魔眼の匣の殺人
[紹介]
“十一月最後の二日間に、真雁で男女が二人ずつ、四人死ぬ”
――神紅大学ミステリ愛好会の葉村譲と剣崎比留子は、紫湛荘での事件の遠因となった〈班目機関〉の手がかりを求めて、人里離れた真雁地区にある〈班目機関〉のかつての研究施設、通称〈魔眼の匣〉を訪ねる。超能力の研究が行われていたというそこには、“予言者”と恐れられる老女が住んでいたが、彼女は目前に迫る死の予言を九人の来訪者たちに告げる。その直後、外界とつながる橋が燃え落ちて一同は真雁地区に閉じ込められ、さらに予言が成就したかのように一人が命を落としてしまった。そして……。
[感想]
2017年のミステリ界を席巻して映画にもなった(*1)デビュー作『屍人荘の殺人』に続く待望のシリーズ第二弾で、前作で事件の背景として名前が出てきた〈班目機関〉の元研究施設を舞台に、不吉な予言をめぐる事件の顛末を描いた予言ミステリです。前作とはやや趣が違うところがあるものの、引き続いて“特殊設定+クローズドサークル”が大きな見どころとなっています。
実際のところ、さすがに前作ほどの派手なインパクトこそありませんが、特殊設定とクローズドサークルを組み合わせた手際は前作に勝るとも劣らないもので、クローズドサークルができあがった経緯も、そして逃げ場がない状況で犯行に及ぶ理由もなかなかユニークです。また、前作と違って(!)誰が犠牲になるのか予断を許さないところまでは常道ですが、“予言者”に加えてもう一人の“予知者”(*2)が登場するのが効果的で、“四人死ぬ”
という予言が事件の結果だけで具体性に乏しい(*3)一方、“予知者”が変事の直前に(*4)ある程度具体的な予知をみせることが、サスペンスを高めるのに一役買っています。
かくして事件が起こるわけですが、それに対して、前作で語られた比留子の“資質”を踏まえたかのように、犯人の手を逃れながら犯人を追い詰めるために探偵側が仕掛ける作戦が目を引きます。その一方で、前作で獲得した幅広い読者層を意識したものか、ミステリとしてはいささか親切にすぎるきらいがなきにしもあらずではありますが、それでも“探偵vs犯人”の対決がそのまま続いて異様な緊張感をはらんだ“解決篇”では、見事な謎解きが展開されます。とりわけ、犯人特定の決め手は実に鮮やかです。
ただし個人的な好みをいえば、予言が登場人物の行動に影響を与える“前提条件”にとどまる(*5)あたり、特殊設定ミステリとして前作よりもやや後退した感があるのが残念。また、近い時期に発表された未来予知/予言ミステリ――未来予知をSF的に組み立てて“不可能犯罪”まで作り出してみせた阿津川辰海『星詠師の記憶』や、逆にオカルト的な予言の成就を前面に出してホラー風味で押し切る澤村伊智『予言の島』と並べてみると、本書はあくまでも“予言の存在下でのオーソドックスなミステリ”という印象(*6)で、少々物足りなさも残ります。
しかしながら、事件が解決された後に補足的な謎解きが用意されて、若干弱いように感じられた部分もしっかり補強されるなど、最後までよく考えられた作品であることは確かではないでしょうか。私見では前作には及ばないものの、期待された水準は十分にクリアしているといっていいでしょう。最後に予告(?)されている次作も楽しみです。
2019.03.14読了 [今村昌弘]
予言の島
[紹介]
瀬戸内海に浮かぶ霧久井{むくい}島は、かつて一世を風靡した霊能者・宇津木幽子が生涯最後の予言を遺した場所だった。彼女の死から二十年後、この島で《霊魂六つが冥府へ堕つる》という……。
天宮淳は幼馴染たちとともに霧久井島を訪れたが、宿泊予定だった旅館は、山から怨霊が下りてくるという理由でキャンセルされていた。やむなく別の民宿に泊まった一行だったが、翌朝になると、一人が不慮の死を遂げているのが発見される。そして島民たちがおかしな態度を見せる中、幕を開ける惨劇は予言の呪いか、怨霊の仕業か……。
[感想]
デビュー作『ぼぎわんが、来る』をはじめホラー系の作品を軸としつつ、新本格30周年記念アンソロジー『謎の館へようこそ 白』に収録された“館もの”の短編「わたしのミステリーパレス」のようなミステリも発表している作者ですが、帯によれば“初の長編ミステリ”
という本書は、“初読はミステリ、二度目はホラー。”
(*1)とされているように本格的なホラーミステリとなっています。
発表時期が近い今村昌弘『魔眼の匣の殺人』など(*2)と同様に、不吉な予言をテーマとした作品ですが、“予言ミステリ”という印象がやや薄いのは、予言そのものは物語の背景に収まっているというか、それが成就していく過程の恐ろしさに重きが置かれている節があるからで、誰も止めることができないまま予言のとおりに死が積み重なっていく恐怖がじっくりと描かれているのは、ホラー系の作者らしいといえるかもしれません。
予言よりもさらに直接的な恐怖を引き起こしているのが、島に伝わる“ヒキタの怨霊”です。予言を遺した霊能者が命を落とす原因となった怨霊によって、予言が成就に近づくことになるのは皮肉なところがありますが、島民たちは真剣に怨霊を恐れており、事情を知らされない主人公ら“よそ者”(*3)との対立は、“横溝テイスト”をも漂わせます。そしていよいよ怨霊が山から下りてくるという終盤は、パニックホラーにも近い様相を呈していきます。
その中で突然、物語が“ミステリの顔”を露わにするのが鮮やか。実のところ、トリックの中核部分にはいくつかの前例があるのですが、ということはすでに、“どのようにアレンジされているか”に着目すべき段階に入っている(*4)といえます。その点本書は、前例とかなり違った処理がされているのが特徴的で、よく考えられた巧みなアレンジが光ります。と同時に、明らかになった真相そのものがホラー的な味わいをもたらすのが見事で、ホラーミステリとして非常によくできた作品といえるのではないでしょうか。
*2: 未来予知を扱った阿津川辰海『星詠師の記憶』もありますが、そちらはかなり毛色が違っています。
*3: 主人公らが宿泊した民宿の主人も“こちら側”なので、怨霊に関する情報はつかめず、得体の知れない恐怖だけが募っていくのがうまいところです。
*4: 「占星術&異人館村に関するやりとり(暫定版) (3ページ目)」にある、MAQさんの“トリックの一生理論”によれば、トリックの
“バリエーションが次々生み出されると、やがてその「効果」(現象)は「テーマ」へ昇華するわけです。”――ということで、複数の類例が出てきた時点でトリックは「テーマ」に近づき、(中核部分の共通性はさておいて)“新たにどのような工夫がなされているか”が興味の中心とされていくことになる、と考えていいのではないでしょうか。
2019.05.24読了
第四の暴力
[紹介]
集中豪雨で崩壊、全滅した山村で、妻も子も失ってただ一人生き残った男・樫原悠輔を、テレビカメラとレポーターが無遠慮に追いかけ、女性アナウンサーが無神経な質問を投げかけて樫原の感情を逆なでする。ついに樫原は怒りを爆発させて暴れまわり――。
――そして数年後、その女性アナウンサーと思わぬ状況で再会した樫原だったが……「生存者一名 あるいは神の手{ラ・マーノ・デ・ディオス}」。
テレビのバラエティ番組で辣腕をふるうプロデューサー・子安は、ある日体調に異変を生じて……「女抛春{ジョホールバル}の歓喜」。
芸能関係の知識に疎いエリートサラリーマン・津島が、一年間の海外赴任を経て日本に帰国してみると……「童派{ドーハ}の悲劇」(*1)。
[感想]
以前に発表された連作短編集『言霊たちの夜』中の一篇、「情緒過多涙腺刺激性言語免疫不全症候群」で展開されたマスメディア風刺を、よりストレートに前面に出した作品で、現実のマスメディアの振る舞い(*2)をかなりデフォルメしたような――つまりは程度問題であって、(少なくとも本音のところでは)方向性はそんなものではないだろうかと思わされる(偏見かもしれませんが)――“第四の権力”ならぬ“第四の暴力”の猛威を徹底的に描いた、ブラックな一冊となっています。
最初の「生存者一名 あるいは神の手」ではまず、山村でただ一人生き残った被災者を主役に、現実でもしばしば目にする無神経な“取材”に焦点が当てられ、当事者の視点で描かれていることもあって、そのえげつなさが十分に伝わってきます。さらにそこから数年後、最終的にはおそらく誰しも予想がつくだろうとはいえ、いかにも(一応伏せ字)テレビらしい(ここまで)と思わされてしまう容赦ない仕打ちが、何とも強烈です。
目を引くのは、その過酷な顛末に対して、主人公・樫原悠輔の行動に関する二つの選択肢が用意されている点で、その選択によって読者は――ゲームブック風に――「女抛春の歓喜」と「童派の悲劇」のいずれかに進むことになります。その選択が、主人公・樫原悠輔自身はもちろんのこと(*3)、日本社会にまで大きな影響を与える未来の分岐点となっており、“樫原事件”の有無によって分岐した二つの世界のコントラストが、本書の大きな見どころでしょう。
“樫原事件”が起きなかった世界を舞台にした「女抛春の歓喜」は、傍若無人なテレビ業界人(バラエティ番組のプロデューサー)を主役にしたエピソードで、デフォルメされた業界人の暴力的な言動がこれでもかと描かれていきますが、世界が現実の延長線上にある上に、基本的には業界内部の話にとどまるために、最も気楽に読める一篇ともいえます。そして、樫原悠輔がどのような形で物語に再登場してくるか、にも注目です。
一方、“樫原事件”が起きた世界を描いた「童派の悲劇」は、色々な理由で実際には“そうはならない”だろうと考えられる(*4)ところ、架空の極端な設定を成立させる過程を巧みに省略する(*5)ことで、すんなりとディストピアに移行させてあるのが秀逸。かくして、物語後半に突如として主人公を襲う強化された“第四の暴力”は凄まじく、物語は何とも理不尽な――理不尽がすぎるために悲劇を通り越して(残酷な)喜劇の様相すら呈する結末を迎えますが、ディストピア小説の幕切れとしては十分ではないでしょうか。
個人的には、マスメディアはほぼ見限っている――総体としては(一応は)必要不可欠ではあるものの、弊害があまりにも大きすぎる上に、自浄作用が働く気配もないと考えている(*6)――のですが、それでも、(「童派の悲劇」で描かれたほどではないにせよ)“社会的な○○”を与えることが可能な暴力性は恐ろしく、無視できないのが困ったところで、現状を考えると笑っている場合ではないような気もしないでもないのですが、まあそこはそれ。相当に読者を選ぶ作品ではありますが、このようなテーマに関心のある方にはおすすめです。
*2: twitterなどでみられるマスメディア関係者個人の言動も含めて(もちろん例外的な方もいらっしゃるでしょうが)。
*3: どちらに進んでも、樫原悠輔の“その後”に言及されています。
*4: (どの程度報じられるかはともかく)世論の大きな反発は免れないのではないでしょうか。とりわけ作中での“樫原事件”の扱い(159頁~160頁)、すなわち(一応伏せ字)事件の背景が公にされている(ここまで)ところをみると、作中にあるように
“一気に掌返し”(160頁)とまではいかないように思われます。
*5: このあたりは、主人公に関する設定の勝利といっていいでしょう。
*6: この部分、当初考えていたよりもかなりマイルドな表現に改めています。
2019.06.24読了 [深水黎一郎]