人間の顔は食べづらい/白井智之
まず「プロローグ」で描かれている野田議員殺害は、“探偵役”由島三紀夫によって冨士山大臣が犯人と名指しされながら、鉄壁のアリバイで容疑を免れることになっていますが、「三 河内ゐのり」で描かれたそのアリバイの様子、そして何より本書の特殊設定を考え合わせると、非合法のクローン人間を用いたアリバイトリックであることは、かなり見え見えではないかと思います。何といっても冨士山自身が培養槽の開発者ですし、作中で柴田和志が非合法のクローンを密かに育てていることも手がかりといえるでしょう。
そうなると、商品ケースに入っていたとされる生首が、そのクローンの生首だったという――後に〈チャー坊〉が柴田に披露している――仮説にまで思い至ることもできるかもしれませんが、個人的にはこれは微妙。というのも、未加工肉が顧客に発送される場合には、骨や(一部の)内蔵など食べられない部分、すなわち廃棄物の管理も厳重になされるはず(*1)だからで、頭部だけが処理に困るというのは実際にはおかしいのではないでしょうか。残念ながら、作中ではそこが完全にスルーされていますが、謎解きに関わるという意味では(ネタバレなしの感想で挙げたものよりも)筋のよくない設定の不備だと思います。
さて、メインの事件である生首混入事件については、以下のように様々な推理が積み重ねられて、多重解決の様相を呈しています。対象が人間ではなく生首ではあるものの、問題となるのはプラナリアセンターから冨士山の邸宅までの移動と、商品ケースへの侵入ということで、見方によってはアリバイ+密室ともいえる状態となっているのが見どころでしょう。
- ・柴田が犯人(冨士山ら?)
- 首の切断と死体の梱包・発送を行った柴田がそのまま犯人だとする推理(?)。
読者にはもちろん柴田が犯人でないことは明らかですが、客観的な否定材料はありません。
- ・抗議活動家が犯人(設楽)
- 検問をしていてトラックを止めた警察官が偽物だったとする設楽センター長の推理で、“困難は分割せよ”を地で行くように、廃棄された首の回収と商品ケースへの混入をうまく分割してあるのがポイント。それを可能にするための複数犯という犯人像と、移動手段として鉄道を利用してある点も見逃せないところでしょう。
トラックの運転手・峯田が検問を一度しか受けていないことで、偽の検問だった可能性が鮮やかに否定されているのもうまいところです。
- ・冨士山が犯人(柴田・由島)
- 生首の存在自体を否定して冨士山の自作自演を疑う柴田ですが、由島が生首を確認。しかしその由島は、財産のある元政治家ならではの高速移動トリックを示して、やはり冨士山の自作自演だと推理しています。既視感のある陳腐なトリックなので、これが“誤った解決”であることは明らかですが、「プロローグ」での鮮やかな探偵ぶりに続いての推理によって、由島が“本書の探偵役”だと思わされてしまうのが面白いというか何というか。
ここではトリックはさておいて、脅迫状の筆跡を鑑定することで、少なくとも“冨士山が脅迫状を書いた”ことは否定されていますが、同時に柴田をはじめこの場にいる主要登場人物の筆跡とも一致しなかったことで、新たな謎が生じているところもよくできています。
- ・由島が犯人(冨士山)
- 最初に商品ケースから発見されたのは、偽物の生首だったとする冨士山の推理。“犯行時刻の錯誤”はアリバイものでも密室ものでも定番のトリックの一つですが、後で登場した由島を犯人とすることで生首の移動と侵入の問題を一挙に解決できるのはやはり鮮やかです。
いかにもな形をした由島のナップザックの中身が、偽物の生首ではなくヘルメットだったということでオチがついているのもお見事。
- ・設楽が犯人(河内)
- 柴田の腕時計が紛失していたことを手がかりとした河内ゐのりの推理で、時計の操作による時刻の誤認はこれもアリバイトリックの定番の一つ。
生首混入事件に関して直接推理を否定する材料はありませんが、その後に起きた廃棄物処理センター侵入事件で、侵入するために扉を壊す必要がないというのは妥当です。
- ・冨士山が犯人(チャー坊)
- 本書の白眉といってもいい、意外すぎる探偵役・〈チャー坊〉による推理で、例えば
“木村が犯人である可能性については、あとで検討さしてもらいやすんで”
(239頁)といいつつ結局放置してあるなど、実際には結構雑なところもあるのですが、やはり野田議員殺害事件・生首混入事件・廃棄物処理センター侵入事件・プラナリアセンター爆破事件のすべてに、筋道の通った(ように見える)説明をつけてあるところは実に見ごたえがあります。
前述のように、野田議員殺害の際の冨士山のアリバイトリックは見え見えですし、クローンの生首だけが処理に困るというのは微妙なところもあるのですが、それでも生首混入事件に単なるいやがらせなどではない合理的な動機を与えてあるところがよくできています。さらに、廃棄物処理センター侵入事件についてももう一つの生首の回収という合理的な動機が示され、プラナリアセンター爆破事件についても(隠蔽のための)職員の皆殺しという凄まじいながらも納得できる目的が用意されることで、“冨士山が犯人”という結論に説得力が与えられています。
そしてその結論を導き出すために、“偽の手がかり”をもとにしつつ犯人の計画――生首の回収と職員の皆殺し――が不発に終わったことまで演出して、“犯人は弱視で、なおかつプラナリアセンター職員ではない”という絞り込みの条件を示してあるのが見事です。
「十九 柴田和志」で言及されているように、(クローンも含めて)冨士山が弱視ではないことを示す手がかりはいくつもあり、“冨士山が弱視である”という解釈が推理の誤りを決定づける、いわば“逆の決め手”として扱われているのも面白いところです。
ここまできたところで、「河内ゐのり」のパートに登場する“柴田和志”が〈チャー坊〉だったという、“二人一役”の叙述トリック(*2)が暴露されます。正直なところ、そこのところはまったく警戒していなかったのですが(汗)、「エピローグ」で“河内ゐのり”が言及している(275頁)ように煙草に関する差異はあからさまな手がかりで、感服するよりほかありません。“二人の柴田和志”がどちらも人格を使い分けていたという設定もうまいところですし、何より“河内ゐのり”も“二人一役”だったというトリック(*3)によって、真相がしっかりと隠蔽されているのが巧妙です。
しかしながら、“二百キロを超える巨体”
(183頁)である〈チャー坊〉が、“河内ゐのり”の視点で単に“大柄な男”
(16頁)とだけ表現されているのは、さすがにアンフェア気味ではないかと思います。また、柴田の顔写真が(〈チャー坊〉と比べて)“びっくりするほど贅肉が少なく、痩せていた”
(269頁)のであれば、体格があまりにも違いすぎて〈チャー坊〉が柴田の服を着る(269頁)のは無理でしょう。このあたりは、(ネタバレなしの感想で指摘した理由も含めて)クローンを太らせすぎなのが問題で、せめて体重百キロ程度であればまだ何とかなるかもしれませんが……。
最後に「エピローグ」で真相が明かされますが、〈チャー坊〉が計画に関与していることはその直前までで明らかなものの、〈チャー坊〉自身には犯行は不可能なので、冨士山――そのクローンが犯人であることは予想できるのではないかと思われます。しかしここで、脅迫状そのものが大胆な手がかりだったことが示されるのが非常に秀逸。わざわざ図示されていた(101頁)ので、何かありそうだとは思っていたのですが、まったくその意味には思い至らず、完全に脱帽です。
そして、プラナリアセンター爆破事件の際の、クローンの首切りの意味――その裏に隠された犯人の計画が秀逸。かくして、終始ミステリとして進んできた物語の最後にきて、SF的なテーマ――“被造物”の反抗というテーマはSFとして古典的ではありますが――が浮上してくるのが印象的で、SF的な設定が決してトリックのためだけのものではなく、物語としっかり結びついているところに作者の手腕がうかがえます。
ただし、(“逆の決め手”もあるものの)大筋ではよくできていた〈チャー坊〉の推理がひっくり返されることで、密かに大きな破綻が生じているのが難点です。問題は廃棄物処理センターへの侵入事件で、不審者(冨士山のクローン)の真の目的は柴田を嵌める“偽のシナリオ”
(290頁)だったということになります(*4)が、作中でも柴田が考えている(*5)ように、そもそも柴田が(ふと思い立って腕時計を探しに管理棟に立ち入り、警備室の監視カメラの映像で不審者に気づいて)廃棄物処理センターに来ることはまったく期待できないはず。しかしこの事件は、“犯人は弱視”だと柴田をミスリードするには不可欠なので、確率の低い偶然を当てにすることは到底できません。というわけで、この部分がいかんともしがたいことになっているのが残念です。
*2: 拙文「叙述トリック分類#[A-1-2]二人一役」を参照。
*3: こちらは、
“十時五十四分。/スマートフォンをバッグにしまう。”(226頁)と、スマートフォンで時刻を確認していることを匂わせることで、腕時計をしている「十一 柴田和志」の河内ゐのりとの差異を出そうとしてある、くらいしか手がかりは見当たらないようにも思いますが、あくまでも副次的なトリックなので問題ではないでしょう。
*4: 〈チャー坊〉と通じている冨士山のクローンは、すでに生首が焼却されていることも知っていると考えられるので、本物の冨士山の場合と違って生首を回収しにいく理由はありません。
*5:
“和志が警備室のモニターで侵入者に気づいたのはまったくの偶然であり、不審者が誰かと鉢合わせることを想定していたとは思えなかった。”(157頁)とあります。
2014.11.07読了