉱という世界が徹底的に描かれていく(*5)のが読みごたえ十分。またその中にあって、先輩坑夫の一人・南月尚昌が自らの体験として語る炭鉱での怪異譚(*6)がアクセントになっています。
やがて、合里を巻き込んだ落盤事故が起きてからは一転、炭鉱が操業停止を余儀なくされることで“炭鉱小説”の要素が後退する一方、密室状況での異様な“注連縄殺人事件”が立て続けに発生する怒濤の展開で、物語は――“黒面の狐”の出現などでホラー風味も添えられているものの――ほぼ完全にミステリへと変容します。警察が炭鉱会社の意向を汲んで(当初は)事件を自殺で片付けようとするのに対して、(坑内に取り残された合里の心配もしながら)南月をワトスン役として(*7)探偵活動に乗り出す波矢多の姿は、やはり刀城言耶を髣髴とさせるところがあります(*8)。
ミステリとしては、共通する動機が見当たらないまま炭鉱住宅の同じ棟の住人が次々と殺されていく、事件の不可解な様相も目を引きます。大部分の被害者たちのつながりは、終盤になって“ある人物”の手記で明らかになりますが、それで直ちに解決とはいかず、作者お得意の“一人多重解決”に突入するのが見どころ。本書では特に、容疑者らしい容疑者が不在のため、波矢多が意外な容疑者を次々と取り出してくるのが圧巻です。推理の手順には気になる部分もあります(*9)し、見方によっては犯人がわかりやすいところがあるかもしれませんが、十分に面白い真相といえるのではないでしょうか。
ついに事件が解決された後には、波矢多と人々との別れを描いた後日談が配されているのが〈刀城言耶シリーズ〉にはない魅力ですが、そこからさらに(波矢多から作者へと視点を移して)炭鉱/石炭産業の行く末など“その後”の歴史に言及した結末へとたどり着くことで、やはり歴史ミステリらしい味わいが生み出されている感があります。ということで、〈刀城言耶シリーズ〉とは一味違った新シリーズ、炭鉱を離れて別の舞台が用意される次作も――加えて本書の文庫版(*10)も――楽しみです。
*2: 作者のツイートによれば、
“物理波矢多シリーズ第二弾『白魔の塔』を脱稿する。(中略)来年(注:2019年)の四月に文藝春秋から刊行予定。”とのことです。
*3: 波矢多が炭鉱の俗習に思いをめぐらせながら、
“今は廃れた昔のものも含めて蒐集することで、炭鉱ならではの文化が見えてくるのではないか。”(214頁)と考える場面など。
*4: 「建国大学 - Wikipedia」を参照。
*5: このあたりは、上のインタビューでも語られているように、“外から訪れる”しかない刀城言耶ではかなり難しいところがあるでしょう。
*6: とりわけ、南月が坑内で出会った“狐面の女”の話が何とも恐ろしく、また“黒面の狐”との関連をうかがわせるという意味でもよくできています。
*7: 読書好きということで意気投合した波矢多と南月の会話には、炭鉱を舞台にした大坂圭吉「坑鬼」(『とむらい機関車』収録)など探偵小説も出てくるので、南月が波矢多のワトスン役をつとめるのも自然です。
*8: 炭鉱という社会の“内側”に入り込んだ波矢多ですが、落盤事故で“炭鉱の日常”が停止したこともあって、炭坑夫としては異色の経歴ゆえの異質さが際立ち、刀城言耶と同じような
“マレビト”(上のインタビューより)に近づいているように思われます。
*9: 主に真相の見せ方との兼ね合いで、致し方ないところではあると思いますが……。
*10: 再び作者のツイートでは、
“文庫特典として掌編「ある老炭坑夫の話」が冒頭につきます。文春文庫より来年(注:2019年)の三月上旬の刊行予定。”とされています。
2016.11.15読了 [三津田信三]
先生、大事なものが盗まれました
[紹介]
“探偵高校”と呼ばれる御盾高校、“怪盗高校”と呼ばれる黒印高校、そして灯台守高校――三つの高校を擁する凪島には、数多くの怪盗たちと探偵たちが暮らしている。その中にあって、“盗めないものはない”とも言われる伝説の怪盗・フェレスが、凪島のアートギャラリーに“あなたのだいじなものをいただきました。”
との犯行声明が記されたカードを残した。灯台守高校に入学したユキコは、“怪盗高校”の幼馴染み・シシマルとともに、“探偵高校”の幼馴染み・チトセの捜査に協力するが、その行く手にはなぜかユキコの担任・ヨサリ先生の姿が……。
[感想]
講談社タイガで始まった北山猛邦の新シリーズ(*1)は、一風変わった“怪盗もの”となっています。“怪盗もの”といえば、主に“なぜ(何のために)盗むのか?”を中心に据えたエドワード・D・ホック〈怪盗ニック・シリーズ〉(*2)のような例外もあるものの、基本的には“どうやって盗むのか?”に重点を置いた作品が多い――次いで、“怪盗”の正体を探すフーダニットになるでしょうか――のではないかと思われます……が、本書ではそれらに代わって“何が盗まれたのか?”が中心となっているのが最大の特徴です。
普通は盗まれた被害者が確認すれば済んでしまう話なので、“何が盗まれたのか?”はそもそも謎として成立させるのが難しい(*3)わけですが、本書ではそのためにファンタジー風の設定が導入されているのが作者らしいところ。すなわち、本書の怪盗たちは不思議な仕事道具と代々受け継がれてきたスキルによって(*4)、常識では考えられないもの――形のないものまで盗むことができるため、一見すると何が盗まれたのかわからない状況が成立し得ます。その一方で、盗まれたものがわからなくても事件が発覚するように、“何かが盗まれた”ことを検知できる“能力”を主人公・ユキコに与えてあるのが周到です。
カバーなどには“「誰が?{Who?}」ではなく「どうやって?{How?}」でもなく「何が盗まれたか?{What?}」”
とありますが、実際のところは“何が盗まれたのか?”だけで終わりではなく、盗まれたのが突拍子もないものであればあるほど、(前述の〈怪盗ニック・シリーズ〉のように)“そんなものをなぜ盗んだのか?”という謎が浮上してくるのは必定。さらに補助的に“誰が/どうやって(*5)盗んだのか?”も加わった複合的な謎は、いわゆる“ホワットダニット”の一種といってもいいかもしれません。いずれにしても、“何が?”と“なぜ?”が軸となる謎解きは、作中で言明されているように“推理力と、何よりも想像力が試される”
(67頁)ものですが、手がかりは十分に用意されているといっていいでしょう。
さて、三つのエピソードに分かれている本書ですが、最初の「先生、記念に一枚いいですか」はユキコと担任のヨサリ先生の珍妙な出会いから、御盾・黒印・灯台守に分かれた三人の幼馴染みによる(背景の説明と)事件の捜査へ進んでいきます。盗まれたのはとんでもないものですが(苦笑)、バランスをとるようにわかりやすく書かれていますし、真相は思いのほか早く明かされます(*6)。姿を現した怪盗との対決も面白いですが、最後に明らかになる印象深い動機が秀逸です。
次の「先生、待ち合わせはこちらです」は、冒頭から描かれるユキコの日常に怪盗の魔の手が忍び寄る物語。盗まれた“もの”自体は読者には歴然としているのですが、それがまったくわからない作中の登場人物たちが、盗まれたことで生じた日常の中の異変を積み重ねて真相にたどり着く過程が見どころです。さらに、そこから先の謎解きと対決の顛末も鮮やかで、本書の中での個人的ベストです。
ユキコとシシマルが(*7)、“怪盗フェレスの隠れ家”と噂される廃墟同然の館に潜入する「先生、なくしたものはなんですか」では、その館でかつて起きた殺人事件の謎解きが前面に出されており、本書の中では最もオーソドックスなミステリに近いところのある異色のエピソードとなっています。しかし殺人事件だけにとどまらず、ヨサリ先生の秘密の一端にまでつながってくる展開、そして次作への期待を抱かせてくれる結末が見事です。
“続く”と記されています。
*2: “何を盗むのか?”が謎となった「空っぽの部屋から盗め」(『怪盗ニック全仕事2』収録)もありますが。
*3: すぐに思い出せるのは、盗まれたものを被害者自身が確認しきれないアイザック・アシモフ「会心の笑い」(『黒後家蜘蛛の会1』収録)や、被害者が確認した結果が捜査陣にうまく伝わらない深水黎一郎「盗まれた逸品の数々」(『大癋見警部の事件簿リターンズ』収録)くらいです。
*4: 具体的な仕組みは一種の“ブラックボックス”になっているため、ハウダニットに関する面白味はほとんどないのですが、特殊設定下のハウダニットはもともと、読者の方も「特殊設定を使って何とかしたんだろう」というところで思考停止しがちなところがあると思われるので、むしろこのような扱いが“正解”といえるかもしれません。
*5: 本書の場合、主に“どのような仕事道具を、どのように使ったのか?”ということになります。
*6: 何が盗まれたのかを確認する手段がなかなか面白いと思います(少々怪しい気がしないでもないですが……)。
*7: 灯台守のユキコ・御盾のチトセ・黒印のシシマルの“探偵団”三人組――という当初の設定が、(一応伏せ字)ヨサリ先生の存在(ここまで)によってうまく機能しなくなっているきらいがあり、「先生、待ち合わせはこちらです」では(理由もあるとはいえ)シシマルが登場せず、「先生、なくしたものはなんですか」ではチトセの出番がほとんどなくなっている状態で、次作ではどのように処理されるのか気になるところです。
2016.11.23読了 [北山猛邦]
八獄の界 死相学探偵6
[紹介]
恐るべき呪術を駆使して数々の事件を引き起こしてきた“黒術師”だったが、ネット上ではその噂を知った一部の人々から崇拝を集め始めていた。そんな中、“黒術師”を追う黒捜課の曲矢刑事から、“黒術師”が崇拝者を集めて行き先不明のバスツアーを主催すると聞かされた死相学探偵・弦矢俊一郎は、ツアーに参加して潜入捜査を行うことになった。だが、参加者全員が得体の知れない〈八獄の界〉の呪符を身に着けさせられた上に、潜入者の存在が“黒術師”に知られていることが発覚する。さらに俊一郎が“死視”を行ってみると、ツアーの参加者全員にくっきりと死相が視えていたのだ……。
[感想]
〈死相学探偵シリーズ〉の第六弾となる本書は、“死相学探偵”・弦矢俊一郎が怪異現象や奇怪な事件の調査に乗り出し、やがて事件の背後で糸を引く“黒術師”の存在が浮かび上がる――というこれまでの定型とは違って、黒捜課の依頼を受けた俊一郎が“黒術師”の秘密に迫るべく、“黒術師”の崇拝者たちが集うバスツアーに紛れ込んで単独で潜入捜査を行う、シリーズの中でも異色の作品となっています。その展開ゆえに、“僕”をはじめとするレギュラー陣の登場も序盤と「終章」のみに限られる(*1)とともに、全編にわたって渦中の俊一郎に焦点が当てられているのも大きな特徴といえるでしょう(*2)。
細心の注意を払った潜入計画はしかし、なぜか“黒術師”に漏れてしまい、潜入者の存在が早々にツアー参加者たちに明かされて、俊一郎は窮地に追い込まれます。いきなり正体が露見するわけではなく、しばらくの間は意外に和やかな空気が保たれる(*3)ものの、やがて互いに名前も何も知らない(*4)参加者たちが潜入者――“探偵”(*5)を捜す、パット・マガー『探偵を捜せ!』を髣髴とさせる“探偵捜し”が始まることになります。ただし本書の場合、“探偵”である(ことが読者にも明かされている)俊一郎の視点で描かれているため、“犯人”を“探偵”に置き換えた倒叙ミステリ風になっているのが面白いところです。
実をいえば、その“探偵捜し”が始まるのは物語もだいぶ後になってからで、その前にツアー途中のアクシデントで参加者たちを取り巻く状況は一変。題名にもなっている呪符〈八獄の界〉の名称で予想はできると思いますが、バスの運転手も含めた一同は、いわばホラー式クローズドサークルに閉じ込められてしまいます。さらにその中で、“黒術師”が待っているはずの目的地を探して怪異から逃れながら進んでいくうちに、メンバーが一人ずつ何者かに殺されていく――という具合に、ホラー世界+ミステリ展開(*6)が用意されているのが、ホラーとミステリの融合を図ってきた作者ならではといえるでしょう。
前述の“探偵捜し”に加えてこの“犯人捜し”、さらには“〈八獄の界〉の問題”――ホラー世界からいかにして脱出するか――と、登場人物たちが解決すべき問題は豊富で、物語後半は(俊一郎一人が推理するのではなく(*7))参加者たちによるディスカッション形式の推理が展開されます。ホラー世界ゆえに“犯人”が人間とは限らないこともあって、様々な仮説が披露されていくのも見どころですが、ともすれば“探偵=犯人”説に流れがちな一同の推理を、“探偵”であって“犯人”ではない俊一郎が懸命に他の結論へ誘導しようとする、倒叙ミステリに通じる“攻防戦”からも目が離せません。
ホラー世界に閉じ込められた参加者たちにタイムリミットが迫る中、ついに俊一郎が明らかにするのは、何とも意外すぎる真相。思わず唖然とさせられるのは確実で、若干気になるところもないではないものの、伏線もしっかりと用意されており、非常によくできていると思います。さらに、「終章」で明らかになる“もう一つの真相”もなかなか豪快。前述のようにシリーズでは異色作ですが、ホラーミステリとしてシリーズ中でも随一の作品といっていいのではないでしょうか。
*2: これまでの作品にあった、事件関係者の様子を描いた(俊一郎が不在の)パートが、本書にはありません。
*3: 潜入者以外は“黒術師”を崇める“同志”という仲間意識もあるでしょうし、顔を合わせたばかりではまだ何も手がかりがないということもあるでしょう。
*4: 参加者たちは、〈委員長〉、〈ドクター〉、〈猫娘〉など自称/他称のニックネームで呼び合うようになります。
*5: “黒術師”の崇拝者たちは将来の“犯人候補”に当たるので、その敵である潜入者は“探偵”と位置づけられます。
*6: 外部に脱出できない状況で連続殺人が起こるという不可解な事態を受けて、登場人物の一人が三津田信三『シェルター 終末の殺人』を引き合いに出しているところにニヤリとさせられます。
*7: ミステリマニアらしき〈小林君〉の存在も大きいのですが、俊一郎自身の推理もやや控えめな印象なのは、参加者たちによる“探偵捜し”を警戒しているということかもしれません。
2016.12.26読了 [三津田信三]
ゴッド・ガン The God-Gun and Other Stories
[紹介と感想]
日本独自に編纂された、『シティ5からの脱出』以来となる鬼才バリントン・J・ベイリーの短編集で、巻末の「訳者あとがき」によれば“大雑把にロンドン篇+船篇+異星生物篇になっている”
ようです(*1)。
やや短めの作品が多いこともあって、『シティ5からの脱出』に比べると若干物足りなく感じられる部分もありますが、ワンアイデアの切れ味はこちらに軍配が上がるでしょうか。いずれにしても、ベイリーの様々な魅力が詰まった作品集であることは確かでしょう。
普通に一番面白く読んだのは「空間の海に帆をかける船」ですが、表題作「ゴッド・ガン」は別格です。
- 「ゴッド・ガン」 The God-Gun
- ある夜、設計技師にして発明家の友人ロドリックと店で飲んでいると、彼は突然“神の実在を信じるか”と尋ねてきた。そして“神は実在する”というロドリックは、何とも不遜なことに、“神を殺すことさえできる”と言い放ったのだ。そのままロドリックの自宅を訪ねてみると、そこには彼が作り上げたという“神を殺す銃”が……。
- “神殺し”というテーマとは裏腹に、“神”が直接登場するわけでもなく、何気ない日常から静かに進んでいくのが面白いところで、“神との接点はどこにあるのか”を説明する超理論がベイリーならでは。淡々と綴られた衝撃的な結末も独特の後味を残します。短いながらも凄まじい作品です。
- 「大きな音」 The Big Sound
- “宇宙でいちばん大きい音”という考えに取りつかれた友人のギャドマンは、長い年月をかけて六千人編成のオーケストラを作り上げ、広大な平原に作った客席もない野外スタジアムで交響曲を演奏するに至った。一糸乱れぬオーケストラによる“巨大な音楽”の演奏が終わったその時、思いもよらない出来事が……。
- 哲学的ともいえる問いから始まる物語は、どこに落ち着くのかわからない奇妙な味わい。“巨大な音楽は(一応伏せ字)耳ではなく心で(ここまで)聞く”というのもさることながら、そこからの飛躍が生み出す現象が圧巻ですが、そうかと思えば結末に登場する○○は、一転してホラ話めいた雰囲気をかもし出しています。
- 「地底潜艦〈インタースティス〉」 The Radius Riders
- 特殊な“場{フィールド}”に包まれて地中を航行する最新鋭の地底潜艦〈間隙{インタースティス}〉は、深度十マイルでアメリカ大陸を横断する試験航行に出発するが、やがて原因不明のトラブルで地上へと浮上できない状態に陥ってしまう。そこで、地球の核を通り抜けて反対側の地表へ脱出する計画が採用されるが……。
- ポール・アンダースンの名作『タウ・ゼロ』の“地底版”(*2)といったような趣のある、比較的オーソドックスな(?)地底冒険SF。とはいえ、軍艦らしく派手な戦闘場面を交えながらも、奇怪な理論が炸裂した末に途方もない結末に至るあたり、さすがはベイリーというべきでしょうか。
- 「空間の海に帆をかける船」 The Ship that Sailed the Ocean of Space
- 海王星の外側を周回しながら、高エネルギー粒子の発生を観測する退屈な仕事についていたリムとおれは、ある日、宇宙空間に浮かぶ奇妙な物体を発見する。なぜか形がはっきりと判別できないものの、“船”のような印象を与えるそれは、質量計に反応がなく、ドリルで穴を開けようとしてみるとおかしなことに……。
- 常に酔っているせいもあってか、恐れを知らず突っ込んでいく物理学者リムが物語を動かしていく姿が印象的。そしてシンプルな、しかしよく考えると無茶な奇想を、実に鮮やかに見せる豪腕にうならされます。
- 「死の船」 Death Ship
- 戦時下のヨーロッパ、地下の要塞都市で開発された新技術。“未来”には“現在”に備わる等冪性がないことが発見され、“非・等冪”の“絶対未来”へと旅する未来航行船〈死の船〉が作り上げられたのだ。開発に関わった物理学者ティーシュンは、息子の将来を案じて有人試験航行に志願するが、目にした未来は……?
- “等冪性”とは
“ものはそれ自体と同一である”
ということのようですが、そこからベイリーらしい奇怪でよくわからない{苦笑}時間理論が展開されています。しかしその理論の帰結として描き出される未来の実相は、ティーシュンの抱える個人的な苦悩と結びついて――さらにはディストピアSF風の背景も相まって――最後に強烈な閉塞感を生み出しています。
- 「災厄の船」 The Ship of Disaster
- 〈災厄の船〉を駆ってトロールとの戦いに馳せ参じようとするエルフの王、エレン=ゲリスは、海上で出くわした人間の商船を沈め、ただ一人生き延びたケルギンを拾って奴隷にする。だが、不可思議な霧の中で陸地が見つからないまま、食料も底をついてしまうという苦境に、王は船を漕いでいたケルギンを呼び出して……。
- ベイリーにしては珍しいファンタジー(*3)で、エルフとトロールが覇権を争い、人間が下等な生き物として軽んじられる世界が舞台となっています。エルフの王と人間との対話を通じて明らかになっていく世界の様子、さらには両者の運命がどのように分岐するかが見どころで、結末のコントラストが残酷なまでに鮮やか。
- 「ロモー博士の島」 The Island of Dr Romeau
- 史上最大級の天才とも称されるロモー博士の暮らす島へ、インタビューに訪れた雑誌記者プレンティス。性行動を研究しているロモー博士は、性的な充足だけが幸福をもたらすと主張し、性的満足の領域を拡大する技術を開発しているという。島に泊まることになったプレンティスは、噂で耳にした悦楽を期待するが……。
- H.G.ウエルズ『モロー博士の島』を下敷きにしたエロティックなSF。(失礼ながら)ベイリーの得意分野ではないような印象があるせいか、アイデアそのものも本書の中ではややインパクトに欠けるきらいがないでもないですが、まずまず面白い作品ではあります。
- 「ブレイン・レース」 Sporting with the Chid
- 狩りの最中に獲物に襲われて命を落としたウェッセル。残されたロイガーとブランドは、友人を蘇生させるために死体を低温保存するが、病院までは時間がかかりすぎる。二人はやむなく、近くにキャンプを張っている異種族チド――外科手術に長けているものの、接触を禁じられている危険な種族に助けを求めたが……。
- 邦題の“ブレイン・レース”は、「訳者あとがき」によれば本来は
“知力の闘い”
を意味するようですが、この作品では文字通り(?)の意味。ということで、“ブラックなジョークをいかに物語として成立させるか”という形で組み立てられた(*4)と思しき作品で、要となる異種族チドの造形が秀逸です。世界がその姿を変える結末も、何ともいえない余韻を残します。
- 「蟹は試してみなきゃいけない」 A Crab Must Try
-
“雄の蟹が千匹いるとして、一生のうちに交尾できるのは、三匹か四匹ってとこだろう。でも、蟹は試してみなきゃいけないんだ。”
――楽しかったあの夏。いつもの仲間たちと一緒に、崖列車に乗って隣町へ繰り出したり、酔いどれ藻をかっくらいながら酒場をハシゴしたり、そしてもちろん雌蟹を追いかけたりした思い出……。 - 異星の“蟹”の青春をテーマとした怪作。思考はほぼ擬人化されていながらも生態はあくまでも“蟹”の、後先考えず交尾のことしか頭になさそうな“若者”たちの姿が、愉快に描かれています。しかし青春の高揚はあまりにも短く、結末は何とも切ない……“蟹”なのに。
- 「邪悪の種子」 The Seed of Evil
- 地球に亡命してきたその異星人――推定百万歳で〈不死身〉と呼ばれるアルデバラン人は、進んだ科学技術や不死の秘密を一切明かすことなく、ひっそり暮らすことを希望する。だが、不死の秘密を渇望する外科医ジュリアンは、〈不死身〉の体を手に入れようと執念深く機会をうかがい続ける。そして長い年月が過ぎ……。
- ゾウガメに似た外見で超然とした言動の〈不死身〉と、不死の秘密を手に入れようという執念に突き動かされるジュリアン――対照的な印象の二人の追跡劇が、予想以上に壮大なスケールで描かれていきます。最後に〈不死身〉が語る不死の秘密はもちろんのこと、〈不死身〉自身の過去の姿が強く印象に残ります。
*2: 実際には、1970年発表の『タウ・ゼロ』、あるいはその原型となった短編「To Outlive Eternity」(1967年発表)よりも、この作品の方が先に発表されています(1962年発表)。
*3: しかし、「訳者あとがき」によればこの作品が
“ベイリーの記念すべき初邦訳”だったようで、驚かされました。
*4: 田中啓文「銀河を駆ける呪詛」(『銀河帝国の弘法も筆の誤り』収録)を思い起こさせます。
2017.01.01読了 [バリントン・J・ベイリー]
独捜! 警視庁愉快犯対策ファイル
[紹介]
自転車の車輪がベンチに、バケツがジャングルジムに――様々な物が脈絡のない組み合わせで、ロープやチェーンによって繋がれる異様な悪戯が、都内各所で相次いで発生していた。警視庁の独立捜査研究室・通称〈独捜〉で愉快犯を担当する熱血刑事・桐井明久とおしゃべり刑事・光弓真奈は、悪戯の捜査を続けるうちにデザイン工房で起きた奇妙な密室殺人に行き当たる。捜査一課の刑事たちと張り合いながら殺人事件を捜査する二人は、やがて奇怪な装飾を施された第二の被害者の死体を発見して……。
[感想]
帯などに“ユーモア本格ミステリー”
とあるように、このところ『夕陽はかえる』や『スパイダーZ』など殺伐とした(?)作品が目立っていた霞流一の、久々に“ゆるい”雰囲気の作品です。主役の刑事コンビが所属する〈独捜〉は落ちこぼれの刑事たちを集めたという部署で、捜査一課の刑事たちには〈独捜〉をもじった“独房”や、“愉快犯取締班”を略した“ゆとり班”などと呼ばれる始末。ということで、いつものように(?)滑り気味のギャグも含めて、愉快な警察小説(*1)となっています。
主役の一方である光弓真奈が魅力的で、“腰は低く、頭は高く”
を家訓とするショービズ系の家庭に生まれ育ち、学生時代には100種以上のアルバイトをこなしたという、それだけで十分にキャラが立っている上に、家族譲りの特技やアルバイト経験がしばしば捜査に生かされるところがよくできています。相棒の桐井がやや食われ気味なきらいはありますが、他にも警察庁幹部である親の七光りを公言する班長・戸野間慶之助に、秘密兵器(*2)開発マニアで桐井に思いを寄せるデスク・佐粧秀(男性)と、くせのある面々が揃っています。
そんな〈独捜〉が担当するのは愉快犯ということで、公園に作られた何とも不可解なオブジェの登場で物語は始まり、そこから捜査を進めるとあれよあれよという間に、倉庫の警備員襲撃事件を経て、密室殺人が起きたデザイン工房にまでたどり着く、スムーズな展開がうまいところです。そしてその、〈独捜〉と同じく個性派揃いのデザイン工房で起きた“一反木綿”の密室殺人もさることながら、愉快犯と合体したような第二の殺人、さらに事件の背景らしき過去の事件と、物語が進むにつれて事件が複雑化していくのが大きな見どころです。
事件が複雑な分、謎や手がかりが錯綜している感もありますが、まずは脱力を禁じ得ない“ある真相”を皮切りに、事件の“アウトライン”の整理、霞流一らしい丁寧なロジックによる犯人の特定、そしてなかなか面白い密室トリックの解明……といった具合に、複数のパートに分割された謎解きが段階的に進んでいく構成によって、思いのほかすっきりした印象となっているのが秀逸。さらに、一風変わった扱い方(*3)ゆえに意表を突かれるネタが盛り込まれているのも目を引きます。
もっとも、殺人事件だけに目を奪われてしまうと、微妙に物足りなく感じられるところがないでもないのですが、「エピローグ」で示唆されているように、本書では殺人事件と肩を並べて愉快犯が一方の主役を担っているという見方もできるでしょう。そして愉快犯の方に焦点を当ててみると、本書は――あまり具体的にはいえませんが――変則的な“見立てミステリ”ととらえることができるように思います。その意味で本書は、地味ながらユニークな試みがなされた作品といえるのではないでしょうか。
*2: このあたり、『奇動捜査 ウルフォース』などに通じるものがあります。
*3: 必ずしも成功しているとはいいがたいところもありますが……。
2017.01.05読了 [霞 流一]