ミステリ&SF感想vol.211

2014.05.12

叫びと祈り  梓崎 優

ネタバレ感想 2010年発表 (創元推理文庫432-11)

[紹介と感想]
 第5回ミステリーズ!新人賞の受賞作「砂漠を走る船の道」に、書下ろしを含む四篇を加えて刊行された作者のデビュー作にして、探偵小説研究会・編著「2011本格ミステリ・ベスト10」(原書房)の国内本格ミステリ・ランキングで第2位に輝いた傑作短編集です。
 五篇すべてで“異国”に材が採られており、そこに暮らす人々のありようが(ほとんどの日本人読者にとっての)“異文化”として提示され、それを基盤とした(本格)ミステリになっているのが見どころで、いわゆる“異世界本格”ならぬ“異文化本格”といえるでしょう。

「砂漠を走る船の道」
 情報誌の取材のため、広大なサハラ砂漠を駱駝で行くキャラバンに同行することになった斉木。砂漠の只中にある集落に物資を届け、そこで採れる岩塩を街へ運ぶのだ。だが、一行は集落からの帰路で激しい砂嵐に襲われ、さらに連続殺人までが発生する。キャラバンのごくわずかなメンバーの中に犯人がいるのか……?
 生きるために砂漠を往復するキャラバンの姿をしっかりと描いた上で、砂漠の真ん中という極限状況での連続殺人を扱ってみせた、魅力的な傑作。容疑者が限られて逃げ場もない状況で、(“誰が犯人なのか”もさることながら)“なぜ殺人を犯すのか”がクローズアップされ、推理の果てに想定しがたい動機が用意されているのが秀逸です。結末も鮮やか。

「白い巨人{ギガンテ・ブランコ}
 一年前、スペインはレエンクエントロの街に数多く並ぶ風車の一つで、彼女は“僕”に別れを告げて消えてしまった――大学時代の友人、斉木とユースケが“僕”を励まそうと旅に誘うが、行き先はレエンクエントロ。そこで耳にしたのは、彼女と同じように風車から兵士が消失したという数百年前の不思議な伝説だった……。
 スペインの(架空の)小さな街を舞台に、風車からの人間消失の謎――しかも現代と過去の二つを扱った作品で、過去の消失をお題とした友人たちの推理合戦が面白いところですが、そこに重ね合わされる現代の消失をめぐる物語も印象的。単独でみるとやや物足りなく感じられるのは否めませんが、本書の中にあっては不可欠といえるでしょう。

「凍れるルーシー」
 ウクライナに隣接した南ロシアにある小さな女子修道院に、死後二百五十年も腐敗せずに当時の姿を保ったまま眠る修道女・リザヴェータ。その列聖の願い出を受けて、モスクワから検分にやってきた審問官に同行した斉木は、祈りの間の棺の中に横たわるリザヴェータの、まるで生きているかのような姿を目にするが……。
 ロシア正教の修道院を舞台に、腐敗しない遺体という“奇跡”を物語の中心に据えた作品で、審問官に同行する斉木の視点と、リザヴェータを崇拝する修道女スコーニャの視点とが交互に登場することで、間に挟まれた“奇跡”が存在感を増しているように思われます。急転直下の実にスリリングな謎解きを経た後の、何とも凄まじい結末が圧巻です。

「叫び」
 英国人の医師とともに、アマゾンの奥地に現代文明と隔絶した生活を送る先住民を訪ねた斉木だったが、村に到着してみると部族の大部分が疫病に倒れていた。しかもそれは、恐るべきエボラ出血熱さながらの症状と高い致死率を示していたのだ。かくして絶滅寸前となった部族の中で、なぜか連続殺人が発生して……。
 極限状況としては「砂漠を走る船の道」をも上回るもので、(一見したところの)“殺人の無意味さ”という点では法月綸太郎「死刑囚パズル」『法月綸太郎の冒険』収録)に勝るとも劣らない、といったところ。そして、懸命の推理を寄せつけることなく軽々と超越する壮絶な真相に圧倒されます。

「祈り」
 長く入院している“僕”のもとを訪れた森野という男は、自ら“旅人”と名乗り、“僕”に遠い世界の話を語りにきたという。そして“僕”は森野と、部屋に貼られていたポスターの写真――東南アジアの小島にある、天然の洞窟を掘り直して寺院に改装した祈りの洞窟“ゴア・ドア”の謎を解く賭けをすることになったのだが……。
 本書の最後に配されているのは、やや毛色の変わった一篇。どちらかといえばミステリ色は薄く、あくまでも“物語”に重点が置かれた作品ではありますが、“僕”と森野の賭けの対象である“ゴア・ドア”の謎に加えて、明示されない“なぜ”が浮かび上がってくる……ようにも思われます。いずれにしても、巻末を飾るにふさわしく印象深い作品です。

2013.12.12読了

世界で一つだけの殺し方  深水黎一郎

ネタバレ感想 2013年発表 (本格ミステリー・ワールド・スペシャル)

[紹介と感想]
 本書は“芸術探偵”神泉寺瞬一郎を探偵役とするシリーズ第五弾で、いずれもハウダニットに工夫を凝らした二つの中編をまとめた作品集となっています。収録された二作の間には微妙なリンクも設定されているものの、物語の味わいも違えばハウダニットの見せ方も違うのが面白いところで、読み比べて楽しむのも一興。長編に比べれば分量が少ないとはいえ、“二度おいしい一冊”といってもいいかもしれません*1

「不可能アイランドの殺人」
 パパとママと一緒に久しぶりの家族旅行に出かけたモモちゃんだったが、行き先も知らされないまま到着したのは、一見何の変哲もない地方都市。ところがそこは、人が水の上を歩き、焼きそばが一瞬で茶そばに変わり、列車がトンネルの中で消失するなど、様々な不可能現象が起きる不思議な街だったのだ。そんな街で、思わぬ事件が発生して……。

 十歳の少女“モモちゃん”の視点から描かれた作品で、ミステリーツアーめいた家族旅行の目的地、〈不可能アイランド〉で次々に起こる不可能現象がまず愉快。いわばウォーミングアップ的なそれらは早々に種が明かされますが、なるほどと思わされる一方で、原理と現象の“落差”に思わず苦笑を禁じ得ないところも。

 やがて発生するメインの事件は、大胆に配置された手がかりに気づきさえすれば、作中での謎解きよりも早く*2――場合によっては事件が発覚した直後に――真相に思い至ることも可能だと思われますが、それでも「そんな手があったのか!」とうならされること必至。また、真相を隠蔽するためのある工作が、なかなか巧妙だと思います。

 全体的にやや軽い印象を与えるところのある作品ですが、それだけで終わることなく、結末には心を動かされるものがありますし、読者にのみ知らされる冒頭と中間部の独白がその効果を高めているところもよくできています。

「インペリアルと象」
 タイのリゾート地で、観光用のたちが突然、観光客を乗せたまま走り始めた――とある動物園では、定期的に屋外で無料のピアノコンサートが開かれ、人気を博していた。節目の十回目となる今回は、特に有名なピアニストが招かれて、力のこもった演奏を披露していたのだが、アンコール曲も最後にさしかかったまさにその時、予想外の事態が……。

 日本人の少女とタイ人の少年の交流を描きつつ、象たちの不思議な行動に焦点を当てた冒頭の一幕から、一転して物語は動物園でのピアノ・コンサートへ。このあたりですでに、漠然と“殺し方”の見当がついてしまうところもないではないですが、思いつき程度にすぎないそれをいかにして実現可能なレベル*3まで持っていくかが、この作品の見どころといえるのではないでしょうか。

 ピアノ・コンサートの様子は主に、演奏するピアニスト自身とピアノ曲に造詣の深い観客の視点を通じて描かれていき、それ自体が優れたプログラムの解説になっているのがうまいところで、(私のような)あまり知識のない読者にも十分楽しめるものになっているのがさすがです。そしてそこにさらなる解説を加えると同時に、犯人の企みをもつぶさに解き明かしていく“芸術探偵”の謎解きは、まさに圧巻。

 事件が解決された後の「エピローグ」が冒頭のエピソードにつながる趣向により、爽やかな余韻を残す印象深い幕切れになっているのも実に見事です。

*1: 福井健太氏による巻末の解説での、“本書は二種類の決め球を味わえる贅沢な一冊になっている”(294頁/注:下線部は傍点)という表現に納得です。
*2: 場合によっては、事件が発覚した直後に。
*3: より正確には、“実現可能だと読者に思わせるレベル”というべきでしょうか。

2014.01.05読了  [深水黎一郎]

デッドマン  河合莞爾

ネタバレ感想 2012年発表 (角川書店)

[紹介]
 若くしてスポーツジムを経営する男・神村俊が、自宅マンションで首なし死体となって発見された。現場で覚えた違和感を口にした警視庁捜査一課の警部補・鏑木鉄生が捜査本部を任され、個性派揃いの特別捜査班が結成されたのも束の間、今度はIT関連会社の青年社長・仁藤勉がホテルの一室で殺害され、胴体が持ち去られる事件が発生する。さらに、右手・左手・右足・左足のない死体がそれぞれ相次いで発見されて事件は六連続殺人へと発展するが、鏑木らの懸命の捜査もむなしく解決の手がかりはつかめない……。

[感想]
 第32回横溝正史ミステリ大賞を受賞した作者のデビュー作で、それぞれに個性豊かな刑事たちを主役に連続バラバラ殺人事件を扱いつつ、つなぎ合わされた死体から蘇った“デッドマン”をもう一方の主役に据えて――上の[紹介]でもお分かりのように、島田荘司の名作『占星術殺人事件』に挑んだ*1作品ということもありますが――島田荘司ばりの魅力ある幻想的な謎を演出することに成功した快作です。

 まず冒頭には意味ありげな日記が置かれていますが、そこから一転して物語は警察小説風の展開へ。首なし死体の発見から捜査会議の模様までが要領よく描かれつつ、主人公・鏑木をはじめとする主立った刑事たちの個性が軽妙な描写でしっかり印象づけられるところなど、なかなかの筆力といえるのではないでしょうか。とりわけ、鏑木が捜査会議において遠慮なく(?)異質な発想を披露し、捜査本部を任されて特別捜査班が結成されるあたり、やや強引ともいえますが実に面白く読むことができます。

 その特別捜査班の努力もむなしく難航する捜査をよそに、もう一方のパートでは“デッドマン”を主人公としたサイコサスペンス風の物語が展開されますが、ここで『占星術殺人事件』を下敷きにした“アゾート殺人”の様相が示されるのが大きな見どころ。『占星術殺人事件』を意識した作品は他にもありますが、そのトリックに着目した蘇部健一「六枚のとんかつ」『六枚のとんかつ』収録)や松尾詩朗『彼は残業だったので』*2に対して、本書は“アゾート殺人”そのものを扱い*3、それに対する一種の“別解”*4を作り上げようとした作品といえるかもしれません。

 実際のところ、真相の一部――“アゾート殺人”と“デッドマン”との関係などは比較的早い段階で予想できると思いますが、それだけではどう考えても6連続殺人と釣り合いが取れるはずがなく、殺人犯の企みはいかに――という大きな謎が浮かび上がってくるのがうまいところ。そして、“デッドマン”自身が独自に事件の真相を探り始め、やがて鏑木にコンタクトを取るあたりになると、二つのパートを俯瞰できる読者の目に少しずつ見えてくる壮絶な事件の背景が、物語をぐいぐいと引っ張っていきます。

 終盤、一気に加速して突入する緊迫したクライマックスでついに明かされる、事件の全貌はまさに圧巻。そして結末では、鏑木をはじめ特別捜査班の面々とともに、“デッドマン”の果たす役割が印象に残ります。奇抜な謎と解決を、読みごたえのある物語でしっかりと支えた、新人らしからぬ一作。おすすめです。

*1: 巻末の「主要参考資料」の筆頭に挙げられています。
*2: 蘇部健一「六枚のとんかつ」では(一応伏せ字)トリックそのものがまったく違った形に応用(ここまで)され、松尾詩朗『彼は残業だったので』では(一応伏せ字)トリックの一部を用いて別の効果を実現(ここまで)してあります。
*3: これには三津田信三『六蠱の躯』という前例もありますが、こちらはオカルトミステリなので(以下略)。
*4: もちろん、『占星術殺人事件』自体の別解というわけではありません。

2014.01.23読了

空白の殺意  中町 信

ネタバレ感想 1980/2006年発表 (創元推理文庫449-03)

[紹介]
 高崎市内の川土手で春見野高校の女子生徒・追貝弓江の扼殺死体が発見され、その二日後、同校の教師・角田絵里子が謎めいた遺書を残して自殺する。その春見野高校では、野球部が昨夏めでたく甲子園に初出場を果たしたが、その一因となった他の有力校の不祥事による出場辞退に、亡くなった二人が関わっていたというのだ。渦中の春見野高校ではさらに、事件前後から行方不明になっていた野球部監督が毒殺死体となって発見され、甲子園出場を目指す学校同士の熾烈で醜い争いの存在が浮かび上がってくるのだが……。

[注意]
 創元推理文庫版の裏表紙には、巻末の「あとがき」から作者の言葉が引用されていますが、本書の真相につながる大きなヒントとなりかねないので、事前に目を通さないことをおすすめします。巻末の「あとがき」及び折原一氏の「解説」*1も同様です。

[感想]
 本書は、『模倣の殺意』『新人賞殺人事件』)・『天啓の殺意』『散歩する死者』)と同様に、1980年に発表された『高校野球殺人事件』を改題・改稿したものです。30年以上前――“新本格ミステリ”勃興の数年前に発表された作品だけに、それこそ綾辻行人『十角館の殺人』の冒頭で“エラリィ”が批判している*2ような、ある種のリアリズム*3に則った物語は正直あまり好みではないのですが、少なくとも、その中でトリック/サプライズを追求する作者の技巧には、間違いなく一読の価値があると思います。

 『高校野球殺人事件』という旧題のとおり高校野球が題材とされていますが、甲子園を目指す高校球児たち自身ではなく、それを取り巻く大人たちの思惑の方に焦点が当てられており、新設私立校の経営事情や、越境入学に対する地元民の意識、果ては不祥事による出場辞退騒動と、高校野球の陰に潜むどろどろしたものが次々と飛び出してきます。もっとも、作者としてはそれらを社会問題として取り上げる意識は薄いようで、あくまでもミステリの道具立て――事件の背景として扱われるにとどまっている感があります。

 女子生徒殺害と女性教諭の謎めいた自殺を発端として、警察の地道な捜査が中心となっていきますが、前述のような高校野球の裏側が暴かれていくところには興味深いものがありますし、何といっても考え抜かれたプロットが非常に秀逸。現代の警察の捜査能力に抗して終盤まで謎を引っ張るための、常道の一つといってもいいかもしれませんが、物語が進むにつれて次から次へと目先を――(一応伏せ字)事件の“形”を(ここまで)――変えながら、捜査陣を、ひいては読者を欺いてみせる作者の手腕は実に見事です。

 二転三転する予断を許さない展開の果てに、巧みな手がかりや伏線をもとにしてついに解き明かされる真相――というよりも、それを最後まで強固に保護してきた、あまり派手ではないながらも周到に考えられたトリックに、脱帽せざるを得ません。作者自身、自作の中で最も出来がよく気に入っている作品と考えていた*4ようですが、それも十分に納得できるだけの、技巧的でよくできた作品といえるのではないでしょうか。

 ……ただし個人的には、裏表紙などで挙げられている某作品を先に読んでいたため、かなり早い段階で真相の核心部分が見えてしまったのが残念。そしてそこが明らかになると、せっかくの凝った展開が迂遠な回り道に感じられて逆効果になってしまうのが苦しいところですし、ラストの衝撃も減じて微妙な印象になってしまうきらいがあり、何とももったいなく感じられてなりません。

*1: 冒頭には“(ネタバレはありません。安心してお読みください)”(299頁)とありますが、私見では最後の頁(312頁)の記述はアウト。
*2: “一時期日本でもてはやされた“社会派”式のリアリズム云々は、もうまっぴらなわけさ。1DKのマンションでOLが殺されて、靴底を擦り減らした刑事が愛人だった上司を捕まえる。――やめてほしいね。”(講談社ノベルス版13頁)。ちなみにこれは、いわゆる社会派ミステリへの批判というよりも、“リアリズム”が過度に重視された結果としての、魅力的な謎と真相の欠如を嘆いたものだととらえるべきではないでしょうか。
*3: 文字通り“現実的”というよりは、一昔前の刑事ドラマ風の“リアル”に則した、といったような印象です。
*4: 「あとがき」によれば。

2014.01.30読了  [中町 信]

金蠅 The Case of the Gilded Fly  エドマンド・クリスピン

ネタバレ感想 1944年発表 (加納秀夫訳 ハヤカワ・ミステリ386)

[紹介]
 オックスフォード大学の学寮、ジャーヴァス・フェン教授の部屋では、新聞記者ナイジェル・ブレイクらを前に、同僚のウィルクス老教授が語る幽霊話が佳境に入っていた。と、その時一発の銃声がとどろき、一同が階下の一室に駆けつけてみると、学寮に遊びに来ていた女優イズー・ハスケルが、額の真ん中を撃たれた無残な死体となって転がっていたのだ。現場近くにいた証人によれば、犯行前後に現場に出入りした人物はいないとのことで、自殺かとも思われたのだが、金蠅を象った指輪が被害者の死後に指にはめられたらしく、事件は不可解な密室殺人の様相を呈する……。

[感想]
 本書は、エドマンド・クリスピンがオックスフォード大学在学中に書いた第一長編にして、シリーズ探偵ジャーヴァス・フェン教授の初登場作です。ポケミス45周年の復刊希望読者アンケートで第2位に輝いて1998年に復刊されましたが、もとは1957年の翻訳だけにかなり古い訳文で読みづらい*のが難点で、そのせいもあって少々面白味に欠けているように感じられるのは否めません。

 さて物語は、とある劇団の関係者(及び実質的な主人公の新聞記者ナイジェル)が、それぞれにオックスフォードに集まってくるところから始まります。登場人物が多い上に、愛憎が交錯して入り組んだ人間模様が形成されている――ここが大きな見どころでもあるわけですが――ために、序盤はやや物語に入りにくい感もありますが、いかにも被害者になりそうな造形(失礼)の女優イズー・ハスケルを中心に、不穏な空気が高まっていくあたりは読ませます。

 そしてついに事件が起きるのは、フェンら一同を前にウィルクス老教授が語る、昔学寮で起きた殺人事件を発端とする幽霊話が佳境に入り、“殺人は殺人をよぶものなんだ”との言葉が発されたまさにその時で、雰囲気十分の演出がなかなか魅力的。事件そのものも、明らかに自殺ではない痕跡を残しながら、犯人が現場に出入りできたはずのない不可能状況を呈し、興味を引きます。もっとも、今ひとつとらえどころがない印象を残す部分もあるのが難しいところですが……。

 物語後半では、事件をよそに新作の芝居の準備を進める劇団関係者たちの様子と並行して、やや停滞気味の捜査が描かれていきますが、その中にあってフェンただ一人だけは早々に事件の真相を見抜いている節があるのが、名探偵らしいというか何というか。かくして、いわば“金田一耕助風”(?)の一幕を経てもたらされる解決は、ある意味でショッキングといってもいいかもしれません。そして解き明かされるトリックは、少々無茶なところがあるのは確かですが、意外に凝っているようにも思われます。

 題名にもなっている“金蠅”の意味は最後に明かされますが、これは正直なところ拍子抜けで、もう少し違った扱いにした方がよかったのではないか、とも。全体的にみると、面白いところはあるもののやや微妙な印象が残ってしまう作品ですが、前述のように読みづらさで損をしている部分もなきにしもあらずで、訳文が変わると印象もまた違ったものになるかもしれません。というわけで、ぜひとも新訳での復刊をお願いしたいところです。

*: “ハエ”をハイと表記してあるあたりでお察しください。

2014.02.13読了  [エドマンド・クリスピン]