オルゴーリェンヌ/北山猛邦
本書では、カリヨン邸の主であるクラウリを犯人とする〈カルテの解決〉、ユユを犯人とする(*1)〈クラウリの解決〉、そして最後に示される〈エノの解決〉と、三段構えの“解決”が用意されています。当然ながらそのうち二つは真相と異なっているのですが、本書ではそれらが単純に“誤った解決”として扱われるのではなく、ある種の存在意義が与えられているのが見逃せないところだと思います。
作中でエノが説明している(316頁)ように、事件を担当した検閲官であるカルテが示した〈カルテの解決〉は、検閲局にとっての“事実”――公式の解決となるわけですが、それに対して〈クラウリの解決〉はあってはならない“別解”として検閲局の絶対性を揺るがすためのもので、真相の解明よりもむしろ“別解”を示すこと自体に重きが置かれているとさえいえるようにも思われます。その意味では、“多重解決”が“必然”として物語に組み込まれているといっても過言ではないでしょう。
一方、〈エノの解決〉は(おそらくは)公表されることなく、クリスただ一人に知らされる形になっていますが、それも〈カルテの解決〉という“隠れ蓑”があればこそ。もしカルテが登場せず、エノが事件を担当していたとすれば、その性格からみて真相を検閲局に報告せざるを得ないように思いますし、そうなれば犯人の私物などはすべて焼却されてしまうことになるでしょう。つまり、〈カルテの解決〉が“表の解決”として存在することによって、〈エノの解決〉が“裏の解決”として闇に葬られる結果、静かに余韻を残す本書の結末が成立している、といえるのではないでしょうか。
最初のマキノ殺しは、灯台の鉄骨に突き刺さった死体という派手なものですが、死体が“飛んだ”ことは予想しやすいと思いますし、カルテが早々に解明しているように、それを可能にする動力が検閲官の船であることもわかりやすいでしょう。
〈カルテの解決〉では、怪しまれることなくマキノを呼び出すことができたクラウリが犯人とされています。これを否定する材料は特に見当たりません。
〈クラウリの解決〉では、本土にいたはずのユユが犯人とされています。ユユが“水没道路”を使わずに検閲官の船で本土に渡ったことが前提とされており、確かにそれならば犯行は不可能ではないかもしれませんが、船の隠し場所など色々と無理があるように思います。
〈エノの解決〉では、殺害の段階から船の動力が使われて、灯台の鉄骨に死体が突き刺さったのは偶然だったとされているのが特徴ですが、十分に納得できるものだと思います。
ヤガミ殺しは、書物が隠されていた横倒しのビルというユニークな現場、そして不可解な転落死(?)という状況が魅力的です。
〈カルテの解決〉では、上から落ちたのではなく下から――海中を通って撲殺死体を運び入れたという、意表を突いた“逆転の発想”がよくできています。ただし、六階に隠された書物や四階に置かれていた橋を現場に落とすためには梯子を上り下りする必要があるのですから、やはりクラウリには犯行が不可能ということになるでしょう。
〈クラウリの解決〉では、ユユが橋を落としておいて、四階で立ち往生したヤガミを突き落としたとされています。しかし、犯行の機会(時間的な余裕)の問題もありますし、エノが指摘しているように書物について説明がつかないのも難点です。
〈エノの解決〉では、ヤガミを橋ごと転落させるための仕掛けとして、書物で鉤形のブロックを作って橋を一時的に支えるトリックが示されています。この世界では書物が一種の貴重品であるがゆえに、発覚しにくいものになっているところがよくできています。
シグレ殺しは、雪の上に足跡が残されていない“雪密室”に加えて、扉にも内側から閂がかけられた、“二重の密室”となっており、またオルゴールが凶器として使われているのも目を引きます。
〈カルテの解決〉では、“二重の密室”は犯行時刻の錯誤と氷のドアストッパーによるもので、実際には“密室ではなかった”との推理になっています。不可能状況が鮮やかに解消されているのは確かですが、推定死亡時刻と閂の状態について、エノが二つの誤りを犯したことが前提とされている点で、受け入れがたいものがあります。
〈クラウリの解決〉では、鐘楼の屋根の上に隠れていたユユが、オルゴールを使って鐘楼の窓の鍵をかけたとされています。多数のオルゴールがあるカリヨン邸ならではのトリックなのは確かです(*2)が、いくら身軽とはいえ雪の積もった屋根に飛び移るのは相当無理がありますし、エノが指摘しているようにそもそもシグレの先回りをする機会はユユにはありません。
〈エノの解決〉では、ガジェットのオルゴールを煙突の中に仕込んで鳴らすことで、オルゴールが落ちてくる暖炉の前にシグレをおびき寄せる、〈クラウリの解決〉とはやや違った意味でカリヨン邸ならではのトリックとなっているのが面白いところです。また、ガジェットのオルゴールが暖炉の中で燃えていることに、少年検閲官であれば違和感を持たないというあたりもよくできています。
本書の最大の見どころはやはり最後の〈エノの解決〉の中で、エノが物理トリックを解き明かすことによって、トリックの意味――(捜査陣に対して真相を隠蔽するのもさることながら)第一に被害者(標的)に気取られないためのトリックであって、犯人が不在でも作動して標的の命を奪う自動式の“罠”(*3)だったことが示されるところでしょう。そして“クローズド・サークル幻想”が崩壊し、完全に容疑の圏外に置かれていたキリイ先生が真犯人として浮かび上がってくる(*4)のが、その見せ方(エノの語り)も相まって実に鮮烈です。
『記述者』のガジェットを持つクリスにふさわしい贈り物――タイプライターとともに残された手紙の“私が彼女を音楽にしたように”
(381頁)という一言で、キリイ先生こそが「序奏 月光の渚で君を」の語り手であったことが静かに明かされる結末は、これ以上ないほど見事といっていいでしょう。と同時に、“君が私を物語にしてくれ”
(381頁)という最後の頼みから、前作『少年検閲官』も本書もともに、いつの日かクリスが『記述者』として書いた『ミステリ』ではないか、と夢想してみることもできるのではないでしょうか。
*2: 施錠に使った糸をオルゴールで巻き取って回収するトリックは、某国内長編((作家名)飛鳥部勝則(ここまで)の(作品名)『ヴェロニカの鍵』(ここまで))でダミーの解決として使われていますが、不自然な状態となるオルゴールを調べればすぐにトリックが露見してしまうことがネックとされています。しかし本書の場合、多数のオルゴールが現場に散乱しているために、うまく隠しおおせる可能性もあると思われます。
*3: 刊行の順序は前後していますが、『猫柳十一弦の失敗』が本書のこのあたりから派生した作品である可能性も、十分に考えられるのではないでしょうか。
*4: クローズド・サークルと思われた孤島の“外”から犯人が登場してくるのは、有名な某国内長編((作家名)綾辻行人(ここまで)の(作品名)『十角館の殺人』(ここまで))へのオマージュといえるかもしれません。
2014.12.28読了