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生け贄/鳥飼否宇

2015年発表 講談社ノベルス(講談社)

 まず、このシリーズ名物(?)の生物学ネタ――“タイガ”の正体がサメではなくシャチだったという真相は、両者の外見などのイメージが似ていることもあって、正直なところややインパクトに欠けるようにも思われます*1が、寿命や成長速度、知能、さらには尾びれの付き方など、魚類と哺乳類の大きな違いが生かされているのがうまいところ。そして、“鯱”=“魚+”だから“タイガ”というネーミングには、納得させられつつも苦笑せずにはいられません。

 事件の方は、密室殺人と思われた明神弓子の死が(ひとまずは)“自殺”とされたり、“タイガ”に食いちぎられたかのような昌武の死が――この種のミステリでは珍しく――“そのまま”だったりと、全体的に拍子抜けの感がないでもないですが、それらが“本命”の謎である白崇教の秘密につながっていくところが巧妙。怪しげな宗教団体には付き物(?)の違法薬物はまだしも、〈第八土明丸〉の事故の陰から潜水艇が飛び出してくるのは唖然とさせられるところで、ネタバレなしの感想に書いたように古典的なミステリの趣がある本書だけに、それとの落差もひとしおです。

 また、“タイガ”が昌武を襲ったことから餌づけが導き出され、過去の芳賀信彦の死の顛末とあわせて“生け贄”が暴露されるところがよくできています。題名に示されているのであまり驚きはありませんが、教団で生活していた信徒たち全員が“生け贄”となる運命だったというのはやはり凄絶です。その中にあって、アルビノだったことが明らかになった芳賀秀実が、信彦とは違って殺されなかったであろうことは見当がつきますが、明神直美の双子の妹だったというのは完全に予想外。

 このあたりについて鳶山はおそらく、“赤しゃぐま”/“どっぺるげんげる”から隠された子供の存在を仮定し、それが“誰の子供なのか?”を検討していったと思われます。純と顔が似ている(→“お面の下から現れたのは自分の顔だった。”(73頁))ことから血縁関係が想定できるとして、雅と純の双子が“実は三つ子だった”というのは少々苦しいところがあるので、手ぬぐいで顔を隠していたことからアルビノだった可能性がある秀実が、直美の妹であり隠された子供の母親だと推測したのではないでしょうか。

 もっとも、鳶山が事前に推測できそうなのはそこまでで、子供の父親が明神真毅だったことは安岡伸吾に教えられたのでしょうし、子供のすり替えについても予想していなかった――“赤しゃぐま”の正体が秀実の子供だという猫田の言葉(224頁)を否定していない――と思われます(秀実の子供が聖だと断言した明神初代の言葉*2を疑う理由はないはずですし)。“わたしもアルビノに生まれればよかった”(19頁)と嘆く純が、両親ともにアルビノだったというのは皮肉な気もしますが、真毅が“深紅の双眸”(18頁)だったのに対して秀実(直美)は“ブルーの瞳”(55頁)で、アルビノとはいっても遺伝子型が異なる*3と考えられるので、純がアルビノでなくても不思議はありません。

 最後には、聖が純の祈りをかなえるために弓子と昌武を殺したという、何とも救いのない真相が示されています。弓子の死が、自殺としては不自然な手口なのは確かで、自殺でないとすれば密室内にいた聖の仕業と考えるのが妥当でしょう。逆にいえば、“犯人が密室内に隠れていた”という陳腐なトリックを使ってまで密室が構成されていたのは、聖の存在を暗示するため――密室殺人が手がかりとして用意された、ということになるのではないでしょうか。

*1: 鳶山が、ホホジロザメやイタチザメを挙げつつ“ボクだったらほかの生き物を捜し……”(175頁)と言いかけるところや、猫田にクジラ類の説明をする中でイルカに触れつつシャチに言及しないところなど、ヒントも示されていますし。
*2: 初代はすり替えを知っていたようです(230頁)が、少なくとも“秀実”に対しては、悪意をもって答えるのが(心情的に)自然ではないかと思われます。
*3: 直美と秀実、そして雅は、厳密にはアルビノではなく“リューシスティック(白変種)”と呼ばれる変異かもしれません。

2015.05.27読了