入れ子細工の夜/阿津川辰海
- 「危険な賭け ~私立探偵・若槻晴海~」
まず、“若槻晴海”を名乗っていた“おれ”の前に、“「おんどり書店」の店主”を装っていた本物の若槻晴海が飛び出してくるのにしてやられました。作中にも
“女みたいな名前だね”
(7頁)とあります(*1)が、“若槻晴海”という名前があからさまに若竹七海をもとにしていることが、女性であることを示唆する伏線といえるように思います(*2)。本物の若槻晴海の存在が明らかになってみると、“おれ”が若槻を装って牧村の『まだらな雪』を――それを持つ倉畑を追っている裏で、本物の若槻と倉畑の方も“おれ”を追っていたという鏡のような構図が浮かび上がってくるのが鮮やか。また、
“K社から刊行された”
(26頁)はずの『まだらな雪』に挟まれていた“M社”
(39頁)の読者カードが、“おれ”を釣る“エサ”として機能すると同時に、“おれ”が追われていることを暗示する伏線となっているのが見逃せないところです。“おれ”が食いつくのもよくわかるほど印象的な“老人と犬”の話が、若槻が語ったように『まだらな雪』の中のエピソードではなく(*3)、当の“おれ”をモデルに若槻が作り上げたものだったというのが強烈。『まだらな雪』に挟まれていた証拠写真から、牧村が“おれ”を恐喝していたことまでは予想できるとはいえ、若槻が知り得ないはずの牧村と“おれ”の詳細な関係にぴったりはまりすぎている感もありますが、犯人を捕らえて終わりではなく探偵の側の“歪み”まで描き出すことで、これまた印象に残るよくできた結末となっています。
*1: 次の「二〇二一年度入試という題の推理小説」に登場する、S塾の山岡講師による(おそらく)力作の
“「名前にも読める一般名詞・名字にも名前にもなる名前リスト・男女誤認に多用される名前リスト」”
(127頁)にも載っていたりするのでしょうか(苦笑)。
*2: 引用した台詞自体はむしろ、“おれ”が男性であることを読者に示す役割を担っているといえます。
*3:“犬のシーンはどこにもない。”
の繰り返し(63頁)が、実に効果的に“おれ”の絶望を表現しているのがお見事。
- 「二〇二一年度入試という題の推理小説」
まずS塾の模範解答は、まさかの叙述トリック(*4)――登場人物が一人隠されていたというトリック(*5)で、
“六分割サイズの画面”
(2ページ)はともかく、被害者が言及したプレゼントと並んで描写されているところから、卓上扇風機までプレゼントだったという解釈は十分に可能ですし、“照明足りない?”
(4ページ)という一言から“照明{テルアキ}”という名前まで出てくるあたり、意地の悪い犯人当てでありそうな解答になっていると思います。そして、卓上扇風機の風による煙の揺らぎを目印にしたという推理が秀逸で、プレゼントからして犯行計画の一環だったという点でもよくできています。ただし、問題文には
“卓上扇風機などが”
(7ページ)と書かれているので、机の上にはさらに他の物が置かれている――となると、“すべてがプレゼント”だとすれば参加人数が増えることになり、“六分割サイズの画面”
と矛盾してしまいますし、“すべてがプレゼントというわけではない”とすれば、被害者が言及していない卓上扇風機までプレゼントに含める根拠がなくなります。もちろん、作中で指摘されているように“「僕」にとって犯人は自明”
(130頁)という問題もあるので、残念ながらこの解答は成立しないでしょう。一方、ブログ「Mystery Room」の解答は、コンセントの矛盾(*6)から“パソコンの電源コードは窓側のコンセントに挿さっていた”――ひいては“犯人はウイの部屋にいた”とするもので、問題文の中で否定されていた“電源コードをたどった”仮説が、位置の変更で復活するのが面白いと思いますし、問題文ではあくまでも“犯人が廊下から来た”ことが否定されている、と解釈するあたりが犯人当てらしく感じられます。そして、
“イヤホンを外して”
(4ページ)いながら会話を把握していたエリが犯人、という結論にも納得です。しかして大学が用意した解答は――出来がよくないのは意図的なので遠慮なく突っ込みますが(笑)、“早業殺人”という真相が面白味を欠いているのもさることながら、公式サイトに掲載されたという解答(139頁)そのものがやはりいただけません。
犯人はオウ。ウイとオウは協力してイタズラを仕掛け、ウイはオウが部屋に入れるように玄関の鍵を開けておき、自分でミュートボタンを押したが、駆けつけたオウが裏切って、煙が晴れる前にウイを殺した。
出題者の意図に沿ってみると、上に示したような解答が考えられます。“ウイに近づいたのはオウだけであり、他の三人にはアリバイがある”、という前提は書いておいた方がいいかもしれませんが、
“事件の核は、もっと簡単なところにある”
(23ページ)というのは探偵役である平良(ひいては問題文の作者)からのヒントであって直接の手がかりではないので、大学の解答にある“これこそが、作中で言われているシンプルな解答だ。”
などは不要でしょうし、“古い付き合いの中で溜まっていた憎悪を吐き出すべく”
に至っては、問題文の記述に基づかない“妄想”にすぎないので解答として不適切でしょう。実のところ、“ミュートボタンを押したのはウイ自身”というポイントを思いつけば(*7)、あとは
“一緒になってイタズラ”
(7ページ)や“玄関扉の鍵”
(15ページ)といった、そのポイントにつながる手がかりを拾って並べるだけでおおむね解答ができあがり、下手をすると上のように100文字以内に収まってしまう――ということは、正解者の間での差別化が難しくなるので、大学入試の小論文としてはいかがなものかと思います(*8)。まあ、「謝罪文」という名の後出しでの“別解つぶし”の凄まじいひどさをみれば、さもありなんという気もしますが(苦笑) 。*4:
“「出題範囲」”
(73頁)をみると、(一応伏せ字)その可能性も想定しておく必要があるのは確か(ここまで)ですが。
*5: 拙文「叙述トリック分類#[A-3-3]第三者の隠匿」を参照。
*6: 細かいことをいえば、“ジャズの演奏”
(4ページ)がラジカセとは限らないようにも思われますが、オウがミュートを解除した後に音楽の描写がないことが、“ラジカセのコードを抜いてパソコンのコードを挿し替えた”という推理に符合しているのがうまいところです。
*7: この部分、手がかりといえそうなものは“他に可能な方法が見当たらない(ように思われる)”くらいしかないので、(先入観を排除した)発想力の勝負になっている感があります。
*8: 正解者は人数に関わらず全員合格させる予定であれば、もしくは正解率が十分に低ければ別かもしれませんが。
- 「入れ子細工の夜」
密室劇を演じることで、“編集者”の指紋がついた果物ナイフなどの証拠を手に入れる“作家”の手際がまず巧妙(*9)。そして、正当防衛を装って“編集者”こと“若い男”を撃ち殺すと見せかけて、妻殺しの罪をかぶせるという“作家”の企みから、果物ナイフという“凶器”の不自然さと、段ボール箱で隠されていた血痕に残る
“円弧形”
(182頁)の痕跡、さらにはクローゼットを挟んだお互いの不自然な動きといった手がかりをもとに展開される、“どちらが殺したのか”をめぐる熾烈な攻防が圧巻――と思いきや、何とも凄まじい結末に唖然とさせられます。前半の密室劇では一貫して“作家”とされているのに対して、冒頭では
“小説家”
(153頁)と異なる表記がされていることから、物語が“枠外”へ広がるメタ趣向であることまでは見当がつきますが、“枠外”でもまた一味違う密室劇が始まるのにうならされます。“オーナー”が付け加えた結末の“時計のようなもの”
(197頁)を使った、“小説家”が妻殺しを小説に仕立てたという告発から、二十五年前の事件――“小説家”が“若い男”の方だったという真相が飛び出してくるのに驚かされますが、金庫の暗号に使われた本をはじめ、“小説家”が指摘した“三つの変更点”がそのまま二十五年前の事件につながるところがよくできています。そこから先の“オーナー”と“小説家”が手を組む展開は、正直なところ、それまでの緊張感を緩めてしまうところがある(*10)と思いますし、最後に“脚本家”が登場してもう一つ“枠外”へ広がる結末は、(もちろん“オーナー”と“小説家”の物語からしてそうなのですが)“外”へ向かうのは〈玉ねぎ型〉にはそぐわないようにも思われるので、若干微妙な印象がないでもない――とはいえ、物語の締めくくりとしては妥当なところではないでしょうか。
*9: しかしその裏に、“若い男”が
“死体を見たのかどうか、確かめずにはいられなかった”
(187頁)という、密室劇のさらなる動機が用意されているのが周到です。
*10:“小切手帳とペン”
(199頁)が“チェーホフの銃”
(221頁)になるあたりはうまいと思うのですが……。
- 「六人の激昂するマスクマン」
殺された〈シェンロンマスク〉こと羽佐間二朗の事件発覚前夜の行動が、酒に弱い〈ズルムケ・マランプ〉を利用したアリバイ工作だったこと――ひいては、二朗が誰かを殺そうとして返り討ちに遭ったことまでは見当がつくものの、はたして二朗が誰を殺そうとしていたのかがさっぱりわからないのがうまいところです。
そこで、“なぜマスクが剥ぎ取られたのか”を出発点にして、思わぬ真相を明らかにしていく〈ウルフ山岡〉の推理が実に鮮やか。“マスクを脱がせようとした”ところまでは“マスク剥ぎ”の近似にすぎないともいえる(*11)のですが、普通であれば真っ先に出てくるはずの、しかし特異な設定ゆえに“盲点”に追いやられていた“マスクの下の素顔を確認する”という解釈のもと、“関係者の中で〈シェンロンマスク〉=羽佐間二朗だと認識していない人物”、すなわち本物の〈シェンロンマスク〉が犯人という、まさかの結論に行き着くアクロバティックな推理が非常に秀逸です。そして細かい手がかり(*12)から、二朗の兄・一俊が本物の〈シェンロンマスク〉だったとされるのにも納得。
閉会後には、出席していた〈ファントム・ザ・グレート〉の正体がが明らかになりますが、〈ホークアイ鷹城〉の入れ替わりに始まり、〈シェンロンマスク〉の入れ替わり、そして〈ファントム・ザ・グレート〉の入れ替わりと、入れ替わりの“天丼”ともいうべき展開がユニークですし、直接の登場人物がごく限られているにもかかわらず、正体が明かされるとそれぞれに納得できる“身代わり”が用意されているのが巧妙です。
……ということで最後には、〈ファントム・ザ・グレート〉こと「週刊学生プロレス」の記者を取り囲む“激昂するマスクマン”が一人足りないと思っていると、意外なところから“激昂するマスクマン”の“六人目”が登場してくるのに脱帽です。
ちなみに、「あとがき」で「六人の熱狂する日本人」に
“手掛かり一つ一つまで寄せて”
(304頁)(*13)とされているのは、(以下伏せ字)“(内側の)血痕”、“レシート/領収書”、そして(こちらでは事件と関連はしませんが)“捻挫”(ここまで)あたりでしょうか。*11: 二朗が殺された際にマスクを被っていなかったとすれば“マスク剥ぎの見立て”と解釈できますが、マスクを被った状態で殺された場合には“マスク剥ぎ”そのものという解釈も成り立ちます。
*12:“麦わら帽子”
(258頁)のエピソードまで仕入れていた、リングアナウンサー・坂田大介の多大なる貢献(苦笑)が見逃せないところです。
*13: 手がかりではありませんが、“俺たちは、すべての真実を突き止めたうえで、その真実を放棄することを選んだ”
(289頁)という“俺”の独白が、「六人の熱狂する日本人」の(一応伏せ字)“俺たちは推理をした上で、その推理をすべて放棄するんすよ”
(ここまで)(『透明人間は密室に潜む』単行本125頁)という台詞に対応しているところにも、ニヤリとさせられます。