ミステリ&SF感想vol.6

2000.05.30
『影の顔』 『幻詩狩り』 『天女の密室』 『妖女のねむり』


影の顔 Les visages de l'ombre  ボアロー/ナルスジャック
 1953年発表 (三輪秀彦訳 ハヤカワ文庫HM31-1・入手困難ネタバレ感想

[紹介]
 事故で顔に醜い傷を負い、視力を失ってしまったエルマンチエ。電気会社のワンマン社長の彼は、別荘で療養中にも、握った権力を手放そうとしない。しかし、手紙すら書けなくなった彼は、次第に焦り、そして不安にとらわれ始める。共同経営者や妻、そして使用人たちは、以前と同じく彼に信頼を寄せてくれるのだろうか?
 不安はさらに疑念へと変貌してゆく。周囲の人々の奇妙なよそよそしさ、微妙に記憶と食い違う庭や屋内の様子、匂うはずのない松の匂い。すべては精神的なダメージがもたらす錯覚なのか、それとも……?

[感想]

 この作品では、突然視力を失い、無力となってしまったエルマンチエの心理が、徹底的に、また詳細に描かれています。急激な境遇の変化による焦り、不透明な世界に対する不安、そして周囲の人々に騙されているのではないかという疑念とともに、自分の方が間違っているのではないか、自分は正気を失いつつあるのではないかという恐怖。心理状態の変化が丁寧に書き込まれているだけに、彼の恐怖がストレートに伝わってきます。悪夢のような感覚を体験させてくれる作品です。

2000.05.21読了  [ボアロー/ナルスジャック]



地球・精神分析記録 エルド・アナリュシス  山田正紀
 1977年発表 (徳間文庫210-1・入手困難

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幻詩狩り  川又千秋
 1984年発表 (中公文庫A186・入手困難

[紹介]
 1948年、パリ。シュルレアリスムの旗手、アンドレ・ブルトンは、一人の詩人を待っていた。フー・メイという名の詩人は、かつてその作品でブルトンに衝撃を与えた。彼は、言葉によってブルトンの眼前に「異界」を現出させ、また「鏡」を作り上げて見せたのだ。
 ……「時の黄金」と題されたフー・メイ最後の作品は、シュルレアリストたちの間に静かに広がっていき、彼らを次々と破局へ導いた。一度は歴史に埋もれた「時の黄金」は、やがて日本の出版社によって発掘され、そして……。

[感想]

 言葉によって世界を記述するのではなく、文字通り言葉によって作り上げられ、また変容していく世界。この作品で描かれている言葉の魔術は、非常に魅力的です。SFの本質が、言葉の連なりによってあり得ない世界を作り上げるところにあるとすれば、世界を作り上げ、変容させていく“幻語”を描いたこの作品は、メタSFと呼ぶこともできるでしょう。言語SFの傑作です。

2000.05.23再読了  [川又千秋]



天女の密室  荒巻義雄
 1977年発表 (角川文庫緑468-6・入手困難ネタバレ感想

[紹介]
 記憶を失い、長期入院していた新進画家、條里嶋成。失われた過去を取り戻そうとする彼は、やがて驚くべき事実を知った。彼は3年前に、新婚の妻をガス中毒で失っていたのだ。現場は邸にある茶室だったが、不審な点があったにもかかわらず、密室状態だったために事故として処理されていた。
 嶋成はさらに調べていくうちに、妻の母親も20年前に同じ茶室でガス自殺を遂げていたことを知り、疑念を抱いていく……。

[感想]

 伝奇小説と本格ミステリが融合した、ユニークな作品です。
 まず冒頭に、「宇良家秘文〈天女{あまつおんな}の密室{ひめむろ}〉」という古文書が引用されており、さらに登場人物たちの名前、あるいは状況設定など、“浦島伝説”が重要なモチーフとなっています。
 一方、密室事件の方は、雪の中に発見者の足跡だけが残されていた上に、密室内のガス中毒(20年前の事件では、室内に目張りまで施されています)ということで、J.D.カー(C.ディクスン名義)の『爬虫類館の殺人』『白い僧院の殺人』といった感じの状況です。
 本格ミステリに、“浦島伝説”という伝奇小説の要素が組み合わされることで、物語に奥行きが出ています。主人公である嶋成の言動に気に入らない部分があるものの、まずまずの作品でしょう。

2000.05.26読了  [荒巻義雄]



妖女のねむり  泡坂妻夫
 1983年発表 (新潮文庫あ23-1・入手困難ネタバレ感想

[紹介]
 古紙回収のアルバイトをしていた大学生・柱田真一は、回収した雑誌の束の中から一枚の反故を見つけ出した。和紙に毛筆で書かれたそれが、どうやら樋口一葉の未発表原稿らしいということになり、真一はその出所と思しき上諏訪にある吉浄寺という寺へ向かう。その途中、真一は列車の中で出会った美少女・長谷屋麻芸に奇妙な既視感を覚えるが、やがて目的地である吉浄寺の近くで再び真一の前に現れた麻芸は、二人がかつて悲恋の末に死んだ恋人たちの生まれ変わりだと告げる。よみがえる不思議な記憶と積み重なる暗合に、真一も次第に麻芸の話を受け入れていくが、そんな二人に何者かの悪意が迫ってきて……。

[感想]

 泡坂妻夫の第7長編である本書は、読者を惑わす強烈な幻想が構築された『湖底のまつり』に通じる作品*で、ミステリらしからぬともいえる“輪廻転生”をテーマに描き出された、『湖底のまつり』以上の実に壮大な幻想が大きな特徴となっています。

 読者を引き込む序盤のテンポのよさには特筆すべきものがあり、“樋口一葉の未発表原稿”という興味深い発端の謎から、あれよあれよという間に主人公の真一と麻芸の“生まれ変わり”が物語の主題となっていくあたり、“職人芸”としかいいようのない作者の巧みな筋立てが光ります。その中で、次々に示される様々な記憶や事実が強固な裏付けとなり、“生まれ変わり”の幻想が合理的な解決を拒むかのようにしっかりした“手応え”を発揮していくのが本書の見どころといえるでしょう。

 その“生まれ変わり”の思想は、(“現世”では初対面の)真一と麻芸の二人を結びつけるだけの“甘い幻想”にとどまらず、不慮の死を遂げたという“前世”の恋人たちの運命が前途の暗雲となって漂います。そしてそれを振り払うために、釈然としない部分の残る過去の事件を掘り起こそうと決意した矢先、二人に襲いかかる思いがけない凶事は、あまりにも突然のタイミングと動機の欠片すら見出せない不条理さゆえに、人智を越えた“何か”の仕業であるかのような印象を与えます。

 しかしながら、中盤で起きるその事件はいわば物語の“折り返し点”であり、強力な幻想に投げかけられる小さな疑念をきっかけとして、物語のベクトルが逆転する構成がよくできています。物語前半でしっかりと構築された幻想の解体は少しずつ、しかし着実に加速していき、提示されたありとあらゆる謎が無数の伏線をもとに一つ残らず合理的に解決されていく終盤の展開は、まさに圧巻といわざるを得ません。

 “輪廻転生”の幻想が美しく魅力的なだけに、その解体には一抹の寂しさが伴うのも事実ですが、入れ代わりに浮かび上がってくる複雑に絡み合った因果の構図は見ごたえがありますし、その中にがっちりと組み込まれた不可解な事件の真相は、型破り気味な解決の手順も相まって強烈な印象を残します。しかして、跡形もなく解体し尽くされたはずの幻想が、現実に重なるようにはかないリフレインをみせる結末がまた見事。復刊が待たれる傑作です。

*: 『湖底のまつり』(角川文庫版)と本書(新潮文庫版)の解説を連城三紀彦氏が担当しているあたりにも、両作品の方向性の近さがうかがえるように思います。

2000.05.29再読了
2010.01.09再読了 (2010.02.01改稿)  [泡坂妻夫]


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