水魑の如き沈むもの/三津田信三
解決への糸口の一つとなっている“五月夜村”の名前については、少し前の段階で“さよ”という名前(*1)と人柱との関係に言及されており(384頁)、見方によってはかなり大胆な伏線ともいえるのですが、どうしても水使家の“一つ目蔵”による“緩やかな生贄”の方へミスリードされてしまい、より直接的な生贄(人身御供)という真相が見えにくくなっているのがうまいところです。
解決の中で明らかにされる“神撰”の意味がやはり鮮やかな印象を与えますが、その“神撰”に関する水使龍璽と水内龍吉朗の態度の違いが伏線となっているのが面白いところ。さらに、前回の“水魑様の儀”の際に龍璽が酒を飲んでいたことや、刀城言耶が耳にした野良犬の鳴き声までが伏線となってくるのが見事です。
かくして生贄の復活が明らかにされると同時に、13年前の水使龍一の死が生贄の樽味市郎との相討ちと結論づけられますが、その“加害者”と“被害者”の立場が交錯した構図が今回の事件にも重ね合わされ、“まさか龍三まで、水魑様の生贄に殺されたのか”
(509頁)との解釈――宮木小夜子が犯人という仮説がこの時点で一旦示されているのが、よく考えてみるとものすごいところではあります。そして巧妙なのが、その後に起きた連続殺人と、“彼女には逃げ場が全くありません。”
(510頁)という強固な密室状況との組み合わせにより、小夜子犯人説が完全に否定されている点です。
ちなみに、作中で刀城言耶は、今回の事件が十三年前と違って“神男連続殺人”に発展した理由について、“十三年前の増儀の後には起こらなかった何かが、今回の増儀の後には起こったからではないでしょうか。または逆に十三年前には起こったのに、今回は起こらなかった何かです”
(445頁)と印象的な言葉を口にしていますが、“犯人=生贄の生存/死亡”の差が二つの事件を似て非なるものとしている理由であるのはもちろんとして、前回は起こらなかった“神男連続殺人”が今回起こったことで、生贄の復活が暴露されてもなお犯人の共通性が隠蔽され続け、違った意味で二つの事件が異なる印象を与えているのが見逃せないところではないでしょうか。
小夜子犯人説が否定されたところで、そこから先の解決が誤ったものとなるのはもちろんですが、本書では“犯人の目的が小夜子の救出だった”という誤った前提(511頁)を導入することで、それに基づく解決のプロセス自体をミスディレクションに仕立ててあるのが秀逸。より具体的にいえば、犯行の〈動機〉、密室状況の現場に出入りする〈手段〉、そして凶器となった“水魑様の角”を入手する〈機会〉をもとに刀城言耶が組み立てた“犯人の条件”そのものが、小夜子が犯人という真相から読者の目をそらす仕掛けとなっているのです。
一、水魑様の儀に生贄が復活したと知り得ること。
二、生贄には鶴子さんが予定されていたが、それが小夜子さんに代わったと知り得ること。
三、生贄が樽の中に詰められていると知り得ること。
四、小夜子さんが儀式の生贄になったと分かった途端、それが動機に成り得ること。
五、游魔氏の潜水装備が、どの蔵のどの長櫃の中に仕舞われているかを知り得ること。
六、前項の潜水装備を身に付けて活動できること。
七、沈深湖に出入りできる方法を知り得ること。
(513頁~514頁)
八、水使神社の本殿から水魑様の角を盗み出す時間があること。
(522頁)
まず、沈深湖への出入りに関する条件〈五〉~〈七〉が、潜水装備を使ったダミーのトリックに基づいた完全なレッドへリングとなっているのはいうまでもないところでしょう。そして動機に関する条件〈一〉~〈四〉は、実のところはほぼすべて小夜子自身にも当てはまる内容なのですが、明らかに“小夜子以外の人物”を主体とした形になっていますし、特に条件〈四〉は小夜子が“儀式の生贄になった”=“死んでしまった”ことを動機の根源に据えてあるのがうまいところ。
そしてこの条件〈一〉~〈四〉が、“誰が犯行の動機を持つのか”を規定する体裁を取りながら、その実は“いつ犯行の動機が発生したのか”を規定する条件にもなっているのが巧妙で、犯行の動機が発生した時点が限定されるとすれば、当然ながら犯人が凶器を盗み出す動機が発生した時点もほぼ同様に限定されることになります。つまり、条件〈一〉~〈四〉に基づく他の容疑者についての検討を通じて、凶器が盗み出されたのが少なくとも小夜子が樽に入れられた後に限定されているかのように錯覚させられてしまうことで、小夜子が条件〈八〉を満たさない――実際には、樽に入れられる前から凶器を隠し持っていた可能性が示唆されている(*2)(さらに龍璽がそれに異を唱えないことで、それがあり得たことが暗黙のうちに裏付けられている)にもかかわらず――との誤認(*3)を誘う、強力なミスディレクションとなっています。
〈一〉~〈八〉の条件に基づいた最終的な解決――正一犯人説が、祖父江偲の証言によってあっけなく覆されてしまったこと――さらに水庭家の蔵の足跡が雨が降り出した後に付けられたものであること(*4)――から、犯人の条件、とりわけ沈深湖の密室トリックが見直されることになりますが、そこで刀城言耶がひねり出した樽によるトリックは、衆人環視下に存在する湖水の“目隠し”がうまく使われているのもさることながら、小夜子にとって“棺桶”となるはずだった樽が命をつなぐ“シェルター”に変じるという反転が印象的です。
なお、巻頭の「はじめに」では“正一氏と同じ手法で描いた人物が、もう一人だけ存在する”
(7頁)云々と思わせぶりな記述がなされていますが、これはおそらく叙述に仕掛けがあることを匂わせるミスディレクションで、ストレートに「第十七章 幽閉」の祖父江偲の視点による描写を指していると受け取るのが妥当でしょう。そう考えれば、“こちらは彼よりも生の姿を記せたのではないかと自負している。”
(7頁)というのもうなずけます。
*2:
“水魑様の角については、龍璽氏を完全には信用できない彼女が、こっそりと身に隠し持っていたと考えられなくもない。(中略)もし何か身に危険が及んでも、七種の神器であれば役立つに違いない、そう思って彼女が持ち出した可能性はある。”(510頁)。
*3: 解決に“穴”があると考えた理由はもちろん、ここに引っかかって“小夜子には凶器を盗み出す機会がない”と思い込んでしまったからです。
*4: 実をいえば、これは雨が降り出した後に蔵に侵入した人物がいることを示すものでしかなく、それ以前に侵入者がいなかった――潜水装備が使われなかったということを証明するものではありませんが。
2009.12.13読了