密室から黒猫を取り出す方法/北山猛邦
- 「密室から黒猫を取り出す方法」
この作品で使われている密室トリックは、非常にシンプルで効果的なものではあるのですが、犯人の計画通りにいけば何の手がかりも残らず解明は不可能となる一方、唯一の手がかりとなり得るスプリングが現場に残ってしまうと見え見えになってしまうという、作者としては実に扱いにくい代物です。つまり、“どうやって密室を構成したか”を“捨てトリック”として読者に示すのはいいとしても、“どうやって真相が露見するか”にほとんど面白味がないために、単純に倒叙形式にするだけでは問題の解決にならないのです。
この作品ではそこに、もう一つのハウダニット――“どうやって密室から黒猫を取り出したか”を組み合わせてあるのが巧妙なところですし、密室からの黒猫の脱出が犯人にとってのみ謎となっている――現場に黒猫が侵入していたことを知らない人物にとっては謎となり得ない――のが非常にユニークで、倒叙形式が実にうまく生かされているといえるでしょう。もっとも、肝心の密室から黒猫を取り出すトリックが、物語の中で割とどうでもいい感じになってしまっている印象は拭えませんが……。
- 「人喰いテレビ」
テレビの中を隠し場所として使う発想がなかなか面白いと思いますが、ブラウン管テレビと液晶パネルとの組み合わせによりテレビとしての機能が一応備わっているのもうまいところ。そして、頭と右腕をテレビの中につっこんでいる姿が、“UFO研究会”というオカルト指向の目撃者ゆえに、“人喰いテレビ”という怪奇現象に発展しているところもよくできています。
いきなり銃が持ち出される解決には少々飛躍が感じられますが、地下室の壁の様子や、右腕の切断など、状況をうまく説明できる真相になっているのは確か。そしてその右腕の切断が、“人喰いテレビ”の目撃談を補強するものになっているところが巧妙です。
- 「音楽は凶器じゃない」
もともとその場にあった物の組み合わせで凶器が作り出され、犯行後にまた元の状態に戻されるというメカニズムは、“消えた凶器”トリックとしては比較的珍しいものではないかと思われます。というのは、凶器になり得るものが現場にあれば徹底的に痕跡が調べられるはずだからで、この作品の場合には凶器が150もの“パーツ”に分解されて凶器とはまったく違った形になっている上に、“パーツ”となったCDの目立たない場所(縁)が使われているのが巧妙なところです。
とはいえ、出血させないように(*1)殴り殺すための力加減には難しいところがありそうですし、重ねたCDにちょっとでも隙間が空けば“曲面”の中に“角”が生じてしまう(*2)という問題もあり、あまり“現実的”なトリックとはいえないように思います。
ところで、CDラジカセの中に凶器が隠されたという白瀬の推理(133頁)は、やはり「人喰いテレビ」の真相が頭にあったせいでしょうか。
- 「停電から夜明けまで」
真っ暗闇の中で犯行を可能にする手段として暗視装置を使うというのは、オーソドックスなミステリのトリックとしてはやはり反則といわざるを得ないところで、倒叙形式に仕立てるよりほかないのは理解できます。ここで、暗闇の中でも普通に見えるという犯人の有利さを逆手にとった、音野要が仕掛けた罠の巧妙さはいうまでもないでしょうし、それが異色の名探偵である音野順のキャラクターにぴったりはまっているのも見事なところですが、基本的に犯人の視点で進んでいく倒叙形式を利用して作者が仕掛けた企み――読者に対する“逆叙述トリック”(*3)が非常に秀逸で、脱帽せざるを得ないところです。
それにしても、
“一言も喋らずに、ただ黙っているだけで、犯人を示してしまった”
(200頁)といえば聞こえはいいのですが、自身で謎を解くことなく、あくまで解決の決め手として扱われる名探偵という構図には、やはり苦笑を禁じ得ません。ちなみに、実際には音野順は一言だけ喋っているのですが、それが“あ、えっと……うう”
(182頁)だというのがまた何とも。- 「クローズド・キャンドル」
メインの密室トリックは、火のついた蝋燭を時限装置として利用するものですが、被害者の体を支えておくために火のついていない蝋燭も使用され、両者が適当に混在していることで真相(蝋燭の用途)が見えにくくなっている感があります。
一方、名探偵・琴宮を登場させることで比之彦をワトスン役だと誤認させるトリックが秀逸で、白瀬(実際には音野)と琴宮との対決がクローズアップされることにより、音野―白瀬に対する琴宮―比之彦という図式が強調されているのも見事です。
*2: それによって、出血につながる裂傷を生じやすくなってしまいます。
*3: 厳密にいえば、視点人物である犯人だけが音野順の存在を知っているわけではありませんが、視点人物(ひいては読者)が知らされている事実を他の登場人物(の多く)が知らないという状況は、“逆叙述トリック”といっても差し支えないところでしょう。
2009.11.26読了