世界で一つだけの殺し方/深水黎一郎
- 「不可能アイランドの殺人」
〈不可能アイランド〉で連発される派手な不可能現象に対して、メインである事件の方は一見すると事故死の様相を呈しつつも、“パパ”が犯人であるという前提に立てば完全なアリバイが成立している、地味ながら強固な不可能状況となっています。このあたり、現象を“見せる”トリックと真相を“隠蔽する”トリック(*1)とをあえて並べてみせることで、現代的な(?)ハウダニットの姿を強調する狙いがあるようにも思われますが、いずれにしてもそのコントラストは鮮やか。
〈不可能アイランド〉のアトラクションと同様に、事件のトリックも科学ネタに基づいていることは誰しも予想できるところでしょうが、“特殊な知識”を事前情報なしで使ってみせた(*2)アトラクションに対して、犯人のアリバイを成立させる遠隔殺人トリックについては、手がかりが序盤に登場した「日本生理学学会温度受容部会 年報第17集」の目次(22頁~23頁)の中に論文のタイトルとして、大胆かつフェアに示されているのが秀逸です。
実際のところ、少なくとも刑事が “天野先生”
(114頁)と呼びかけて“パパ”の名字が判明した時点で、“パパ”こと天野健一郎の論文――“L―メントールの人体の温度調節機能に対する影響について”
(23頁)から、メントールを使ったトリックに思い至ることは可能ですし、遺体発見時の“パパ”の行動を振り返れば不自然な点も目につきますが、“モモちゃん”がメントールの匂いに気づかないようにミント水を飲ませる隠蔽工作が非常によくできていると思います。この作品では、“芸術探偵”こと神泉寺瞬一郎が直接は登場せず(*3)安楽椅子探偵に回る、“芸術探偵”シリーズとしては変化球気味の形になっていますが、“モモちゃん”自身が探偵役として、犯人である“パパ”と対決する展開はやはり印象的。天才少女らしく毅然とした態度で“パパ”を告発した後の涙には、心を動かされずにはいられませんし、最後の二人の“ママ”への呼びかけは、“モモちゃん”の知り得ない二人の“ママ”の最期の独白と相まって、母と子の強い絆をうかがわせます。
なお、巻末の福井健太氏による解説では“モモちゃん”と瞬一郎について、
“いずれ彼らの出会いが語られるのかもしれない。”
(293頁)とされていますが、(一応伏せ字)すでに『トスカの接吻』で言及されている(ここまで)のではないかと思われます。- 「インペリアルと象」
津波の際の象たちの“暴走”を描いた「I」が冒頭に置かれているため、動物園を舞台にした「II」でどのような事件が起きるのか、かなり予想しやすくなっているのは確かです。しかしこれは、“象を暴れさせて人を殺す”という奇想天外な犯行を、読者にすんなりと受け入れさせるための伏線の一種(*4)ととらえるべきでしょう。この作品の見どころは、人を殺すために“いかにして象を暴れさせるのか”(*5)であるわけで、犯行の結果を事前に匂わせておくことにより、読者の興味をそこに集中させる効果もあるように思います。
この作品ではまた、一部に犯人の視点が導入された上で事件が“現在進行形”で描かれ、倒叙ミステリ風に仕立てられた物語となっているわけですが、町工場の社長・御子柴という“わかりやすい犯人”が用意されているのが周到。御子柴の“わかりやすい犯行”を読者へのおとりにして、“もう一人の犯人”の犯行を実に堂々と描きながらしっかりと“マスキング”してあるところに脱帽せざるを得ません。実のところ、三箇所(166頁/176頁~177頁/187頁~189頁)に配置されている犯人の独白を読み返してみると、最初のものは
“やるべきことは全てやった。あとは雄介に任せるだけだ。”
(166頁)とあるところをみても御子柴ではあり得ないのですが、御子柴という“わかりやすい犯人”の存在によって“もう一人の犯人”――ひいてはその企みが、強固に隠蔽されているのが秀逸です。しかして、自作の超低周波発生装置を用いた御子柴の犯行はもちろんのこと、象のマスト期、ベーゼンドルファーのインペリアル・モデル(*6)、特別なプログラムの選曲、そして『キエフの大門』ラストの“坂巻版”(譜面3(*7);260頁)による演奏と、一つ一つ条件を積み重ねてようやく実現に至った(*8)、“もう一人の犯人”――櫻木園長によるプロバビリティの犯罪までも解き明かす、瞬一郎の謎解きは圧巻。とりわけ、犯人の“積み重ね”と歩調を合わせるかのように、ピアノの歴史や演奏者・坂巻繁雄の心理にまで踏み込みながら解明と解説(*9)を積み重ねていくあたり、“芸術探偵”の真骨頂といってもいいでしょう。
冒頭のタウィとメグミの物語を単なる伏線として終わらせることなく、事件のせいで飼育係に欠員が生じたことによる(と思われる)求人広告をネタに、バラバラだった二つの物語――「I」の物語と「II」の物語をつなげてみせた、「エピローグ」の手際もお見事です。
*2: 一般的にはアンフェアとされることが多いでしょう。
*3: 瞬一郎側の様子が「インペリアルと象」で描かれるという趣向も面白いと思います。
*4: もちろん読者にとっては真相解明の手がかりでもあるわけですが。
*5: 超低周波という原理まで見抜くことも不可能ではないかもしれませんが、それをいかにして発生させるかが眼目であることは明らかです。
*6: 「インペリアルと象」という題名で、象とともに犯行に使われることが堂々と示唆されている、ともいえるでしょう。
*7: 念のために補足しておくと、譜面中の
“8va”は一オクターブ上、
“8vb”は一オクターブ下、をそれぞれ意味するものです。
*8: 実際のところは、御子柴の超低周波発生装置がなければ事件が起こらなかった可能性もありますし、過去九回のコンサートでうまくいかなかったことを根拠に、(殺人未遂は仕方ないにしても)殺人については無罪を主張することもできる……かもしれません。
*9: 譜面1についての瞬一郎の解説に(これも念のために)補足しておくと、十五小節目の最初の音は(ナチュラルのついた)A1に8vbが加わってA0、十七小節目の最初の音はF1にダブルシャープがついて実音はG1になります。
2014.01.05読了