魔眼の匣の殺人/今村昌弘
ネタバレなしの感想にも書いたように予言は“未来の情報の提示”にすぎず、“四人死ぬ”
というだけでは、(極論すれば)犯人以外の人物にとっては“犯行予告”と大差ない(*1)、ともいえます。しかし本書では、ミステリではほとんど例を見ない“トリックによらず100%的中する”予言の設定と、的中率の割に(?)漠然とした予言の内容(これについては後述)とが相まって、予言を“前提条件”とした登場人物たちの行動が一種独特になっているのが見逃せないところです。
ということで、本書でまず面白いのはやはり、それほど予言が“信頼”されない普通の予言ミステリではまず見られない、予言/予知された凶事を他人に押し付けるという身も蓋もない戦略でしょう。とりわけ十色の絵に基づいた“ネズミ”と“赤い花”が秀逸で、完全な事故や他人の“犯行”までコントロールしたかのような現象(*2)が実にユニークですし、犯人が結果(一酸化炭素中毒や毒殺未遂)に関与できないことで真相が見えにくくなっている感があります。
むしろ十色殺しの方が、犯人自身の直接的な行為であるがゆえに、先に動機の見当がついてしまうきらいはありますが、作中でも早めに神服が言及している(211頁)ように、そこは作者も織り込み済みでしょう。実のところ、橋を炎上させて予言を来訪者たちに押し付けた形になっている好見の住人たち(*3)や、(表向きは)十色を救おうとして自ら毒を飲んだ“サキミ”(*4)まで含めて、予言の結果を誰に押し付けるか/誰が引き受けるか、という一種の“ババ抜き”のような構図が徹底されているのが圧巻です。
事件については、単独犯では不可能ということで早々に共犯とされているのが少々もったいなく感じられますし、そこから“あと一歩”で交換殺人という真相に届いてしまう(*5)のが困ったところ。もっとも、交換殺人自体には(動機に比べると)あまり面白味があるとはいえません(*6)し、特殊設定ミステリであるにもかかわらず見慣れた“現実的”な構図に落ち着いてしまうのは、正直なところ若干興ざめでもあります。
しかしながら、共犯を前提として比留子が仕掛けた“逆トリック”がなかなか巧妙。自殺を演出する足跡トリックもまずまずです(*7)し、〈女性二人の共犯〉の場合はもちろんのこと、〈男女二人の共犯〉の場合であっても犯人の行動をある程度封じることができる上に、「終章」で葉村が考察している(330頁~331頁)ように、交換殺人の場合には犯人の仲間割れを誘発できるのが周到です。前述のように交換殺人には不満もありますが、この“逆トリック”に最大限の効果を発揮させるためのもの、と考えてみれば納得できます。
ちなみに「終章」での葉村の自問自答は、明らかになった真相を踏まえた“後知恵”によるもので、かなりおかしなことになっています。比留子が交換殺人の可能性まで視野に入れていたのは確かでしょうが、比留子が“死んだ”時点ではまだ〈女性二人の共犯〉の可能性が否定できない――十色殺しの犯人が明らかになって初めて男性の犯人の存在が確定する(*8)――わけですから、発端の“どうして自殺する役が比留子さんだったのだろう?”
(330頁)という疑問はあり得ません。
しかして、犯人が時計を壊した理由を決め手とした犯人の特定は実に鮮やか。壁に着弾の跡がなかったことから出発して、推理の構築と破棄を繰り返しながら唯一の合理的な解答に向かっていく、丁寧な手順には見ごたえがあります。また、“針までも折られていたんです。長針なんて三つに折られてて”
(270頁)という説明が絶妙で、注意深く考えてみれば短針も折れていたことがわかる見事な手がかりとなっています(*9)。かくして王寺が犯人となれば、偽証した朱鷺野が共犯であることまで一気に明らかになりますが、そこに比留子の作戦で誘発された仲間割れという真相が用意されているのがうまいところです。
事件が解決された後、王寺が抱えていた秘密――“三つ首トンネルの呪い”が明らかになりますが、サキミの予言に加えて呪いをも回避するということで殺人の動機がしっかり補強されているのもさることながら、事故死した臼井とのミッシングリンクがここにきて浮かび上がるのも面白いところです。そして、臼井の死に関する王寺の台詞の後に、“それとも――やはり、俺たちの中の誰かが殺したのかな。”
(136頁)とつなげられた、葉村の独白によるミスリードが何とも絶妙です。
さらに「終章」では、“サキミ”の正体まで解き明かされる大盤振る舞い(?)に、脱帽せざるを得ません。“連れていく”約束(247頁)と“迎えに来る”約束(257頁)の違い(*10)や、ネズミの話(218頁)と殺鼠剤(101頁)の矛盾といった手がかりもよくできていますが、事件の謎解きでは“十色を助けるため”とされた自殺未遂の動機が、何とも残酷な形にひっくり返されるのが強烈。その“サキミ”=岡町に対して、比留子が新たな予言を下して未来を決定してみせる結末も印象的です。
ところで、“男女が二人ずつ、四人死ぬ”
というミステリ的に都合がよすぎる抽象的な予言は、やはり気になるところではあります。例えば心霊能力による予言、すなわち未来の情報を知る霊などから“言葉で伝えられる”のであれば、抽象的な文言になるのもうなずけるのですが、“夢で事件の光景が浮かぶ”
(133頁)/“未来を夢に見る”
(217頁)というサキミの場合、十色と同じようにある程度視覚的な情報だと考えられる(*11)ので、(夢なのでどの程度覚えているのかという問題もありますが)“男女が二人ずつ、四人死ぬ”
という結果だけが把握できるのはどのような“光景”なのか、考えてみると大いに疑問です。
また、“サキミ”が予言の詳細を語れないのは当然(*12)としても、なぜか比留子らが予言の“光景”を問いたださないのも解せないところではあります。予言の内容からみて死体そのものを“視た”わけではなさそうです(*13)が、四人死んだ後に“誰が生き残っているか”がわかる可能性もないではない(*14)ですし、そもそも“視た”場面によっては“四人だけ死ぬ”とは限らないことも考えられるので、犯人に対する比留子の作戦にも深刻な影響を与えかねない――比留子の偽装自殺が露見したり、最後の対決で犯人が暴発したりする恐れがある――はずです。
……と、サキミの予言について色々と考えてみましたが、比留子らが尋ねない不自然さはおいておくとして、抽象的な予言に合理的な説明をつけることができるとすれば、サキミが夢に“視た”のは“サキミ”が来訪者たちに死の予言を告げた場面(70頁)(*15)だった――夢で“視た”、というよりも“聞いた”予言をそのまま書き留めた――ということではないでしょうか。
*2: 予知された未来を変えるのではなく、その不確定な部分を確定させる行為にすぎないのですが、だからこそ、“犯人が犠牲者を決定した”ような印象を与えるのが魅力的です。
*3: 作中で説明されているように、自分たちが巻き込まれないだけでなく潔白を証明する必要がある(80頁)、というのも納得できるのですが。
*4: 予言の主である(はずの)“サキミ”が自ら予言を実現させようとしたわけですが、
“四人が死ぬという予言を実現させるために、人為的な土砂崩れを引き起こした”(123頁)という師々田の疑いのような、いわゆる“自己成就”とは異なる意図による行為となっているのが面白いところです。
*5: 実際、比留子から偽装自殺の狙いを説明された葉村が、不用意に(?)
“代わりに女の犯人に手を下してほしいところでしょうが”(234頁)と口にしたところで、もはやあからさまといっていいでしょう。
*6: “同性を警戒する”のは確かでしょうが、“異性は警戒しない”ということもないでしょうから、あまり効果的でもないように思われます。
*7: 葉村が比留子のスニーカーを発見する場面(223頁)の叙述トリックが、さりげなくよくできています。
*8: 〈交換殺人〉もしくは〈男女二人の共犯〉につながる手がかりはなく、交換殺人が導き出されるのは、男性(王寺)が十色を殺したという真相と動機の(見かけの)矛盾に説明をつけるためです。そして十色を殺した犯人を特定できるのは、少なくとも壊れた時計が復元された(272頁)後になります。
*9: 作中では言及されないものの、針が重なった状態で着弾したのであれば、折れた短針と長針の根元からの長さが同じになっているはず……と思いましたが、長針が
“三つに折られてて”というのは、着弾で折れた箇所からさらに根元側を折ることで偽装した、ということかもしれません。
*10: ただしこれについては、最終的に
“残していかざるを得ない”(249頁)となったために、“迎えに来る”という新たな約束がされたこともあり得るのではないでしょうか。
*11:
“目で見るのとはだいぶ違う。事件の断片が、映像でも文字でもなくただ情報そのものとして届く”(68頁)という説明もありますが、これはサキミ本人ではないのでどこまで信用できるのか。実際、大阪のビル火災や裟可安湖のテロについての予言(18頁)などは、視覚的な描写のように受け取れます。
*12: これも、“サキミ”が本物ではないことを暗示する伏線の一つといってもいいかもしれません。
*13: 頭を打った朱鷺野はともかく、臼井、十色、茎沢らの死に方はいずれも強烈な印象を残すものなので、それを“視て”いればそこまで書き留めないはずはない、と考えていいのではないでしょうか。
ちなみに、十色に対する本物のサキミ(十色の祖母)の態度からすると、少なくとも十色の死を“視た”とは考えにくいものがあります(四十年以上前なので覚えていない、ということもあるかもしれませんが)。
*14: 比留子らが想定したように数年前の予言だったとすれば、夢の中とはいえ顔や年恰好をおおよそ覚えている可能性もあるでしょう。
*15: その後に神服が予言を繰り返した場面(78頁)ということもあり得るかもしれませんが、この場には十色が同席しているので、可能性は薄いように思います。
2019.03.14読了