ミステリ&SF感想vol.50

2002.12.24
『家蝿とカナリア』 『明治断頭台』 『祈りの海』 『お楽しみの埋葬』 『ニムロデ狩り』


家蝿とカナリア Cue for Murder  ヘレン・マクロイ
 1942年発表 (深町眞理子訳 創元推理文庫168-04)ネタバレ感想

[紹介]
  刃物研磨店に押し入った夜盗は、何も盗むことなく、ただ鳥籠のカナリアを解放していった――この奇妙な事件は、近くの劇場での殺人事件へとつながっていく。名高い女優を主役とする芝居の公演初日、死体役として舞台上に横たわっていた男が、いつの間にか刺殺されていたのだ。上演中に被害者に近づくことができたのは、わずかに4名。しかし、凶行がいつ行われたのか不明なため、誰が犯人なのかはまったくわからない。精神分析学者のウィリング博士は、なぜか再三凶器にたかろうとする家蝿に着目するが……。

[感想]

 まず、物語としては非常に面白い作品です。劇場の舞台上で、観客の目の前で堂々と犯行がなされるという大胆さもさることながら、一見非常に限定されているにもかかわらず、犯行時刻も特定できないという逆説的な状況、そして“家蝿”と“カナリア”という奇妙な手がかりなど、いずれも十分に魅力的です。また、演劇という世界の(まさに)舞台裏が鮮やかに描かれている点や、終盤に明らかになる犯人の心理などは印象的です。

 しかしながら、本格ミステリとしては不満が残ります。第1章の冒頭で“家蝿”と“カナリア”が手がかりであると挑戦的に宣言されていることからもわかるように、この作品はフェアなフーダニットを目指したものだと考えられますが、すべての真相とはいかないまでも、少なくとも犯人を指摘することは非常に容易です。また、解決へと至るプロセスも物足りないものに感じられます(このあたりはネタバレ感想にて)

 とはいえ、前記のようによくできた物語であることは確かです。本格ミステリではなく、フーダニットの要素を導入したサスペンスとして一流の作品といえるのではないでしょうか。

2002.12.13読了  [ヘレン・マクロイ]



明治断頭台  山田風太郎明治小説全集7  山田風太郎
 1979年発表 (ちくま文庫 や22-7)ネタバレ感想

[紹介]
 時は明治2年。役人の不正を調査し、糾弾するために設立された役所・弾正台。その大巡察に任ぜられた香月経四郎と川路利良は、フランス人の美女・エスメラルダの力を借りて、相次ぐ怪事件の謎を解いていくが……。

「弾正台大巡察」
 市中の治安を守る役目にありながら、権力を笠に着て悪事を行う五人の邏卒たち。だが、その悪行は大巡察の香月と川路の知るところとなり、彼らは牢屋敷に押し込められ……。

「巫女エスメラルダ」
 フランスから香月についてきたエスメラルダ。それをこころよく思わない人々は、彼女をフランスに追い返すよう香月に迫る。何とか押し切ろうとする香月は、川路と探偵競争をする羽目になり……。

「怪談築地ホテル館」
 築地ホテルの大ホール、螺旋階段の下に横たわっていたのは、腹部を鮮やかに斬られた少巡察の死体だった。しかし、最も近くにいた容疑者には、犯行は不可能だったのだ……。

「アメリカより愛をこめて」
 五稜郭の戦いに敗れてアメリカへと逃れたはずの小笠原壱岐守が、生き霊となって日本に現れ、愛妾を孕ませたという怪異譚。それはやがて“足跡のない殺人”へとつながっていく……。

「永代橋の首吊り人」
 岩倉具視の腹心として美女集めに奔走していた男が、永代橋で首を吊って死んでいるのが発見された。死んだ男は日頃恨みを買っていたこともあり、殺人かとも思われたが、容疑者にはアリバイが……。

「遠眼鏡足切絵図」
 女の足が切断される場面を双眼鏡で目撃したという人物が現れ、実際に切断された足が人力俥に置き去りにされているのが発見された。だが、肝心の被害者が誰だかわからないまま……。

「おのれの首を抱く屍体」
 さる汚職事件絡みで邏卒が張り込みをしていたすぐ目と鼻の先で、首を切断され、糞尿にまみれた裸の大男の死体が発見された。汚職事件との関わりも疑われたが、死体の主は不明だった……。

「正義の政府はあり得るか」
 汚職事件を徹底的に追及しようとする香月。彼を待ち受けるのは、エスメラルダを標的として周到に仕掛けられただった。追いつめられた香月は……。

[感想]

 いわゆる〈連鎖式〉――長編化する連作短編――という形式で書かれた、明治初期を舞台とするミステリです。第一話と第二話はプロローグ的な登場人物及び舞台の説明、第三話から第七話まではそれぞれ奇怪な事件とその解決が描かれており、さらに最終話では驚愕の真相が待ち受けています。

 まずは、史実の隙間にこれほどの物語を作り上げた作者の手腕に驚嘆させられます。明治の初期、ごく短い間だけ存在した弾正台という役所に焦点が当てられ、実在の人物も次々と登場しています。その中で、扱われる事件はいずれも奇抜なものばかり。毎回繰り返される、何とも人を食ったような解決場面も印象的ですが、この時代ならではのものも含めて、それぞれに使われているトリックもユニークです。

 そして、最後の真相が明らかになる最終話は怒涛の展開です。最終的な解明の過程にはやや不満もありますが、それぞれの事件がスケールの大きなテーマのもとに収斂するところは圧巻です。何ともいえない余韻の残るラストも含めて、間違いなく傑作といえるでしょう。

2002.12.16読了  [山田風太郎]



祈りの海 Oceanic and Other Stories  グレッグ・イーガン
 2000年発表 (山岸 真編・訳 ハヤカワ文庫SF1337)

[紹介]
 ヒューゴー賞・ローカス賞を受賞した表題作をはじめ11篇を収録した、日本で独自に編纂された短編集です。
 瀬名秀明による解説にも書かれているように、アイデンティティをテーマとした作品が多いのが特徴的です。

「貸金庫」 The Safe-Deposit Box
 目を覚ました“わたし”は、いつものように自分が何者なのかを注意深く探った。今日の宿主{ホスト}は、精神医学研究所の看護士だった。何とか無事に仕事を終え、貸金庫へと向かったわたしは……。
 宿主から宿主へと渡り歩き、名前さえ持たない“わたし”は何者なのか? アイデンティティというテーマがストレートに表現された、印象深い作品です。

「キューティ」 The Cutie
 どうしても子どもがほしかった“ぼく”は、キューティのキット――しかも安物のコピー――を購入した。容姿を好きなように選ぶことができ、4歳の誕生日に静かな死を迎える、擬似的な子ども。ぼくは天使のような赤ん坊を生み出した……。
 現実的にも人間と“人間以前”との境界は曖昧になってきつつあるわけですが……このようなものを抵抗なく作り出してしまう精神には、どこか嫌悪感を抱かざるを得ません。

「ぼくになることを」 Learning to be Me
 “ぼく”の頭の中には、小さな黒い〈宝石〉が入っている。宝石はぼくの思考をとらえ、少しずつ育っていく。ぼくがぼくでいられなくなったとき、代わりにぼくになる、バックアップのための宝石……。
 “自分”はどこにあるのか。自分と同じ挙動を示すものは“自分”なのか。深く考えさせられる作品です。

「繭」 Cocoon
 バイオテクノロジー企業の研究所が爆破されるという事件が起きた。調査の依頼を受けた“おれ”は、その研究所で開発されていた新製品に原因があるのではないかとにらんだ。それは、胎児をくるんで保護する〈繭〉だった……。
 どこに境界線を引くべきか。あるいは、誰が決めるべきなのか。突きつけられているのは深刻な問題です。

「百光年ダイアリー」 The Hundred Light-Year Diary
 時間逆転銀河の発見をきっかけに、世界は一変した。100光年の彼方から、未来の記録が送られてくるのだ。“ぼく”は未来から送られてきた日記をもとに行動し、過去へと日記を送り続ける……。
 未来を手にしていながら、未来を失っているようにも思える人々の姿が印象的です。

「誘拐」 A Kidnapping
 仕事中の“わたし”のもとにかかってきた一本の映話。それは、妻の誘拐、そして身代金の要求を告げるものだった。だが、慌てて自宅に連絡を取ってみると、妻は誘拐されてなどいなかった。犯人の狙いは一体何なのか……?。
 主人公の考えもわからないではないのですが……自己中心的すぎるようにも思えます。

「放浪者の軌道」 Unstable Orbits in the Space of Lies
 ぼくたちは放浪者だった。〈メルトダウン〉が起こってからというもの、あちこちに形成された〈吸引子{アトラクタ}の吸引域の間を縫って、いかなる信念にも、いかなる思想にも支配されることなく、いつか街から出て行くのだ。だが……。
 鮮やかな逆転が印象に残ります。

「ミトコンドリア・イヴ」 Mitochondrial Eve
 きっかけは〈イヴの子どもたち〉だった。人々のミトコンドリアDNAの配列を調べ、〈イヴ〉に始まる系図のどこに位置するのかを教えてくれる組織。その思想が核DNAにまで拡大されたとき、“先祖戦争”が始まったのだ……。
 人類の先祖をめぐるドタバタを描いたユーモラスな作品です。いや、本気でこういうことを考える人もいるのかもしれませんが。

「無限の暗殺者」 The Infinite Assassin
 ドラッグ“S”を使用することで、現実をシャッフルし、〈渦〉を作り出すミュータント・ドリーマー。彼らを抹殺する暗殺者である“わたし”は、新たに出現した〈渦〉の中心へと潜入したが……。
 『宇宙消失』後半にも通じる、無限に分岐する現実。その中で、“自分”の存在意義はどこにあるのか。破局的な結末の中で自己を再確認する主人公の姿が印象的です。

「イェユーカ」 Yeyuka
 ヘルスガード社の医療機械の普及で仕事が激減した外科医の“ぼく”は、癌を引き起こすイェユーカ・ウイルスが猛威をふるうウガンダへと向かった。現地の悲惨な状況を目の当たりにしたぼくは……。
 本書の中では最もわかりやすい作品でしょう。ウイルスの前に無力を痛感する主人公。その最後の選択は崇高といえるかもしれません。

「祈りの海」 Oceanic
 二万年前、惑星コブナントに移住してきた人類は、聖ベアトリスを信奉する宗教社会を築き上げていた。幼い頃、海中で聖ベアトリスの祝福を受けて敬虔な信者となったマーティンは、コブナントの微小生物の研究を通じて恐るべき真実を知ってしまう……。
 宗教者であることと科学者であることは基本的には相容れないと思うので、主人公の運命も予想通りではあるのですが、それにしてもこの作品で描かれた真実の苦さは格別です。

2002.12.18読了  [グレッグ・イーガン]



お楽しみの埋葬 Buried for Pleasure  エドマンド・クリスピン
 1948年発表 (深井 淳訳 ハヤカワ文庫HM55-2・入手困難ネタバレ感想

[紹介]
 大学での仕事を一段落させたジャーヴァス・フェン教授は、気分転換のために下院議員に立候補することにした。早速選挙区のサンフォードを訪れ、選挙運動に取りかかったのだが、平和な農村では精神病院から患者が脱走する騒ぎが起こっていた。さらに、名士夫人が毒殺されるという事件のため、フェンの旧友である担当警部が密かに村を訪れて内偵を進めていたところだった。やがて、選挙戦が盛り上がってきた頃、第二の殺人が……。

[感想]

 探偵役のフェン教授が選挙に出馬してしまうというのもさることながら、事件よりもその選挙戦の方に筆が割かれているという異色の作品です。この選挙絡みのドタバタや、村の人々、さらには名脇役“ゴクツブシの豚”などがかもし出すユーモラスな雰囲気によって、とても楽しい物語に仕上がっています。

 事件の方はといえば、特に毒殺事件などは扱いが軽く、また犯人も比較的推測しやすいのではないかと思います。ところが、第二の殺人で一つだけ大きな謎が残り、事態は不可解な状況を呈していきます。最後に解き明かされる真相は実に意外。伏線もしっかりしていて、非常によくできているといっていいでしょう。

 しんみりとさせられるラストはやや意外ですが、ミステリとユーモアのまとまりもよく、個人的にはクリスピンの最高傑作(既読の中では)だと思えるだけに、入手困難なのが残念です。

 なお、本書は茗荷丸さん「瑞澤私設図書館」)よりお譲りいただきました。あらためて感謝いたします。

2002.12.20読了  [エドマンド・クリスピン]



ニムロデ狩り The Nimrod Hunt  チャールズ・シェフィールド
 1968年発表 (山高 昭訳 創元推理文庫SF693-1・入手困難

[紹介]
 巨大な節足動物のようなパイプ=リラ、集合知性を持つティンカー複合体、植物型知的生物エンジェル、そして人類が形成する、広範囲に広がる文明圏〈ステラー・グループ〉。その中で、人類は一つの極秘研究――敵意を持つ知的生命体を発見し、殲滅する能力を持つ人工生命・モーガン構造体の開発――を進めていた。だが、開発途中の17体のモーガン構造体が研究ステーションを壊滅させ、逃走してしまったのだ。〈ステラー・グループ〉は追跡チームを編成して、獲物“ニムロデ”を追い求めるが……。

[感想]

 メインの物語は上で紹介した通りですが、実際にはなかなか話が進みません。主役である、モーガン構造体開発の責任者エスロ・モンドリアンや、追跡チームの一員となる地球人チャン・ドルトンらをはじめ、登場人物たちがそれぞれの思惑で独自に動くエピソードに大部分が割かれています。その分、それぞれのキャラクターは深く掘り下げられ、物語に深みが加わっているところは魅力的です。

 実際に追跡チームが編成され、“ニムロデ”と名づけられた獲物と遭遇してからの展開もかなり意外で、予想される戦闘とはかなりほど遠いものです。しかし、提示されるアイデアはユニークで、なかなかよくできた作品だと思います。

2002.12.23読了  [チャールズ・シェフィールド]


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