フライプレイ!/霞 流一
発端では、黒井真梨亜を殺してしまった神岡桐仁が竹之内里子と協力して、“本格ミステリ作家らしい殺人”を演出する――ことになりますが、その裏には神岡と尾瀬淳司が組んで里子に一泡吹かせるシナリオが、さらにその裏に真梨亜と尾瀬によるもう一つのシナリオが隠され、二転三転した末にようやく(?)〈神岡が真梨亜を殺した〉に落ち着くあたり、序盤から油断のならない展開です。
そして“名探偵”として演出家・千石光也が呼び寄せられるわけですが、用意された“偽の手がかり”(*1)のせいで四つのロジック/四つの密室トリックが披露される推理合戦――多重解決へと突入するのが大きな見どころ。正直なところ、密室トリックの一部で使われたとされる特殊な小道具が反則気味な感じもありますが(苦笑)、マニアックな本格ミステリ作家が様々な本格ミステリの意匠を施した館、という舞台ならではのトリックといえるかもしれません。
- ・千石の解決
- 見立てに使われた封筒に付着したニスから、ニスを塗ったばかりの本棚の側面に残された三本の傷、さらには手袋に残ったニスの染みに着目し、ニスに気づかなかった/ニスの匂いがわからなかった人物が犯人とする推理で、ニスを塗った当人である神岡と、匂いに言及した里子と千石が除外され(*2)、ひどい鼻づまりだった〈尾瀬が犯人〉とされています。やや弱いようにも思われますが、服にニスが付着する危険を冒してまで封筒を拾う必要は感じられないので、妥当なところでしょうか。
密室の方は、尾瀬なら応接室にあった鍵を使用できた(242頁)ため、控え室にいた里子による出入りの監視のみが障害となりますが、カーテンをスクリーンとしてプロジェクターで“虚像”を映し出すトリックは、手順などうまく考えられてはいる(*3)ものの、やや面白味に欠ける感がなきにしもあらず。しかし、トリックの弱い部分を補強する、全身タイツを使った“物理的に見えない人”トリックは、やはり強烈です。
- ・尾瀬の解決
- ポインターに残った血痕から、暗い中で(一見しただけではペンにそっくりな)ポインターを使おうとした人物、すなわちポインターを使い慣れている館の主である〈神岡が犯人〉とする推理ですが、床にばらまいたクッキー(の粉)によって、犯人がウォールランプを点けた可能性をきっちり否定してあるのがうまいところです。
密室の方は、尾瀬が犯人の場合と同じく“里子の監視をいかにして無効化するか”がポイントで、ドアノブと黒いビニールテープを使って“架空のドア”を作り出す、『どこでもドア』トリックが――ネーミングはさておき(苦笑)――なかなかよくできています。白いビニールテープと観葉植物で、本物のドアの方をしっかり隠してしまうところも周到です。
しかし実際には、仕掛けを回収するタイミングが大きな問題となります。作中ではドアが開かないことを三人が確認した後、尾瀬と里子が窓に向かった際と説明されており、確かにそれ以前には回収する機会がないのですが、里子が控え室から見ているだけならまだしも、“架空のドア”に近づいて開けようとすると、質感(壁やビニールテープ)や手ごたえなどの違いで、さすがに本物のドアでないことが露見してしまうでしょう(*4)。
- ・神岡の解決
- 図書室のテーブルにある濡れた七個のコップに着目し、それが“何のために使われたのか”を糸口とした推理で、自分の手を濡らさずにフラスコ型水槽からスカラベを回収するためという解釈(というか「設定」?)が、非常に面白いと思います。そして、ネイルアートをしていた〈里子が犯人〉と結論づけられるのも妥当でしょう。
密室については、里子が犯人だとすると出入りの監視が問題にならなくなる代わりに、ドアの鍵が使えないことになるので、ドアは室内から施錠して窓から脱出したという推理も納得できるものです。作中の描写では窓枠の構造が今ひとつよくわからないのが難ですが、偽の窓枠と“掛け金の着ぐるみ”『かねっしー』(苦笑)を使ったトリックはまずまず(*5)。
- ・里子の解決
- 血が付着した本を手がかりとした推理で、犯人が手袋についた血を本で拭い取ったことから、図書室にタオルがあることを知らなかった人物、すなわち〈千石が犯人〉とされています。事件発生時に館にはいなかった(ことになっている?)とはいえ、真梨亜の関係者ではあるので容疑者たる資格は備えているといえるでしょう(*6)。
密室トリックは定番の一つ、犯人が密室内にとどまっていたパターンですが、死体発見時に所在が確認されていない千石にのみ可能なトリックであることは見逃すべきではないでしょう。そして、絨毯の下に隠れていた――そこに潜ったまま移動して脱出したというトリックは、その間抜けすぎるイメージがたまりません。
- ・再び千石の解決
- まず、エドガー・アラン・ポーの見立てだったはずが、作成者の神岡らも意図していなかったコナン・ドイルの見立てが浮かび上がってくるのが面白いところで、特に“芸名の真梨亜→「マリー・ロジェの謎」”が“本名の愛梨→アイリーン・アドラー”に転じるのがお見事です。そして、バスカビル賞を受賞した神岡が、ドイルの見立てを嫌ってポーの見立てに変更した、という推理にも説得力があります。
琴糸のダイイングメッセージは、改めて注意喚起してある(316頁)ように実際には偶然の産物だったことはさておくとしても、瀕死状態での行動としてはさすがに無理があると思いますが、〈尾瀬が犯人〉であることを示す“oze”の文字が鮮やかに浮かび上がるのはやはりよくできています。
さて、これら多重解決は前述のように“偽の手がかり”に基づくものですが、その“偽の手がかり”は――意図せざるドイルの見立てとダイイングメッセージを除いて――神岡らが意図的に配置したもの(ニスの傷を“これも大切な手掛かり”
(184頁)としているあたりを参照)で、つまりは〈神岡が犯人〉という“真相”以外の、〈尾瀬が犯人〉・〈里子が犯人〉・〈千石が犯人〉という“誤った解決”もすべて、神岡らの計画の範囲内ということになります。これは一体どういうことなのか(*7)――というのが、読者が真相に近づくための大きな手がかりといえるのではないでしょうか。
ここでもう一つ重要なのが、偶然の産物であるダイイングメッセージを解決に取り込んだ千石が、明らかに神岡らの計画から逸脱していること。すなわち、神岡・尾瀬・里子の三人が共謀しているのに対して、千石はそれを知らされていないと考えることができるので、少なくとも神岡らの計画が千石を標的としたものであることまでは、読者が推理することができるようにも思われます。そうすると、そもそもの真梨亜殺しからしてフェイクであることまで、予想できなくもないかもしれません。
……といったようなことは、もちろん読んでいる最中には思い至らなかったわけで(汗)、人間椅子と化していた舟木鯛介の“死体”の登場まで含めて、千石を告発するための芝居だったという真相(*8)には驚かされました。告発のためにわざわざそこまで手の込んだことをするのか、というのもないではないですが、“事件の謎解き”それ自体が告発の一環だった――四つの解決それぞれが千石の犯罪を暴く推理の相似形になっていたということで、それなりに理由づけにはなっているといえるのではないでしょうか。
この“相似形の推理”は、読者に材料が与えられないのが(仕方ないとはいえ)残念ですが、なかなかユニークな趣向だと思います(*9)し、そこに関わる意外な事実――千石の右手が義手だったことが明かされるのも面白いところ。いわれてみれば、ニスが塗られた箇所が“右側に壁、左側に本棚の側面”
(184頁)の状態であるにもかかわらず、ニスの染みが“左の手袋の甲”
(215頁)に付着した――“犯人”が左手を使ったことになっているのは少々不自然ですし、千石が全身タイツを脱ごうとする際に左手を抜くのに苦労していたこと(249頁)は、重要な手がかりといえます。
とはいえ、義手についてはしっかり隠されすぎているようにも感じられますが、結局のところは本書全体が――前述の“注意喚起”(316頁)を除き――ほぼ一貫して演劇的に、すなわち観客視点で記述されていることを考えれば、里子が“ここで展開されてきたことが舞台劇だったとしたら、義手と気付いた観客は皆無じゃないですかね”
(420頁)と述べているそのままということになるでしょう。また、“作中の観客”たる千石が登場する以前の芝居についても、“役作りの時間”
(410頁)とエクスキューズが用意されているのが周到です。
すべてが一段落したかと思われた最後の最後に、皆殺しにされていた闇金融の面々の死体が出現するオチは、何とも壮絶にして愉快。そして死体とともに、最後に再び蠅が登場してくる幕切れも、趣向を凝らした一作にふさわしく見事なものだと思います。
*2: 嗅覚を条件とした消去法は、某国内作家の長編((作家名)泡坂妻夫(ここまで)の(作品名)『11枚のとらんぷ』(ここまで))を思い起こさせます。
*3: ただし細かいことをいえば、プロジェクターとスクリーンの位置関係が苦しいところで、かなり斜めの方向から映写することになるので、映し出す画像もそれを考慮して撮影しなければなりませんし、不自然に見えないように調整するのは相当難しそうです。
*4: もちろん、このトリックが実際に使われたわけではないので、それなりに筋が通った“解決”ができれば十分ということでしょうが。
*5: ところで、トリック実演の際には神岡は図書室に入っただけ(280頁)で、室内側から偽の窓枠を取り付けることはできないはずですが……。
*6: 千石はここでは“事件発生後に探偵役として呼ばれた”と反論していますが、自身の謎解きの際には消去法で自分を“消去”している(231頁)のが何とも。
*7: 前述のようにすべてが“偽の手がかり”であり、〈神岡が犯人〉とする解決につながる手がかりのみを“正しい手がかり”と結論づけられるような材料も(この時点では→“相似形の推理”の暴露の中で、里子のネイルアート、尾瀬の鼻づまり、そして図書室のタオルについては否定されている)見当たらないので、(ミステリ作家らしく?)“後期クイーン問題”を意識した趣向、と考えることもできません。
*8: これだけなら、国内作家の長編にやや似たような前例もありますが((作家名)東野圭吾(ここまで)の(作品名)『仮面山荘殺人事件』(ここまで))。
*9: 作中では、千石は
“何やら俺の犯行に関しての絵解きを模したと言う意味になるが、具体的にどういうことだ?”(412頁)と気づいていなかったようですが、これは少々もったいないようにも思えます。というのも、千石の犯行を暴く手がかりのうち、花瓶・タオル・懐中電灯の三つについては、犯行当時に千石自身が――それが手がかりとなり得るかどうかまではともかく――認識はしていたはずなのに対して、指輪の引っかき傷については気づかなくてもおかしくはないわけで、そうだとすればニスの傷についてはそれが“相似形”であることが千石には絶対にわからない――そのために、ニスの傷を手がかりとして採用した、という理由づけができそうに思われるからです。
2014.10.28読了