乾いた屍体は蛆も湧かない
[紹介]
寿明、丈、頼太、将樹――日々を死んだように生きている四人の仲間たちは、ゾンビ映画を撮影する計画を立て、ロケハンのためにさびれた商店街の廃墟と化したアーケードを訪れるが、そこで本物の屍体に出くわしてしまう。あわてて警察に通報するどころか、ゾンビ映画の撮影には千載一遇のチャンスとばかりに、本物の屍体を小道具代わりに撮影を行った四人だったが、数日後に現場を訪れてみると、鎖と南京錠で封鎖していたはずの現場から、なぜか屍体が忽然と消失していたのだ。そして、漫画家になる夢をあきらめてゾンビになりたいと思いながら生きてきた寿明は、自分を変えるために屍体探しに乗り出した……。
[感想]
デビュー前にはメフィスト賞への投稿を続け、四色の用紙に印刷された独特の原稿から“ミスターカラフル”と呼ばれていたらしい(*1)詠坂雄二ですが、念願の(?)講談社ノベルス初登場となる本書は、それまでの作風から若干の変化がみられた前作『ドゥルシネーアの休日』とは打って変わって、かなりストレートに詠坂雄二らしさが表れた作品といえるのではないでしょうか。
物語の主役は、いずれも夢や希望を失ったまま生き続ける似た者同士の四人の若者たちで、互いに“わかっている”仲間内でのやり取りが一見軽妙な雰囲気をかもし出してはいるものの、それぞれに抱えている強烈な閉塞感は言動の端々にも表れ、読み進めるのが“痛い”物語となっています(*2)。その四人が一念発起して(?)映画の撮影を企画したその矢先、思いがけず変死体に出くわしてしまうというのが発端ですが、それが直ちには“事件”へと発展しないひねくれた展開が作者らしいところです。
“被害者が誰なのか”はともかく、オーソドックスなミステリでは中心に据えられるはずの“誰が殺したのか”は、ほぼスルーされたまま。やがて死体が消え失せるに至って、ようやく主人公・寿明が“ミステリの登場人物らしい行動”をとり始めますが、その目的があくまでも“屍体探し”にとどまっているのが異色。もっとも、それが“死んだように生きている”寿明にとっての大きな一歩であることは間違いなく、それに伴って少しずつ変化をみせ始める寿明の胸中が印象的です。
現場と死体消失の状況などから仲間たちにも疑いを向けざるを得ない一方で、寿明としては彼らがそんなことをする理由に思い当たるところがなく、結果として“いったい誰が、なぜ腐りかけの屍体を持ち去ったのか”――死体消失のフーダニットとホワイダニットが、一風変わったメインの謎としてクローズアップされていくのが見どころ。そして、ミステリとしては型破りの出来事が“屍体探し”を加速するとともに、それが寿明に重要な“気付き”をもたらすのが巧妙です。
ついに明らかになる死体消失の真相は何とも苦いものですが、さらにそれに伴って明かされる不意討ちのような真実(*3)には唖然とせざるを得ません。しかしそれが単なるサプライズにとどまらず、何とか“変化”しようともがき続けた寿明の思いも相まって一つの転機となり、実に感慨深い結末へとつながっていくのが見事なところ。ミステリとしてのネタそのものはやや小粒にも感じられますが、作者ならではの手際が光る佳作といっていいのではないでしょうか。
*2: カバー袖の、
“四人ともモデルは俺です”という作者の言葉がまた泣かせるというか何というか……。
*3: 実際のところ、(一応伏せ字)かなりアンフェア気味(ここまで)ではあると思います。
2010.12.26読了 [詠坂雄二]
砂漠の薔薇
[紹介]
喫茶店でアルバイトをしていた女子高生・奥本美奈は、客として訪れた画家・明石尚子からモデルになってほしいと依頼される。明石の奇矯な言動に困惑しながらも、承諾して彼女のアトリエを訪ねた美奈だったが、その窓から見える荒れ果てた洋館は、美奈の同級生・竹中真利子のものと思われる首なし死体が発見された場所だった。その洋館に越してきた彫刻家・州ノ木正吾は、夜ごと怪しげな行動を見せる。一方、美奈の前には刑事を名乗る槍経介という男が現れ、真利子の死とほぼ時を同じくして失踪した同級生・小野麻代の行方をしきりに気にかける。やがて問題の洋館では、再び首を切られた死体が……。
[感想]
飛鳥部勝則の第四長編である本書は、恒例の(?)自筆の油絵を含む巻頭の図版や目次の章題(*1)にもはっきりと表れているように、“首切り”と“死”をテーマとした作品ですが、そのグロテスクなイメージを包み込むように、主人公ら女子高生も含めて“奇人変人”揃いの登場人物が、妙に淡々としてどこか調子の外れたようなやり取りを繰り広げ、ミスマッチによる異化効果とでもいえそうな独特の味わいを生み出しています(*2)。
物語は“事件以後の現在”を基本に、“事件以前の過去”が主人公・奥本美奈の回想として随所に差し挟まれる構成。事件によって失われた“過去”で描かれる女子高生像では、後の『誰のための綾織』にも通じる残酷で背徳的な面が目を引く一方、新たに出会った明石尚子や槍経介らとの関係が中心となる“現在”では、衒学的かつ観念的な部分に重点が置かれている感があり、ある意味対照的ともいえる“二つの世界”を行き来することで主人公・美奈の造形が際立っているように思われます。
ミステリとしては、首なし死体ということで“顔のない死体”テーマかと思いきや、まったくといっていいほどそちらには向かわないひねくれぶりが興味深いところで、第二の事件に至っては首を切られただけの死体が登場する有様。いきおい、首を切るという行為そのもの、ひいては首切りの理由に焦点が当てられていくことになりますが、その中で“首切り”と“死”を扱った芸術作品をめぐる談義(*3)が展開されているあたりは、やはり飛鳥部勝則ならではといったところではないでしょうか。
“断章”として挿入されている「異界」――その現実から乖離したような内容が、物語に幻想小説的な雰囲気を添えているのも見逃せませんが、その一方で物語の本筋には“事件の真相を解明する”というベクトルが確固として存在するのが本書の面白いところで、事件の様相が比較的シンプルなために多様な解釈を引き出す余地があることもあって、終盤には――目次にも「第六の解決」という章題があるように――“多重解決”風の謎解きへとなだれ込んでいきます。
そこで明らかにされる真相はなかなか強烈ですが、それ以上に伏線の回収が圧巻。やや親切にすぎて物語の流れを損なっているように感じられる部分がないでもないですが、まったく思わぬところにまで張り巡らされた伏線の数々には脱帽せざるを得ません。と同時に、何ともぬけぬけとした大胆でユニークな趣向にニヤリとさせられます。後の豪快な作品に比べると(これでも)手堅くまとまっている感はありますが、実に油断のならない作品といえるでしょう。
なお、本書は独立した長編であって単独で楽しめるのはもちろんですが、できれば一部登場人物が共通する『冬のスフィンクス』と併せて読むことをおすすめします。
2010.12.28読了 [飛鳥部勝則]
冬のスフィンクス
[紹介]
友人の亜久直人が不可解な状況で失踪を遂げた。亜久の婚約者・団城美和の家を訪れた楯経介は、亜久の失踪した経緯について尋ねられ、美和とその妹・由香に奇妙な話を語り始める――楯経介には、夢の中で絵画の世界に入り込むという不思議な能力があった。そして彫刻家・州ノ木正吾によるコラージュの世界に入り込み、そこに描かれた団城家にたどり着いた楯経介は、奇怪な事件に遭遇する。美和と由香の父にして高名な画家・団城謙三が猟銃で頭を撃たれ、“開かずの間”には首なし死体が転がり、そして真夜中の狙撃事件が。夢の中で“探偵”を名乗って団城家を訪れたがゆえに、事件の解決を迫られた楯経介は……。
[感想]
独立した長編ではあるものの、一部登場人物が共通する前作『砂漠の薔薇』(*1)と対になっている、飛鳥部勝則の第五長編です。『砂漠の薔薇』は幻想小説的な雰囲気が添えられたミステリといったところですが、こちらは完全に幻想ミステリの趣。夢の中で絵画の世界に入り込む能力を持った人物が主人公であり、メインとして扱われるのも夢の世界/絵画の世界での事件ということで、(本格)ミステリとしてはかなり異色の作品といえるでしょう。
もっとも、M.C.エッシャーの超現実的な作品世界を題材とした柄刀一「エッシャー世界」(『ゴーレムの檻』収録)や荒巻義雄『エッシャー宇宙の殺人』などとは対照的に、本書では夢の世界/絵画の世界とはいえ“実在”の人々が住む“実在”の家が舞台(*2)であり、明らかな超現実ではない、むしろ“現実”と見まがうようなもう一つの“現実”として描かれているのが目を引きます。そこから“夢”“現実”とが次第に混沌としていく展開は誰しも予想するところでしょうが、本書の眼目はどちらかといえば“夢”が備える確固とした存在感の方にあるように思います。
しかしその夢の世界が、やけにミステリ色の強いものになっているのはやはり、夢の主である主人公・楯経介の影響力によるもの――団城家を訪れた際にうっかり(?)“探偵”を名乗ってしまったのがそもそものきっかけでしょうか――かとも思われます。いずれにしても、夢の中とはいえミステリらしく事件が相次ぐのはもちろんのこと、首なし死体をめぐってマニアックな議論(*3)が交わされ、さらに暗号めいたものまで飛び出すなど、ミステリとしての見ごたえも十分といっていいのではないでしょうか。
その中で、夢の主にして“探偵”たるべき楯経介自身が事件解決の困難さに苦しみ、夢から覚めた“現実”においても事件の謎にとらわれてしまうのが興味深いところで、そのあたりもまた(多少は夢の世界らしくご都合主義的な部分もあるにせよ)決して“何でもあり”ではない“もう一つの現実”であることの表れでしょうか。とまれ、終盤になると古式ゆかしく“探偵”が関係者一同を集めて謎解きを始めることになりますが、そこは一筋縄ではいかない作者だけにすんなりとはいかず、ひねくれたクライマックスへと進んでいくのが見どころです。
最終的に解き明かされる真相そのものは、残念ながら少々面白味を欠いている感がありますが、そこへ至る道筋で示される構図などはなかなかユニークですし、“スフィンクス”が残した謎が解かれたということこそが重要だといえるでしょう。そして、余韻をもたらす美しくも哀しい結末がまた実に見事。後の(ある意味)無茶な作品とは一味違っていますが、これもまた飛鳥部勝則らしい作品です。
2011.01.08読了 [飛鳥部勝則]
美濃牛
[紹介]
フリーライターの天瀬とカメラマンの町田は、癌をも治すという奇跡の泉を取材するために、話を雑誌社に持ち込んできた男・石動戯作とともに、岐阜県は暮枝村を訪れた。ところが奇跡の泉のある鍾乳洞は、ひたすら飛騨牛の飼育に打ち込み、石動も関わる大手ゼネコンのリゾート開発計画を快く思わない地主・羅堂真一によって封鎖され、取材はいきなり暗礁に乗り上げる。仕方なく村にとどまってできる限りの取材を続ける天瀬と町田だったが、やがて真一の息子・哲史が鍾乳洞のそばで、首なし死体となって発見される。さらに続いて起きる事件は、村に伝わる奇妙なわらべ唄をなぞっているかのようだったが……。
[感想]
第13回メフィスト賞を受賞したデビュー作『ハサミ男』に続く第二長編である本書は、様々な分野にわたる膨大な蘊蓄・引用・雑学が盛り込まれたボリュームたっぷりの一冊。そして、巻頭で『獄門島』が引き合いに出されている(*1)のをはじめ、鍾乳洞(『八つ墓村』)・わらべ唄(『悪魔の手毬唄』)・俳句(『獄門島』)といった道具立てなど、全編にあふれる横溝正史作品へのオマージュが大きな特徴です。
田舎の村落を舞台に猟奇的な連続殺人を描いた“横溝オマージュ”とはいっても、“因習”や“おどろおどろしさ”のようなものを感じさせる部分はあまりなく、例えばリゾート開発問題が物語の背景に配されるなど、横溝作品が現代的にアップデートされたようなものになっており(*2)、作者らしい軽妙な語り口も相まってそこはかとなく洗練された味わいが漂います。最初の事件が起きるまでは、文庫版にして実に190頁ほどの分量を要しますが、まったく退屈させられることがないのもすごいところです。
数多い登場人物たちを次から次へと視点に据えていき、それぞれの思惑の違い/ずれを読者に対してあらわにする(*3)ことによって、一人一人の個性を際立たせているのもうまいところですが、さらにその中で登場人物たちの謎めいた行動や心理が読者にのみ示されていくのが巧妙。事件が決着した後のエピソードを「プロローグ」に置いて、真相の“ある部分”を冒頭でいきなり示唆してしまう大胆な趣向と相まって、やや位相のずれたような“犯人探し”となっているのが面白いと思います。
登場人物たちが抱える“謎”が小出しに解き明かされ、小さなカタルシスが連発されて物語を牽引していく反面、容疑者が次第に少なくなっていくのが心配になるところですが、少々意外な形で訪れるクライマックス――事態の混迷を深めるかのような“とある遭遇”には思わず唖然(苦笑)――を経て明らかにされる真相は、(まったくの予想外とまではいえないものの)十分なインパクトを備えているといっていいでしょう。とりわけ、狂気が狂気を生んだともいうべき部分には、慄然とさせられずにはいられません。
登場人物たちがいずれも個性豊かに描かれているだけに、謎解きが済んだのちに示されるそれぞれの“その後”には感慨深いものがありますが、素直に“一件落着”とはいいがたいものをそこに持ち込むことで何ともいえない読後感を生じているところに、作者の曲者ぶりがうかがえます。そして、「エピローグ」の最後で列挙される“もの”が、最後の最後になって舞台と物語の奇妙な本質を浮かび上がらせているのが実に秀逸です。
“岡山県に獄門島が実在しないように、岐阜県に暮枝村は実在しない。”とあります。
*2: 田舎の村にリゾート開発問題を持ち込んだ点まで含めて本書と同様に“現代的横溝”ともいえる、山田正紀『蜃気楼・13の殺人』と読み比べてみるのも一興ではないでしょうか。
*3: とりわけ、対になった「第一章 10」と「第一章 11」が絶妙です。
2011.01.15読了 [殊能将之]
群衆リドル Yの悲劇'93
[紹介]
世界有数のピアニストである恋人、イエ先輩こと八重洲家康が通う東京帝国大学を目指して勉強中の浪人生・渡辺夕佳のもとに、信州にある洋館『夢路邸』の内覧パーティへの招待状が届く。同行を許可されたイエ先輩とともに現地に到着してみると、著名な医師、新聞社論説委員、探偵、高級官僚など様々な人物が。やがてディナーの後、イエ先輩を除く八人の招待客たちは過去に犯した罪を告発されることになり、そして――外界へつながる吊り橋が落とされて孤立した『夢路邸』では、マザーグースの『ロンドン橋』の歌詞をなぞった奇怪な連続殺人の幕が上がり、招待客たちは“Y”というダイイングメッセージを残して次々に倒れていく……。
[感想]
『天帝のはしたなき果実』で第35回メフィスト賞を受賞し、その独特の作風によって一部でカルト的ともいえる人気を誇る作者ですが、その最新作となる本書は、デビュー作に始まる〈天帝シリーズ〉などと世界(*1)を同じくする――ただし内容に直接のつながりはない(と思われる)――ものの、(ファンによれば)特徴的な文体や表現はかなり抑え気味になっているということで、“初心者”でも比較的読みやすい“古野まほろ入門篇”といえそうです。
また、帯の惹句に“本格ミステリのあらゆるガジェットを駆使した”
とあるように、アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』ばりの謎の招待状と“告発”に始まり、クローズドサークル、密室殺人、ダイイングメッセージ、童謡殺人、そしてもちろんお約束の“読者への挑戦状”という盛り沢山の内容は豪華絢爛といっても過言ではなく、“Yの悲劇'93”
という副題(*2)にも表れている有栖川有栖『月光ゲーム Yの悲劇'88』へのオマージュ(*3)も含めて、古野まほろファンならずともミステリファンとしては手に取らずにいられない一冊といえるのではないでしょうか。
抑え気味とはいえ、語り手をつとめる主人公・ユカとエキセントリックな探偵役・イエ先輩とのやり取りをはじめ、くせの強い部分もあるにはありますが、(おそらくは意図的に)ややステレオタイプ気味に造形されている登場人物たちは“わかりやすい”と思いますし、クローズドサークルものの王道をいくようなプロットが支配する物語は、さして読みづらさを感じさせることもありません。そしてその“王道”の陰から、次第に大きな構図が浮かび上がってくるあたりは魅力です。
難をいえば、(後述するハウダニットを除き)総じてサプライズに乏しいのは否めないところで、二度にわたって挿入されている“読者への挑戦状”への答も、少なくとも見当をつけることはさほど難しくはないでしょう(*4)。もっとも、作者がオマージュを捧げる有栖川有栖の、推理ドラマ〈安楽椅子探偵シリーズ〉での名台詞――“犯人だけ当てられても痛くもかゆくもない(大意)”
を念頭に置いて、“作者がどこに勝負をかけているか”を考えてみれば、そのわかりやすさは決して瑕疵とはいえないように思います。
はたして、最後に用意されている“解決篇”はまさに圧巻。古典へのオマージュと思しき、しかし明らかに悪乗りしすぎ(苦笑)のハウダニットにはさすがに脱力させられますが、全編にちりばめられた無数の手がかりを一つ残らず拾っていく偏執的な謎解きは実に凄まじいもので、読者が作中の探偵役・イエ先輩とほぼ同等の“解決”を組み立てるのは至難の業ではないでしょうか。そしてここに至り、あえてサプライズに背を向けたような書きぶりも“解決篇”で読者を圧倒するためのものであるように思えてきます。
すべてが解き明かされた事件の真相には――その是非はさておき――心を動かされるものがあり、何ともいえない読後感が残ります。と同時に、探偵役であるイエ先輩の、事件との向き合い方に垣間見える心理も印象的。ある意味で極端なところのある作風だけに、好みの分かれるところかもしれませんが、少なくとも一読の価値がある――あるいは再読が必須かもしれません――作品であることは確かでしょう。
2011.02.01読了 [古野まほろ]
【関連】 『絶海ジェイル Kの悲劇'94』