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群衆リドル Yの悲劇'93/古野まほろ

2010年発表 (光文社)

 本書における謎解きの中で目を引くのはやはり、犯人を特定する手がかりが(“泥眼の鬼女”の爆殺も含めて)一つ一つの事件について個別に用意されているという、作者のロジックへの強いこだわりがうがかえる趣向でしょう。連続殺人事件でありながら、事件の連続性がまったく解決に寄与しない、いわば“不連続な解決”となっているのが非常にユニークで、少なくとも“同一犯による連続殺人”を扱った作品では*1ここまで徹底されている例は思い浮かびません。また、クローズドサークルであるにもかかわらず“消去法”が使われていないのも、かなり異色といっていいでしょう。

 とはいえ、それらの手がかりをつぶさに眺めてみると、すべてがよくできているとまではいえず、玉石混交の印象が拭えないところではあります。以下に、気になるところを挙げてみます。

・阿久田優男殺し

 手がかりとされている“「ふせてっ!!」ひろ子の絶叫!!”(110頁)そのものは、拳銃に対してもさほど不自然ではないようにも思われます。もちろん、“ぬらぬらと起き上がった”(110頁)ばかりというタイミングを考えれば、“伏せる”より“逃げる”方を先にすべきでしょうが、決め手というにはいささか弱く感じられます。とはいえ、疑惑を生じるには十分ではありますが。

・大額教子殺し

 “解決篇”ではハウダニットの解明が前提とされてはいますが、“ひろ子は煉瓦積みの石のかげに駆けると、垂直だったコックのようなものをぱたむと水平に倒して、噴水の流れを完全に止めた。”(192頁)という行為は『夢路邸』の設備を把握していなければ難しいもので、犯人であることを裏付けるに十分なものといえるでしょう。
 問題は、これが相当あからさまに書かれていることで、私自身はここでその人物が犯人であることを確信しました。

・似臼夏子殺し

 決め手とされている“最後にみたのが(中略)『夢路邸』の天井――落ちてくる刃だなんて”(223頁)という台詞は、典型的な“犯人しか知らない事実の暴露”。死体の“躯は俯せに”(212頁)されていたことにより、“被害者をうつぶせにした状態で首を切断し、首を仰向けにする”という手順の方が自然なものになっているのが巧妙なところです。
 これも問題はかなり唐突かつ露骨であることで、噴水のコックの件と“合わせ技一本”といったところです。

・鳳林寿太郎殺し

 ピアノの音の手がかり*2までは気づきませんでしたが、その前の似臼殺しの際に――返り血対策ではあるものの――シャワーを浴びた人物がいるか否かが問題にされていることもあって、硝煙反応への対処は連想しやすいでしょう。ということで、これも比較的わかりやすいと思います。

・百頭周殺し

 内線電話のリダイヤルについてはおおむね*3納得できるのですが、読者に対しては“イエ先輩が別の名目で『靴の婆さん』の電話を試すこと”(292頁)が示されているにすぎず、アンフェアといわざるを得ないでしょう。もっとも、“読者への挑戦状”よりも後の事件――“読者への挑戦”の対象となっていない事件であることを考えれば、さして問題ないといっていいかもしれません。

 実際のところ、完全なクローズドサークル内での連続殺人事件の場合、“意外な犯人”を設定するのはなかなか困難であるわけですし、本書は犯人を隠そうとする書き方がされていない、というよりもむしろ積極的に犯人を匂わすように書かれている節がある――例えば「2つのプレリュード――赤」*4や、登場人物表にあたる「夢路邸招待客等一覧」*5など――ので、上のリストで“問題”としたところはさしたる瑕疵というべきではないでしょう。それどころか、前述の“不連続な解決”という例を見ない謎解きと合わせると、一部の手がかりを見え見えにすることで読者を思考停止の罠に誘い、“本命”と思われるネタ――九領明殺しの謎解きから目をそらす仕掛けだと考えることができるのではないでしょうか。

 さらにいえば、“物語はこの段階に至り、誰が九領明、大額教子及び似臼夏子を殺害したかを指摘するに充分な基礎的事実の提示を終えるに至りました(中略)誰が三人を殺したか――”(227頁)という「読者への挑戦状――1」自体も、この段階で初めて犯人を指摘することが可能になったと読者をミスリードする機能を担っているように思われます。

 というわけで、九領明殺しの謎解きは非常に秀逸です。まずは、野生の狐や猿の存在をもとに地雷の可能性を否定するところから始まっているのが周到で、(身体検査の際にイエ先輩は別の口実を設けているものの)阿久田殺しの状況から自明の前提と思い込んでいた起爆装置の存在を、きっちりと証明してあるところに脱帽。そして身体検査の結果について、“誰も自分の持ち物がなく”“絶対に怪しい物件はありませんでした”とざっくりまとめた上に、“着衣及び靴以外の私物を携帯していた者はいなかった”(いずれも177頁)と結論づけることで、邸の鍵の存在を隠蔽する叙述トリックが実に見事です。

 有栖川有栖『月光ゲーム Yの悲劇'88』の感想の中で、“論理的な解決を重視したミステリにおいては、作者は真相のみならず“真相につながる論理”をも読者の目から隠しておく(しかも“フェア”に)必要があるわけで、そこには(叙述トリックとは違った意味で)読者に対する作者のトリックが存在するともいえます。”と書きましたが、語り手の“言い落とし”によって“真相につながる論理/手がかり”の存在を隠した本書の仕掛け――作者のトリック――は、叙述トリックの一種といっていいでしょう。

 決して“何も持っていない”と明言されているわけではありませんし、『夢路邸』の鍵は“自分の持ち物”“怪しい物件”“私物”のいずれにも該当しないので、アンフェアとはいえないでしょう。一方で、イエ先輩と夕佳が締め出されたエピソードの中で“『夢路邸』の正面玄関と裏口はどちらもオートロック。鍵を持たないと入れない。”(61頁)と明示されていますし、そのエピソードを連想させるかのように“慌ててオートロックの裏口へ駆けより(中略)鍵を開けるひろ子。”(181頁)と、あえてオートロックに言及されているあたり、十分にフェアといっていいように思います。

*

 大額殺し・似臼殺し・鳳林殺し・百頭殺しの密室状況がすべて、猿を使ったトリックとなっているのにはさすがに脱力を禁じ得ません。もちろん、“猿”は超有名な古典*6へのオマージュでしょうし、訓練した動物を使ったという点では別の有名な古典*7へのオマージュともいえそうです。実をいえば、訓練された猿に密室を構成させるトリックを使った前例もあるにはある*8のですが、本書における猿の万能ぶりはそれとはレベルの違うもので、“高次条件付け”(321頁)があたかも魔法のように受け取れてしまう――あるいは実際にそこまで可能なのかもしれませんが――のが難点でしょう(苦笑)

*

 事件の背景には、“東京駅テロ”――エボラ出血熱(→Wikipedia)が隠されていたわけですが、実をいうと以前にエボラ出血熱を扱ったノンフィクションであるリチャード・プレストン『ホット・ゾーン』*9を読んでいたため、プロローグにあたる「2つのプレリュード――赤」の時点でそれに気づいてしまい、初読時には今ひとつ素直に楽しめなかったのが残念。この「2つのプレリュード――赤」では、エボラ出血熱の症状の進行を爆弾テロのように見せかけてありますが、“炸裂”という表現が“爆殺”“爆死”(いずれも12頁)と使い分けられていること、さらには皮下出血を示す“その腕の赤い痣、紫の痣”(10頁)などがヒントとなっています。

 もっとも、これもフーダニットと同じくわかりやすく書かれており、少なくとも「読者への挑戦状――2」までには、たとえ具体的な病名まではわからなくともおおよその見当をつけることは可能でしょう。ものすごいのはやはり、招待客たちが“東京駅テロ”の発生に遭遇していたことが論理的に導き出される点で、正直そこまで徹底されているとは思いもよらず、作者の企みに完敗です。

*

*1: 裏を返せば、(一応伏せ字)同一犯による連続殺人と見せかけて、個々の事件の犯人が異なる場合(ここまで)にはあり得るということになりますが、こちらの例もすぐには思い出せません。
*2: ところで、“解決篇”での“なのにユカはコンポの音を聴いた”(334頁)というイエ先輩の台詞は、夕佳からその事実を伝えられたというニュアンスですが、作中でそれが描写されていないのは少々気になるところです。
*3: 百頭から内線電話がかかってきた時にはすでに『ピーター・パイパー』を訪れていた(282頁)犯人が、百頭の死を確認するために(そして猿たちにスリッパを回収させるために)『マフェット嬢ちゃん』に内線電話をかけたのはいつなのか――作中では説明されていないので何ともいえませんが、犯人が内線電話をかけた時には、毒を受けた百頭は電話までたどり着くことができなかった(そのため、百頭が死んだと思い込んだ犯人は猿たちを『マフェット嬢ちゃん』へ行かせた)、ということでしょうか。
*4: 「2つのプレリュード――赤」で描かれた出来事が事件の原因となるのはほぼ明らかですが、そこでの語り手は描写からみて女性である蓋然性が高く、したがって犯人は……。
*5: 石矢英世(医者+野口英世)、大額教子(大学+教師)、九領明(給料+明細?)、百頭周(110番+回す?)、似臼夏子(ニュース+?)、鳳林寿太郎(foreign+小村寿太郎?)、ついでにいえば阿久田優男(actor+やさおとこ?)といったようなふざけた名前(苦笑)が並ぶ中で、犯人にふさわしい(?)名前の主は……。
*6: いうまでもなく、(作家名)エドガー・アラン・ポオ(ここまで)(作品名)「モルグ街の殺人」(ここまで)
*7: 動物の種類は違いますが、(作家名)アーサー・コナン・ドイル(ここまで)(作品名)「まだらの紐」(ここまで)
*8: 少なくとも、ある海外作家(作家名)エドワード・D・ホック(ここまで)の短編(作品名)「対立候補が持つ丸太小屋の謎」(『サム・ホーソーンの事件簿 VI』収録)(ここまで)があります。
*9: ぬけぬけと“石矢英世の著書”の中にこのタイトルを紛れ込ませてある(260頁)ところに、ニヤリとさせられます。

2011.02.01読了