怪盗ニック全仕事4/E.D.ホック
The Complete Stories of Nick Velvet: Vol.4/E.D.Hoch
2017年刊 木村二郎訳 創元推理文庫201-17(東京創元社)
2017.04.30読了
- 「白の女王のメニューを盗め」
- サンドラがわずかな時間の間に家具を“消失”させた手口は、事前に盗んでおいた家具がまだあるように見せかけるという定番のトリックですが、雑誌の取材を装って撮影した書斎の写真を使ったところが大胆です。一方、二つ目のカジノのルーレット盤は思いのほかシンプルですが、“困難は分割せよ”を地で行く時間差の盗みはうまいところですし、依頼人ヴィターレがかつて違法カジノを営んでいたという手がかりもまずまずです。
書類の隠し場所も、シェルトン本人に探させる第一段階とニックが推理する第二段階と、二段構えになっているところが凝っています。また、ファイルされた書類の裏という隠し場所は秀逸です。
価値のないものしか盗まないというこだわりのせいで、書類を盗み出すのにただ働きをしてしまったニックですが、サンドラから手数料をせしめるべく、サンドラの向こうを張って鮮やかな消失を演出しているのがさすがです。そして、最後にサンドラがあっさりと逮捕されてしまった(苦笑)後に、ウェストン元警部補が読者への解説役をつとめているところにニヤリとさせられます。
- 「売れない原稿を盗め」
- シンシアのルガー銃(の弾丸)が、原稿さえ撃ち抜けないほどに古びて威力が落ちているので、拳銃を手に迫るフェアズーフを止めることはできない……はずが、
“心臓が弱くなっている”
(63頁)という伏線がうまく生かされています。そして、シンシアが殺人の罪を背負うことなく、それでいて実質的に父親の復讐を遂げた結末は絶妙です。
- 「ハロウィーンのかぼちゃを盗め」
- かぼちゃに書かれていたレイノルズのダイイングメッセージ、すなわち謎の数字“274”の解読がポイントとなりますが、レイノルズが何回も観ていたというアメフトの試合のビデオテープと組み合わせることで、ビデオデッキのカウンターという真相が導き出されるのは納得できるところです。
もっとも、現在の機器のような時間表示ではない機械式のカウンター(*1)は、遅くとも1990年代にはほとんどみられなくなったと記憶しているので、若い読者にはピンとこないのではないかと思われますが。
- 「図書館の本を盗め」
- 不可解な人間消失に対して、ニックによるたった五文字のシンプルな解答は、
“べ・つ・の・い・ぬ”
(135頁)――ということで、グロリアによる監視が一時中断された間も、犬の“ブルーノ”がしっかりと監視し続けていたように思わされるトリックがよくできています。“首輪がきつすぎる”
(121頁)偽の“ブルーノ”に対して、本物のブルーノが“指先を犬の首輪の内側に入れ”
(108頁)ることができたという手がかりは、少々目立たなさすぎるきらいはありますが……。
グロリアまで誘拐する羽目になっては“不可能”もへったくれもないわけで、ニックの盗みをアシストするためにグロリアが電話をかけにいくという手順がよく考えられています。また、そこにサンドラの作為がないために、余計に真相が見えにくくなっている感があります。
- 「枯れた鉢植えを盗め」
- 枯れた鉢植えを盗む理由以上に、問題の鉢植えが“なぜ枯れていたのか”が焦点となってくることは明らかですが、根が切り取られていたということで、グロリアが指摘する
“アコニット”
(159頁)がトリカブト(*2)だとまではわからなくとも、根に毒のある植物であること――そしてその使い道は見当がつくのではないでしょうか。
トリカブトを使った犯人については、鉢植えを捨てようとしなかったベイツではない、というニックの説明もさることながら、グロリアの“同じ科かもしれないけど、キンポウゲじゃないわ”
(159頁)という解説でローズの嘘が明らかなので、見え見えといってもいいでしょう。
ちなみにそのローズの嘘、すなわち枯れたトリカブト――“小さな青い花”
の鉢植え――を“可哀想なキンポウゲ”
(いずれも149頁)と偽っている点ですが、前述のグロリアの解説のようにどちらもキンポウゲ科の植物ではあるものの、日本でいうところの“キンポウゲ”は黄色い花を咲かせる(→「ウマノアシガタ - Wikipedia」)ので、少々お粗末に感じられてしまいます。実のところ、“キンポウゲ”(ウマノアシガタ)はアメリカにはないようなので、もともと原文では別の植物だったものを、訳者が日本の読者にわかりやすい植物に置き換えたのではないかと思われますが、これはミスというよりも翻訳の難しさの表れというべきでしょう。
- 「使い古された撚り糸玉を盗め」
- 撚り糸玉をほどいてみても中に何もない(173頁)ことで、撚り糸玉が何の役に立つのかさっぱりわからなくなるところ、糸の長さに意味があるというのはなかなか面白いところですし、そこからの“宝探し”も楽しいと思います。
ブロンズ像が埋められていたことから、ラゴがそこにいる可能性は高いと考えられますが、警備員に扮していたという真相は大胆。ただし、ノースが叫んだ“オ・ケ・アコンテセウ?”
(179頁)がポルトガル語だという手がかりはわかりにくいですし、警備員たちがスペイン語しか話せない(171頁)にもかかわらず“ポルトガル語と英語で警備員たちに叫んだ”
(184頁)というのは少々いただけません(*3)。
- 「紙細工の城を盗め」
- 殺人事件の真犯人については、ニックが早々にラウンズ刑事の嘘に気づいたことで露骨に示唆されていますし、依頼人が紙細工の城をほしがる理由も物語がある程度進んだところで明らかになります。
ということで、この作品のミステリとしての見どころをしいて挙げるならばやはり、“サンドラがなぜニックを助けるのか?”というホワイダニットになるでしょうか。結末で明かされる、“グロリアの依頼を受けたから”という真相はなかなかのインパクトがありますし、「図書館の本を盗め」ではニックがサンドラと会うのを快く思わず、“信用できないわ”
(126頁)と言っていたグロリアが――しかも「枯れた鉢植えを盗め」でニックとの一時的な破局も経た上で――サンドラに依頼したというのは、ある種感慨深いものがあります。
- 「人気作家の消しゴムを盗め」
- トラスクが執筆中の原稿が奪われたことで、殺人犯の動機がニックの依頼人・ビングズ弁護士と同じく、トラスクに小説を書かせないことなのは明らか。そしてビングズ弁護士は(小説に書かれている)オーデンのために動いていることが示唆されているので、犯人はオーデンにつながりがある人物ということになります。このように、ニックが依頼された盗みの目的が明かされていることが、犯人につながる手がかりの一つとなっているのが面白いところです。
本のカバー(*4)を上下逆さまにすることで、サインがされていない後ろ見返しを前見返しに見せかける、サインを利用したアリバイトリックは実にお手軽にして鮮やか。一方で、サインに添えられた“インタヴューの成功を祈って”
(233頁)という文章が、インタヴューの前に書かれたことを示す手がかりとなっているところもよくできています。
ところで、作中ではスザンヌのフルネームは“スザンヌ・スティーヴンズ・オーデンじゃないかな”
(243頁)とされていますが、“『SOS』のモノグラム”
(223頁)ならば当然、“スザンヌ・オーデン・スティーヴンズ”の順になるはずではないかと思うのですが……。
- 「臭腺を持つスカンクを盗め」
- ワシミミズク(アメリカワシミミズク(→Wikipedia)でしょうか)がスカンクを相手にしても平気(*5)というのは(フクロウ飼育者としては不覚(?)にも)知りませんでしたが、なかなか面白いと思います。
スカンクに彫ったタトゥー(*6)の数字がアメリカの社会保障番号だという真相は、日本の読者にはまず間違いなくわからないと思いますが、一方で“ほとんどのアメリカ人は一つのことしか思いつかない”
(276頁)というのが事実であれば、そもそも本国アメリカの読者にとっては謎でも何でもないことになります。つまり、本来であればこの作品の眼目はそこから先――数字の意味に気づかないことで明らかになる依頼人の正体であり、しかもそれを隠蔽するためにアメリカではなくカナダが舞台(*7)とされているのが周到です。いずれにしても、日本の読者にはわかりにくいのが残念ですが……。
死んだことになっていたトムの生存については、“右側のフレームは空っぽ”
(252頁)という写真立ての手がかりもよくできていますが、ハーヴェストが隣人“ダステッド”との不仲を演じている(*8)のが効果的です。
- 「消えた女のハイヒールを盗め」
- 人間消失トリックの解明が“人探し”と一体になっている――解明と同時に“ソフィー・モーメント”が発見されるのが巧妙ですし、そこでようやくニックが依頼された盗みをはたらいてシンデレラ的演出で事件を解決するのがお見事です。
消失トリックについては、“十一時(中略)十五分前”
(298頁)という時刻を考えればコーヒー売りが怪しいところですが、いわゆる“見えない人”トリックにしてはやや無理がある――と考えていると、変装を解いて(*9)“トイレから戻ってきた”ということであればまあ納得です。
- 「闘牛士のケープを盗め」
- 発見された“カルロスに似た死体”に闘牛による傷があったというのが露骨な手がかりで、作中ではリンが
“死んだのはカルロスだと、誰かが見せかけたかった可能性”
(328頁)を口にしているものの、“牛の角に突かれた(中略)古い傷”
(327頁)まで偽装するのは困難なはずです。さらに、テロリストの“日曜爆弾魔{サンデイ・ボマー}”が殺された男に似ている(329頁)とくれば、殺された男が“日曜爆弾魔”カルロスの替え玉だという真相に思い至るのは、さほど難しくはないでしょう(*10)。
結末では、カルロスが闘牛の最中に命を落としたことが暗示されていますが、リンに正体を見抜かれていることを知って観念したとも、あるいは“幸運のケープ”がなかったためとも受け取れるあたり、リドルストーリー風ともいえる印象深い幕切れです。
- 「社長のバースデイ・ケーキを盗め」
- 盗んだケーキの裏に誘拐事件が隠されているのがものすごいところで、本来は身代金受け渡しに使うケーキを盗ませるはずがないところを、モナの夫に対する“未必の故意”を組み込んで(*11)物語を成立させた上に、誘拐事件が解決された後には不穏な予感の漂う結末まで用意している、作者の豪腕に脱帽です。
ニックが郵便屋を“半ば見えない人間”
(355頁)と表現しているのにニヤリとさせられますが、これはいわゆる“見えない人”トリックに読者の意識を向けることで、隣人グリースンを“善意の目撃者”の立場に置く、実に巧妙なトリックといっていいように思います。毎月三日に年金の配達があるという手がかりが、日本の読者にはわからないのが残念なところですが……。
- 「色褪せた国旗を盗め」
- なぜ新品の国旗ではダメなのかという謎に対して、デザイン変更という真相は納得させられるところで、国旗の紋章と同じ領事館の壁画が描き直されていた(377頁)という手がかりもよくできています。海軍基地をめぐる国際政治情勢もよく考えられていて、二つの勢力がニックとサンドラに依頼するにふさわしい背景といえるでしょう。
サンドラの盗みの手口は、現象が鮮やかな一方で今ひとつ面白味が感じられないトリックですが、真相を知ってから冒頭を読み返してみると、“新聞少年が朝刊を配達している。”
(369頁)という一文にニヤリとさせられます。
サンドラとの泥棒勝負は結局、ニックの二敗一分けで終了かと思いきや、最後のサンドラ宛ての電報で一矢報いたことが明らかになるのが心憎いところです。
- 「医師の中華箸を盗め」
- まず、ニックが盗む前にジルが中華箸を届けたのは、トニーに悪事を働いてほしくないというジルの心情からすると微妙なところがあります(*12)が、そのせいで二組目の―ージルー先生の兄が贈った中華箸が表に出てくることを考えれば不可欠でしょうし、二組を比べることで名前の脱字が重要であることが確実になっているといえます。
そしてその脱字――“アンリ”と“ジルー”がそれぞれ、“Henr”(正しくは“Henri”)と“Girou”(正しくは“Giroux”)になっている(409頁)ことが、ローマ数字(*13)の“IX”、すなわち九番の絵を指しているという真相は巧妙ですし、兄の“ポール・ジルー(Paul Giroux)”の名前から“LX”(六十)が出てくるところもよく考えられていると思います。
- 「空っぽの鳥籠を盗め」
- ペットショップのミセズ・ワカサが、ヒルダの家へ行ったことがない(445頁)にもかかわらず鳥籠の種類を知っていた(441頁)というのは、手がかりとしてはまずまずといっていい反面、“殺された被害者と同じような鳥籠”が売り文句になるとは考えられず、セールストークとしてかなり無理があるのがいただけないところで、ニックの方から事件の話を振る形にするべきだったのではないかと思います。
隠し財産の手がかりが鳥籠の方にはなく、その中に入っていたオウムが覚えていたという真相は、作中でも言及されている(448頁)ようにダシール・ハメット『マルタの鷹』を下敷きにしたものでしょうが、犯人自ら“鳥籠”の価値をなくしてしまったところが、皮肉なオチとしてよくできています。
*1: おそらくテープの巻き取り軸に連動しているので、時間表示はほぼ不可能です(再生時の巻き取り軸の回転速度は、テープの巻き取り量によって変わります)。
*2: 「Aconitum - Wikipedia」をみると、
*3:
*4: カメラマンのアンディーが処女作の
*5: 「アメリカワシミミズク | ナショナルジオグラフィック日本版サイト」には、
*6: 動物にタトゥーを彫るというのは感覚的に違和感がありますが、『怪盗ニック全仕事3』収録の某作品((一応伏せ字)「競走馬の飲み水を盗め」(ここまで))もありますし、(少なくとも当時の)アメリカでは珍しくないのでしょうか。
*7: ハーヴェストが住んでいるのは
*8: 序盤の
*9: しかし、金髪がウィッグだとアーニーが知っていた(→
*10: 逆に、作中でニックが推理しているように、
*11: しかも、うまくニックにだけ罪を押しつける流れになっている(360頁)のが周到です。
*12: トニーが悪巧みに使おうとしているのは明らかなので、中華箸が手に入らないのがベストなはずです。
*13: 「ローマ数字 - Wikipedia」をみると、“C”(100)・“D”(500)・“M”(1000)では数が大きすぎて難しいので、“-x”で終わる姓のあるフランス人が選ばれているのはうまいところです(他には、ロシア人などの“-v”や、イタリア人の“-i”などでも成立するかもしれませんが)。
*2: 「Aconitum - Wikipedia」をみると、
“aconite”の他に
“monkshood, wolfsbane, leopard's bane, mousebane, women's bane, devil's helmet, queen of poisons, or blue rocket”といった別名があるようなので、作中の
“別名を思い出したんだ。トリカブトだ”(161頁)の箇所は、原文ではこれらのいずれかになっていると考えられますが、Wikipediaの記述をみると“aconite”が一番ポピュラーな呼び名のような印象を受けます。日本ではほぼ“トリカブト”としか呼ばれないために、
“アコニット”という英名(?)ではネタバレの恐れはありませんが、原文では読者がトリカブトに気づきやすいのでは……?
*3:
“オ・ケ・アコンテセウ? 何事だ?”(179頁)が、おそらく原文でも
“ポルトガル語と英語”(184頁)ということなのでしょうが、ポルトガル語とスペイン語を並べるわけにもいかないのが難しいところです。ここは、例えば
“オ・ケ・アコンテセウ?(何事だ?)”(原文でも同じく英語表記は括弧内で)のような形で、ポルトガル語だけで叫んだことにした方がよかったのではないでしょうか。
*4: カメラマンのアンディーが処女作の
“ペイパーバック版”(232頁)にサインをもらったのに対して、スザンヌが持ち込んだのが
“新刊”(233頁)ということで、カバーがあることが示唆されている、といっていいかもしれません。
*5: 「アメリカワシミミズク | ナショナルジオグラフィック日本版サイト」には、
“スカンクもよく捕食するが、スカンクを捕食対象とする生物はアメリカワシミミズクだけだと言われている。”と書かれています。
*6: 動物にタトゥーを彫るというのは感覚的に違和感がありますが、『怪盗ニック全仕事3』収録の某作品((一応伏せ字)「競走馬の飲み水を盗め」(ここまで))もありますし、(少なくとも当時の)アメリカでは珍しくないのでしょうか。
*7: ハーヴェストが住んでいるのは
“オンタリオ州ロンドン近くの農場”(250頁)で、タトゥーの数字について
“どういう意味なのか、わからないのよ! 誰にもわからないでしょうね”(269頁)と口にしていることが、隠蔽に一役買っているといえるように思います。
*8: 序盤の
“苦情を申し立てたのはダステッドでしょ?”(254頁)もさることながら、盗みの現場を押さえた段になっても
“ダステッドがあなたを雇ったんじゃないの?”(270頁)とニックに尋ねているあたりは、実に用心深いというべきでしょう。
*9: しかし、金髪がウィッグだとアーニーが知っていた(→
“長い金髪と同じように、本物じゃない”(305頁))のならば、
“美人で、長い金髪は背中の半ばくらいまで伸びているんだ”(293頁)という説明はおかしいような気が。
*10: 逆に、作中でニックが推理しているように、
“あのお巡りさんが数時間早く訪ねてきていたら、わたしは死ぬほど怯えていたでしょう”(325頁)というマリアの台詞から、カルロスが外出していたことまで読み取るのは難しいように思いますし、またこの台詞自体がかなり不自然にも感じられます。
*11: しかも、うまくニックにだけ罪を押しつける流れになっている(360頁)のが周到です。
*12: トニーが悪巧みに使おうとしているのは明らかなので、中華箸が手に入らないのがベストなはずです。
*13: 「ローマ数字 - Wikipedia」をみると、“C”(100)・“D”(500)・“M”(1000)では数が大きすぎて難しいので、“-x”で終わる姓のあるフランス人が選ばれているのはうまいところです(他には、ロシア人などの“-v”や、イタリア人の“-i”などでも成立するかもしれませんが)。
2017.04.30読了