或るエジプト十字架の謎/柄刀 一
- 「或るローマ帽子の謎」
トランクルーム内に隠し部屋が存在する可能性が示されたところから始まる、怒涛の推理がまず圧巻。
(1)隠し部屋のスイッチであることを隠すために、壁から伸びた棒状の帽子掛けに見せかける。
(2)帽子掛けとして自然に見せるために、他の帽子より高さのあるオペラハットを掛ける。
(3)購入したばかりのオペラハットに注目されるのを避けるために、その箱を持ち去る。
(4)オペラハットの箱の痕跡を隠すために、代わりに電熱ヒーターを置く。
という具合に、美希風が“心理戦のドミノ倒し”
(47頁)と評したのも納得の――あるいは“風が吹いたら桶屋が儲かる”的な――犯人によるトリックを構成する発想の段階の多さ、そして“問題と解決の連鎖”ともいうべき内容が、非常に面白いところです。段階の多さだけでなく、隠し部屋のスイッチが壊れて収納できなくなったアクシデントをリカバーする(1)、偽装を効果的に補強する(2)、オペラハットと同様に箱も平らに折りたためることを利用した(3)(*1)、そして――これはそこまで意図したものかどうかわかりませんが――持ち去られたものが
“四角い物”
(52頁)だと思わせる(4)と、それぞれの段階自体もなかなかよくできていると思います。そして後半、被害者がトランクルームの借主でないことはかなりあからさまなので、逆に“被害者を借主に見せかける”という犯人の意図はわかりやすくなっていると思います。そのために、現場にある帽子が合わない頭のサイズを隠す目的で執拗に殴打したことまでは読めたのですが、そこで思考停止してしまったので、〈犯人は理容師〉という結論には仰天。
事件の様相・状況からして、これで容疑者が実質一人にまで絞り込まれるところまで行くとは思いもよりませんでしたし、防犯カメラの映像に登場しているだけの、まだ捜査線上に浮かんでもいない人物が犯人(*2)という趣向にもうならされます。
*1: 犯人は
“防犯カメラのことは知っていた”
(65頁)と考えられるため、防犯カメラに映らないよう積極的に意図したものであって、単なる結果オーライではないでしょう。
*2: この趣向は、某海外古典長編((作家名)カーター・ディクスン(ここまで)の(作品名)『五つの箱の死』(ここまで))を意識したものでしょうか。
- 「或るフランス白粉の謎」
死体発見時の現場の状況が、まだ犯人のトリックが発動する前の状態だった(*3)というのがユニークで、偽装工作としては中途半端な印象を受けたのも当然といえるかもしれません。しかも、現場の証拠の隠滅といった一般的な狙いではなく、薬物検査を免れるために飛散させたコカインを吸引するという、凄まじすぎる目的に圧倒されます。“犯行(に関連するもの)を隠蔽するトリック”というよりも“犯行を利用したトリック”である点自体、あまり例を見ないものだと思います(*4)。また、すでに白粉が現場に広がっていることで、コカインがどの程度飛び散ったのか判然としないところも絶妙です。
その解明につながっているのは、発見者の到着を一時間遅らせるために犯人が偽装したLINEの連絡で、一時間という微妙な時間ゆえに時刻の問題にシフトするのは妥当ですが、
“八時三十分か九時頃までに遺体を発見させたかった”
(111頁)という意図をもとに――もちろん警察内部に内通者が存在するという補助的な手がかりも併せて――宿直からの引き継ぎを終えた捜査担当の刑事に容疑者が絞られるのがすごいところです。そしてそこから先、ブレーカーのスイッチをすぐに見つけたことが決め手となって、犯人が特定されるのが鮮やか……ですが、その決め手について、美希風が
“ある説明しがたい事実を目にして”
(122頁)としているのが少々気になります。犯人が“十秒ほどで”
(117頁)ブレーカーを復旧させたのは確かですが、その時点では疑念を抱くことができる(検証しようとする)かどうか微妙なところ(*5)で、エリザベスによる検証で“六十七秒”
(121頁)かかった(*6)ところで初めて“説明しがたい事実”
――決め手になるわけですから、解決の手順が若干怪しいような気がしないでもありません。*3: 他には、北山猛邦『猫柳十一弦の失敗』くらいしか思い当たりません。
*4: 「或るローマ帽子の謎」も近いところがありますが、どちらも本来であれば容疑者が限定されない状況であるため、犯人にとっての優先順位が変わってくるということでしょう。
*5: この時点ではスイッチの位置がわからないのですから、いかに他人の家とはいえ、直ちに不自然とはいえないのではないでしょうか。
*6: この部分、“十秒ほど”
の不自然さを際立たせるために、やたらにわかりにくく時間がかかる配置にしてあるのが何ともいえません(苦笑)。
- 「或るオランダ靴の謎」
靴を並べて足場にするトリックには既視感がないでもない(*7)ですが、普通の靴よりも頑丈な木靴の場合、足場として使いやすいので説得力があります。加えて、トリック実演の際の犬の動きが、効果的にトリックを補強しているのが見逃せないところで、犬(コブシ)が母屋から平屋棟へ移動していたことまで説明がついてしまうため、そのトリックが使われたとしか思えない状態となっています。
その足跡トリックが崩壊して“幻想”に転じるのがこの作品の最大の見どころ(*8)。トリック実演そのものには問題がなく、実演の“後”に木靴を回収する行為が手がかりとなるところもよくできていますし、スニーカーを拾って持ち帰るだけで――というのは言い過ぎですが――架空のトリックを演出し、平屋棟から母屋へ向かう足跡の意味を反転させて、平屋棟の人々に容疑を向けた手際がお見事です。
惜しむらくは、その見事な手際が当初からの周到な計画ではなく、犯行後に何となく川へ行き、何となくスニーカーを持ち帰ったというぼんやりしたところから始まっている点ですが、これは致し方ないところでしょうか。
*7: 似たところがあるものの、使い方が異なる某海外長編しか思い出せませんでしたが……。
*8: もっとも、“幻想のトリック”のインパクトとしては、作者の以前の作品((作品名)『月食館の朝と夜』(ここまで))に一歩譲るところがある――そちらには(以下伏せ字)犯人の意図がまったくない(ここまで)点で――ようにも思います。
- 「或るエジプト十字架の謎」
死後硬直の形を隠蔽するために死体を切断するというトリックには、前例があったような気もしますが、エラリー・クイーン『エジプト十字架の謎』から出発してまったく異なる真相が飛び出してくるのが、オマージュの醍醐味といえるでしょう(*9)。
あえて切れ味の鈍い鉈が使われたのもさることながら、凹凸だらけの地形の中の
“ほぼ平らな窪地”
(243頁)という、切断現場の選択が手がかりとなっているところがよくできていますし、推理の直接的な糸口となった(*10)エリザベスの言葉(242頁)が、“目隠しになりそうな”
という別の理由で自然に持ち出されているのも巧妙です。そして何より、“形をつかむんだ! 形の意味を!”
(194頁)という山下准教授の言葉が、真相解明への大胆なヒントとなっているのが非常に秀逸です。ただ、首が真横に傾いた状態で硬直したのならともかく、まっすぐ(に近い状態で)うなだれる形で硬直したのであれば、美希風が指摘しているように
“十字架に磔にされて処刑された者が首を垂れている姿”
(257頁)そのままであり、硬直した腕の形を隠蔽するために死体を磔にするのならば、むしろ磔として自然な姿なので首を切断する必要はなかったのではないか、とも思われます。もちろん犯人が動転していたこともあるでしょうが、「或るローマ帽子の謎」の流れるような偽装工作と比べると、どうもちぐはぐに感じられてしまうのは否めないところです。単に不合理というのではなく、(美希風の説明によれば)磔を回避しようとする(*11)前半の工作と、死体を磔にした後半の工作が、完全に逆方向でバッティングしてしまっているのが難点……とも思いましたが、最後の
“誇示の念はまったくなかったのかな?”
(264頁)というエリザベスの指摘を踏まえると、“告発”の中心となる頭部を切り離して――取り除いてしまった時点で、犯人の心境が変化したことはあり得るのかもしれません。*9: この点で、作者の以前の作品((作品名)『fの魔弾』(ここまで))にはやや不満が残ったものですが。
*10: さらにいえば、“辺り一帯はゴツゴツ、クネクネとした無秩序ともいえる形に満ちていた。”
(194頁)という冒頭の一文からして、解明につながる伏線といえるかもしれません。
*11:“遺体を持ちあげてみると、それは磔刑の様相を定着させ、無言の告発をしていた”
・“曲がった首の告発を消し去りたかった”
(257頁)。