密室から黒猫を取り出す方法 名探偵 音野順の事件簿
[紹介と感想]
気弱な性格で引きこもり気味の名探偵・音野順と、友人の推理作家・白瀬白夜のコンビを主役とした、『踊るジョーカー』に続くシリーズ第二弾です。
一見すると(他の作品に比べると)小粒なトリックをキャラクターとユーモアで支えているようにも思われるシリーズですが、歌野晶午『密室殺人ゲーム王手飛車取り』・『密室殺人ゲーム2.0』(*1)などにも通じる、“オーソドックスなミステリの中で扱いにくいトリックをいかに効果的に見せるか”というコンセプトが、前作よりもはっきりと打ち出されているのが注目すべきところでしょう。典型的なのが、“物理の北山”との異名を取るハウダニットに重きを置いた作風とはそぐわなさそうな、倒叙ミステリの形式が採用された「密室から黒猫を取り出す方法」と「停電から夜明けまで」の二篇で、いずれも扱いにくいトリックを犯人の視点から序盤でさらしておきながら、最終的にはある種のハウダニットを成立させているところが、非常によくできていると思います。
- 「密室から黒猫を取り出す方法」
- ホテルの一室で上司を殺害し、自殺に見せかけようとする男。だが、扉を室内側から施錠するトリックを実行中に、どこからともなく現れた黒猫が現場に入り込んでしまう。計画に破綻を来しかねないアクシデントに焦る男だったが、すでに完成した密室から黒猫を取り出す方法はなかった……。
- ほぼ完璧とも思える密室トリックが早々に披露されていますが、黒猫の侵入というアクシデント(*2)が致命的な事態を招いています。焦る犯人と、事件をよそにどこかのんきな音野・白瀬とのギャップが印象的ですし、倒叙形式を生かした面白い状況が成立しているのも秀逸です。
- 「人喰いテレビ」
- 別荘地のロッジを借りていた男が、鈍器で頭を殴り殺されて近くの雑木林で発見されたが、死体はなぜか上半身が裸で右腕が切断されていた。そして同じ別荘地に滞在していたUFO研究会の会長は、被害者が前の晩に自身のロッジで、頭からテレビに喰われるところを目撃したというのだ……。
- 怪談風の目撃証言が添えられた殺人事件が扱われていますが、その目撃証言が思わぬ真相につながっていくのが見どころ。そして“人を喰った”トリックもお見事です。
- 「音楽は凶器じゃない」
- 音野の探偵事務所を訪ねてきた女子高生は、六年前に学校で発生したという迷宮入り事件の解決を依頼する。音楽室で音楽教師と女子生徒が何者かに殴り倒され、教師は死亡し生徒も大怪我を負ったという事件で、強盗にしてはおかしなところがあり、生徒の自作自演も疑われたのだが……。
- 過去の事件の謎解きが行われる異色の作品で、状況が説明されていくにつれてポイントもはっきりしてくるものの、その種のテーマ(?)では珍しく感じられるトリックが面白いところ。そして過去の事件であるがゆえの、苦い後味を残す結末が印象的(*3)。
- 「停電から夜明けまで」
- 金持ちで性格の悪い義父を殺そうと、屋敷でしばしば起きて長時間続く停電を見込んで計画を立てていた兄弟は、ついにその実行に踏み切る。その夜屋敷には数名の客が招かれていたが、暗闇を利用した殺人計画の妨げにはならないはずだった。ところが、音野の兄・要が客の中にいたことで……。
- 『踊るジョーカー』収録の「見えないダイイング・メッセージ」に続いて、音野順の兄で世界的な指揮者の音野要が登場するエピソード。そちらをお読みになった方はご承知の通り、(一応伏せ字)要自身も十分に探偵役をこなす才能の持ち主だけに(ここまで)、弟の順がどのような形で絡んでくるかが焦点となるわけですが……完全犯罪を目論む犯人の視点で物語が進行していく中、あまりにも意外すぎる――しかし実に音野順らしいともいえる―解決が圧巻で、(ある意味では不本意(?)ながら)やはりこの作品がベストでしょうか。
- 「クローズド・キャンドル」
- 散歩中に出会った女性から、名探偵に困らされていると聞かされた白瀬。密室内に大量の蝋燭を立てた中で首を吊っていた彼女の父の死を、突然現れた名探偵が殺人だと断言して、解明のために屋敷中を引っかき回しているというのだ。なぜかその名探偵・琴宮と対決する羽目になった白瀬は……。
- 現場に施された偏執的ともいえる装飾がいかにも作者らしいところではありますが、“よその名探偵”と白瀬との対決という珍妙な図式を前面に出すことで、あくまで愉快な雰囲気がかもし出されています。トリックそのものはまあ、「なるほど」と思わされる類のものですが、その後に用意されているサプライズがなかなかのもの。
*2: エドガー・アラン・ポーへのオマージュ……にしては、作品の雰囲気はかけ離れたものになっていますが。
*3: ただし、本書の中で浮いたような印象となっているのは否めないところです。
2009.11.26読了 [北山猛邦]
【関連】 『踊るジョーカー』
ミスター・ディアボロ Mr. Diabolo
[紹介]
西洋学研究学部の裏手を通る〈悪魔の小道〉には、かつて密かに魔術を実践していた学生が怪死を遂げる前に呼び出したとされる、シルクハットにマント姿の怪人“ミスター・ディアボロ”が出現したといういわくが伝わっていた。怪人を目撃したただ一人の学生は、翌日首を吊って死んでしまったという――西洋学研究学部で開催されている学会の夕食会で恐るべき逸話が披露された直後、まさにシルクハットとマント姿の怪人が中庭に現れたのだ。その“ミスター・ディアボロ”は人々の追跡を振り切って〈悪魔の小道〉へと飛び込み、忽然と消失してしまった。そしてその夜、密室内で他殺死体が発見されて……。
[感想]
訳者の小林晋氏による解説「アントニー・レジューン覚え書き」などによれば、主にスパイ小説/冒険小説風の作品を発表している作者の、唯一の本格ミステリとなるのが本書で、1960年の発表ながら〈悪魔の小道〉や怪人“ミスター・ディアボロ”といった古めかしい道具立て、さらには人間消失に密室殺人という謎とその演出など、例えばジョン・ディクスン・カーのような黄金期古典の雰囲気を漂わせる発端が魅力です。
もっとも、〈悪魔の小道〉の伝説はあっさりと語られるにとどまり、そのすぐ後に怪人の出現と消失、続いて密室殺人までが矢継ぎ早に起こるという具合に、けれん味のある要素は主として物語序盤に集中しており、いわゆる“つかみ”としての意味合いが強いようにも思われます(*1)。その後も“ミスター・ディアボロ”は出没を繰り返すものの、そのあたりの扱いは作者の本領である冒険小説やサスペンス小説に近いもので、あくまでも冒険小説風の一連の著作の中の“番外編”(*1)ととらえるのが適切なのかもしれません。
とはいえ、その“番外編”たる所以はシリーズ・キャラクター(陸軍省のアーサー・ブレーズ)を探偵小説の謎解き役に据えた点にあるわけで、サスペンス的な展開を織り交ぜた中盤を経た後、関係者を一同に集めて解決が行われる場面は、なかなか堂に入ったもの。巧妙な伏線と鮮やかなロジックが光る謎解きは見ごたえ十分で、非プロパーの作家らしからぬ(といっては失礼かもしれませんが)実に見事なものといっていいでしょう。
加えて、探偵小説への批評的精神が随所に盛り込まれているのが見どころ。しかもそれが単なる味つけにとどまらず、事件の謎と解決にまで反映されている――解説でも指摘されている、(一応伏せ字)陳腐なトリック(ここまで)に対するツッコミを周到に封じてある点や、若干ひねくれたところも見受けられる解決の手順など――のが一筋縄ではいかないところで、“神出鬼没の怪人”を中心に据えた一見コテコテの体裁とは裏腹に、ある種のメタミステリに近いものさえあるように思われます。
いずれにしても、いささかアナクロニズム気味ともいえる第一印象をストレートに受け取ると肩すかしを食らってしまう部分もある反面、思いのほか色々な味わいが楽しめる作品となっており、文句なしの傑作とはいえないまでも、全体としてはまずまずの佳作といっていいのではないでしょうか。
*2: 「扶桑社ミステリー通信」には、
“他の冒険小説系の作品にも登場するアーサー・ブレーズを、敢えて探偵役に立てているところをみると、レジューン自身、遊びの精神で番外編っぽく楽しく書きあげたらしいことがうかがわれます。”と記されています。
2009.11.30読了
電氣人閒の虞 monster surprised you!
[紹介]
「電気人間って知ってる?」――名坂小学校周辺を中心とする遠海市にのみ伝わる、ローカルでマイナーな都市伝説〈電気人間〉。戦時中に軍によって作られ、語ると現れて電気で人を殺すという。その〈電気人間〉を民俗学の研究テーマに選んだ大学生・赤鳥美晴は、フィールドワークとして名坂小学校を訪れ、かつて軍の研究施設だったらしい学校裏手の地下洞を調べるが、そこには何も残されていなかった。そして翌朝、美晴は宿泊先のホテルで死体となって発見されるが、死因は心不全で事件性はないと判断される。美晴と親しかった高校生・日積亨は、美晴が誰かに殺されたに違いないと考えてその足跡をたどっていくが、たどり着いた地下洞で命を落とし……。
[感想]
光文社の新人作家公募企画〈Kappa-One〉からデビューした作者の第三長編となる本書は、第一長編『リロ・グラ・シスタ』・第二長編『遠海事件』に続いて舞台となった〈遠海市〉(*1)に伝わる、(架空の)怪しげな都市伝説を“お題”とした風変わりなミステリとなっています。
物語の中心に据えられている、“電気人間”という都市伝説のつかみどころのなさがまず目を引くところで、伝わるのは“語ると現れる”だの“人の思考を読む”だの“導体を流れ抜ける”だのといった程度のあやふやな話ですし、作中で赤鳥美晴が回想する小学生の頃の“遭遇体験”にしても曖昧なもの。そもそも電気人間――“電気でできた人間”だけに、はっきりした目撃証言がなくとも一向に不思議はなく、何とも希薄な“実在感”(というのは変なのでしょうが)を生み出している設定が絶妙です。
その電気人間の噂を調査していた赤鳥美晴は、あたかも電気人間に殺されたかのような不可解な死を遂げますが、密室内での心不全というその状況がまたつかみどころのないもので、ミステリとしてどういう方向へ向かうのかはっきりしないまま、さらに似たような変死事件が重なっていくあたりは、読んでいて困惑を禁じ得ないところ。とりわけ、死の直前の出来事を知らされている読者はいざ知らず、作中の登場人物にとっては事件性のない病死の様相を呈しているわけで、その情報量のギャップももどかしさにつながっています。
物語の後半、雑誌のライター・柵馬朋康が事件の調査に乗り出し、さらにその知人でライター兼作家の詠坂雄二(*2)が推理を展開する段になると、いよいよ本格的にミステリらしい雰囲気が漂い始めますが、その一方で終始どこか割り切れない感覚がつきまとうのも事実。それが端的に表れているのは、都市伝説の中心となる小学校に通う小学生・韮澤秀斗の言動ですが、柵馬や詠坂の電気人間に対するスタンスによるところもありますし、何より(一応伏せ字)詠坂が示す“解決”がすべてを説明しきれてはいない(ここまで)ことは明らか(*3)でしょう。
しかして、その先に待ち受けているのは予想もしなかった強烈な一撃。それは、ネタそのものによるサプライズというよりもむしろ、“このネタだったのか!”という類のもの――つまりは、似たような前例がいくつか思い浮かぶネタではあるのですが、大胆すぎるものも含めて多くの伏線が配されているにもかかわらず、例を見ないミスディレクションによって強力に隠蔽されているところが非常に秀逸です。裏を返せば、類似の前例を知った上でなければ本書の真価(*4)がわかりにくい部分もあるわけで、ある程度ミステリを読み込んだマニア向けの作品といえるかもしれません。
いきなりの“卓袱台返し”のような最後の一文は、人によって受け取り方に差があるかもしれませんが、メインのネタと相通ずる稚気にあふれた幕切れは個人的には好ましいところ。最初から最後まで奇をてらったような体裁の陰に、斬新なアプローチで前例を乗り越えるという野心的な試みを潜ませた、何ともひねくれた作品です。
2009.12.10読了 [詠坂雄二]
水魑{みづち}の如き沈むもの
[紹介]
奈良にある、四方を山に囲まれた盆地・波美。そこでは、四つの村を貫いて流れる深通川の源泉である沈深湖の神“水魑様”を、各村に一つずつの神社が祀ってきたという。折からの渇水のため、その“水魑様”を祀る雨乞いの儀式が行われることを聞きつけた刀城言耶は、編集者の祖父江偲とともに波美の地を訪れるが、沈深湖に浮かぶ船上で行われる儀式の最中、主役をつとめる“神男”が何者かに殺害されてしまう。しかし現場となった船は衆人環視下にあり、人知れず犯人が出入りすることなど不可能な状況だった。さらにその後も、村の宮司たちを狙った事件が続いていき……。
[感想]
ホラーとミステリの融合を狙った〈刀城言耶シリーズ〉の第五長編で、いかにもホラーらしい怪異の存在がさほど前面に出ることなく、それよりも謎めいた儀式と信仰に焦点が当てられた伝奇ミステリ風の趣は、シリーズ中では第二長編『凶鳥の如き忌むもの』に最も近いように思われます。
まず冒頭に、刀城言耶が現地を訪れる前の導入部として先輩の阿武隈川烏(*1)や編集者・祖父江偲との愉快なやり取りが配されており、その中で舞台となる波美の地や“水魑様の儀”、さらにそこで起きた過去の不可解な事件に至るまで、物語の背景が大まかながらも要領よく説明されているのが目を引くところで、物語に入りやすくなっているのもさることながら、事前に与えられた予備知識の分だけ現地での情報収集がすっきりしたものとなり、以前の作品に比べて全体的に読みやすく感じられるのは特筆すべきところでしょう。
物語前半の中心となっているのは、波美で最も有力な水使神社の宮司・水使龍璽の家に暮らす宮木正一少年の視点で記されたパートで、生まれ故郷の満州での記憶に始まり、母や姉とともに日本へ引き揚げてくる船上での出来事、そしてたどり着いた波美の地での日々が、雰囲気満点の怪異描写を交えながらじっくりと描かれているのが見どころ。また、“水魑様”を祀る神社と宮司の様子――とりわけ“神様”として君臨する水使龍璽の暴君ぶり――が内部の視点から描かれることで、前述の導入部で説明された背景が十分に補足されています。
正直なところ、事件が起こるまでが少々長すぎるようにも思えるのですが、決して冗長なわけではありませんし、説得力をもたらすための“仕込み”としてはやはり不可欠。そして前半のスローペースを取り戻すかのように、“水魑様の儀”でついに事件が発生してからは、あれよあれよという間に連続殺人事件へと発展していく怒涛の展開で、それを止めようとする刀城言耶の解決も“見切り発車”となり、いつも以上に手探りの状態で進んでいくことになります。
試行錯誤をすべて披露する刀城言耶の解決は見ごたえがありますが、推理が二転三転する余地を残しながらも、いわば“ネガティブな伏線”を配しておくことで、誤った筋道を的確に塞いでいる作者の手腕には脱帽せざるを得ません。その一方で、真相から読者の目をそらすミスディレクションも絶妙で、特に“ある部分”にミスディレクションを仕掛けるという面白い趣向が秀逸。恥ずかしながら、読み終えてからしばらくは解決に“穴”があると思い込んでいた(*2)のですが、それも巧みなミスディレクションゆえの錯覚ということで。
謎が解かれた後のクライマックスを経て、最後に用意されているのは他の作品とはやや違った形で割り切れないものを残す結末で、至極あっさりと記されることにより何ともいえない後味を残しているのが見事です。シリーズ中で突出した出来とはいえないものの、期待を裏切らない水準以上の快作といえるでしょう。
2009.12.13読了 [三津田信三]
毒蛇の園 A Garden of Vipers
[紹介]
ラジオ局の女性記者が、車の中で惨殺されているのが発見された。彼女が取材をしていた受刑者は、刑務所内で毒殺された。そしてその受刑者は、酒場の喧嘩で精神科医を射殺して収監されていた――モビール市警刑事カーソン・ライダーとハリー・ノーチラスが捜査を進めるにつれて、奇妙なつながりを見せていく事件。徒手空拳で脱走した後、鮮やかな手際で資金を手に入れてアジトを構え、莫大な富と強大な権力を手中にする名家キンキャノン一族の監視を始める謎の逃亡者ルーカス。そして事件の核心に近づくカーソンには危機が迫り……。
[感想]
解説の法月綸太郎氏が“「二人だけの特命係」のモビール市警版”
と評する、モビール市警のカーソンとハリーのコンビを主役とした“サイコスリラー+警察小説”のシリーズ第三弾ですが、これまでの二作で(出番は少ないながらも)強烈な印象を残してきたカーソンの兄ジェレミーが登場しないなど、いくつかの点で若干の路線変更が見受けられる作品となっています。
前2作に比べてどうしても物足りなく感じられてしまうのが、強力な“謎”の不在。死体に施された意味不明な装飾がユニークな謎となっていた前二作に対して、本書でまず登場する死体は(不謹慎な表現ではありますが)ただ凄惨なだけにすぎず、それが狂的なサディズムの産物であることが歴然としているために、ホワイダニットの興味が減じているのは否めません。加えて、積み重なる事件によって描き出されていく構図は、事件の核心がおおよそどのあたりにあるかを指し示すもので、結局のところ謎解きの要素自体が乏しくなっている感があります。
その一方で、見え見えともいえるその核心――いわば“巨悪”に対して、カーソンとハリーが思いのほか地道な捜査を重ねることで着実に外堀を埋めていくあたり、やや意外な(?)警察小説としての手堅さが今まで以上に前面に出ている印象。とりわけ、カーソンもハリーもそれぞれに個人的なやり場のない感情を抱える羽目になるだけに、“暴走”することなく目の前の捜査に集中しようと努力し、少しずつ核心に迫っていく姿が際立っているように思われます。
本格ミステリ的な“謎”による牽引力はあまり強いとはいえない反面、事件を中心とした様々な事柄が“これからどうなるのか?”というサスペンス的な興味はシリーズ中でも随一で、特に中盤以降は頁をめくる手を止める間もなく一気に読ませるだけの力を備えています。その源となっているのが、予想外に多くの人物や要素を巧みに絡み合わせた複雑なプロットで、作者の優れた構成力には脱帽せざるを得ないところです。
ただしその行き着く先――最後に明らかにされる真相に、さほど意外性がないのは(テーマからして致し方ない部分もあるかとは思いますが)やはり残念なところ(*1)。それでも、最後の最後にきて薄ら寒いものを残す結末(*2)とそこで浮かび上がる“ある構図”は、なかなか見事なものといっていいように思います。個人的な期待とは少々違った方向ではあったものの、シリーズの読者としてはまずまず満足のいく出来といえます。
“真相の平凡さに比して構成が複雑すぎるため、結果としてバランスを欠いている”(「『毒蛇の園』(ジャック・カーリイ/文春文庫) - 三軒茶屋 別館」より)という指摘にも同感です。
*2: 「エピローグ」ではなく、その直前のこと。
2009.12.16読了 [ジャック・カーリイ]