小説家の作り方/野﨑まど
まず、物語終盤に突如として人工知能テーマに変貌する、意表を突いた展開がお見事。始まりが(若干怪しいところもあるとはいえ)のどかな(?)“小説の書き方教室”であるだけに、まさかそんなところにつながっていくとは予想できず、驚かされました。そして、物実が“貴方みたいなキャラを書けば良いんですよ”
(119頁)と内心でつぶやいているように“いかにもキャラクター設定らしい”と見えた紫の言動が、人工知能であることを示唆する伏線だったというところに脱帽。とりわけ紫の台詞のタイムラグが、マイクとヘッドホンを介した会話という“真相”に直結しているところがよくできています。
ちなみにこの台詞のタイムラグについては、作中での表現形式をそのままなぞったような内容の“例えば自分の小説に彼女のようなキャラを登場させて、この喋り方を再現するとしたら。(後略)”
(43頁)という物実の独白が挿入されることで、あたかもそれが“小説の書き方”の具体例――キャラクター設定の一環であるかのような、メタ的なミスディレクションが仕掛けられているのが秀逸です。
しかしながら、人工知能テーマそのものは(小説に限らず)SFのジャンルで扱われてきた、今となっては目新しさに欠けるものといわざるを得ず、あちらこちらに既視感がうかがえるのは否めないところです(*1)。もちろん、何から何までそっくりな前例があるというわけではありませんが、そのような既視感と作者の作風(*2)とを考え合わせると、本書の結末がおおよそどのようなところに落ち着くのか読めてしまうきらいがあります。
もっとも、最後に恐ろしい事実、すなわち紫のメモを読んだ人々が“変質”してしまったこと――そしてその結果がおそらく冒頭で言及されている“《兵庫・一三〇人、集団失踪》”
(11頁)でしょう――が、実にさらりと書かれているのが作者らしいところ。これもネタそのものは、怪談「牛の首」(→Wikipedia)のバリエーションともいえますし、例えば川又千秋『幻詩狩り』などのSF、そしてもちろん(以下伏せ字)『[映]アムリタ』(ここまで)を読んでいれば、さほど新鮮味が感じられるものではありませんが、紫が物実にどれほど恐ろしいものを読ませようとしていたのかと考えると、苦笑を禁じ得ないところではあります。
ところで、本書をあくまでもミステリとしてとらえてみると、そのテーマは“犯人”による“操り”の構図ということになるかと思います。すなわち、“犯人”たる紫が様々な偽の手がかりを駆使し、“探偵”たる【答えをもつ者;answer answer】(*3)こと在原露を“偽の真相”へとミスリードする、というものです。その偽装計画が、【答えをもつ者;answer answer】になりすまして茶水にロボットを製作させるにまで至っているのもすごいところですが、前述の“台詞のタイムラグ”までもが実は“伏線と見せかけた偽の手がかり”だったという仕掛けが圧巻です。
その一方で、“犯人”に操られる“探偵”の役どころである【答えをもつ者;answer answer】とは違い、主人公・物実の視点で事態の推移を眺める読者にとっては、(前述の既視感を抜きにしても)紫の偽装を見抜くのはさほど難しくないでしょう。決定的な手がかりとなるのは学園祭のフィナーレの場面で、“紫依代”が“むらさき”と物実の会話を中継するだけの人間にすぎないのであれば、炎に手をかざして熱を感じるという行為に及ぶ必要性はまったくないわけですから、そこに“偽の真相”との矛盾を見出すのは困難ではないはずです。
その行為が、ロボットの“むらさき”が陥ったフレーム問題を解消するヒントとしてクローズアップされているあたり、“作者から読者への親切なヒント”としての意味合いも付与されているようにも思われます。そして当の“むらさき/紫”は、“探偵”たる【答えをもつ者;answer answer】(*4)を“偽の真相”へとミスリードしつつ、“もう一人の探偵”である物実に対しては真相を暗示しようとしていた、ということなのかもしれません。
*2:
“心の問題とデータの問題の同格化の問題、というのは作者の1作目『[映]アムリタ』を読んだときに抱いた感想ですが、そうしたテーマは1作目から4作目まで一貫しているといえます。”(「『小説家の作り方』(野崎まど/メディアワークス文庫) - 三軒茶屋 別館」より)。
*3: この“痛い”二つ名そのものが、“探偵”の役割を暗示しているようにも思われます。
*4: 何度もこの二つ名を書いているのは、いうまでもなく在原さんへの嫌がらせです(笑)。
2011.03.28読了