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物の怪/鳥飼否宇

2011年発表 講談社ノベルス(講談社)
「眼の池」

 顔の他の部分は見えず、ただ二つの眼だけが記憶に残っていること、そしてそれが“猫の眼みたい”(25頁)だったということから、その正体がワニであることは(多少の知識があれば)見当がつくのではないでしょうか。

 とはいえ、作中でも鳶山が指摘している(48頁)ように、充少年が水中に引きずり込まれたのがワニの仕業でないことは明らかで、語られる人間関係から動機がおぼろげに見えることもあって、“秀ちゃん”が犯人であることは予測可能でしょう。殺害トリックはさほどのものでもないように思われますが、充少年を池に沈めた重りが河童の石像だというのが何とも皮肉です。

 謎解きの途中で不意討ちのように明かされる“語り手”の正体には驚かされましたが*1、そこからの“自白”を通じて浮かび上がってくる“秀ちゃん”の異様な心理――池から引き上げた充少年の死体を豚の餌(!)にしたところも含めて――には圧倒されるものがあります。そして、さらにそこに“一つの執念”の存在を示唆する結末が、薄ら寒いものを残すのが秀逸です。

「天の狗」

 登場人物のほとんどが「天狗の高鼻」の下で様子を見ていたために犯行の機会がなく、またその頂上まで登った山小屋主・大野も切断された首を処分することができない*2ので、唯一その場にいなかった修験者・橋川が犯人であることはかなり見え見えになっています*3

 そうなると、犯人の現場への侵入経路――断崖から“空中”を通った――も予想はできますが、“帰り”の手段までよく考えられているのがうまいところですし、「天狗の高鼻」の頂上から垂れ下がったロープを引き寄せるための道具が落雷を招いたという演出が見事です。

 犯人の見当がついても、というよりもむしろ犯人の見当がつくからこそ、常識的な(?)動機の不在が際立ち、何ともいえない薄気味の悪さを漂わせているのが見どころですが、伏線にも支えられた最後のカニバリズムオチが壮絶。鳶山は、橋川が修験道に入った理由に関して“仏門の戒律を破り、改宗せざるを得ないようなきっかけがあったのではないですか?”(102頁)と問いかけていますが、これまでに「天狗の高鼻」で見つかった死体の様子を踏まえると、山では(事故などで)死体に遭遇する機会があるという理由で修験者になったのではないか、とさえ思えてしまいます。

「洞の鬼」

 愛憎のもつれによる明田かほりの犯行というのはあからさまな“偽の真相”で、それがどのように否定されるのかがまず見どころとなりますが、“八木信”が存在しない――パフォーマンスの一環だったという凄まじいひっくり返し方に脱帽。そこから宇津木洋司の“自白”、猫田による謎解き、そして最後の鳶山による謎解きと、都合四段構えの“解決”が用意されているのもすごいところです。

 猫田が推理した天音の動機も十分に悲劇的ですが、しかしそれはあくまでも天音の能動的な犯行。それに対して、最後に鳶山が解き明かした事件の構図――ジンベーの不用意な一言が天音に罪を犯させたという真相は、より一層悲劇的なものといえるでしょう。最後に猫田が目にした“とてもこの世のものとは思えないおぞましい物の怪の顔”(219頁)とは、果たして“鬼”が天音に取り憑いたのか、それとも猫田が(ジンベーとともに)抱いた罪の意識が見せた幻影なのか……。

*1: やけに“秀ちゃん”絡みのエピソードが多いな、とは思っていたのですが……。
*2: ということになっていますが、首の行方に関して鳶山が“ふもとに落ちた様子もない”(101頁)とあっさり断じているのは少々気になりますし、断崖の方へ放り投げたという可能性もないではないように思います。
*3: 橋川が“あの岩をロープなしで登るくらい朝飯前”(105頁)だということが伏せられているのはいささかアンフェア気味かもしれませんが……。

2011.10.21読了