薔薇の輪/C.ブランド
A Ring of Roses/C.Brand
“何が起こったのか?”が今ひとつ判然としない事件ですが、その状況を主に作り上げている通報の電話が巧妙です。“ショックで胸をやられた”
(161頁)が“銃で胸を撃たれたのさ”
(85頁)に聞こえたというのは、さすがにあざとすぎる気がしないでもない(*1)ですが、その結果として通報者がアルの方だったという形になり、アルがエルクを射殺したかのような、エステラたちにとって都合のいい様相を呈することになっているのがうまいところです。
さらに、行方不明になったはずの“スウィートハート”について、通報者が“あの子はもう見つかった”
(85頁)と伝えたことで、事件がより一層の不可解さを帯びるとともに、通報者がエルクの方だった――アルがエルクを射殺することはできなかった――ことが明らかになった後、今度はエルク殺しの疑いが“スウィートハート”に押し付けられるのがすごいところ。挙げ句の果てに、バニーの“スウィートハートがすでに死んでることを祈るしかないわ”
(177頁)という台詞まで飛び出すのが、何とも強烈です。
かくして“スウィートハート”の所在が焦点となってくるわけですが、そこからがなかなか巧妙。チャッキー警部は(本書の題名である)“薔薇の輪”――“大きな丸い花壇の薔薇”
が、“地面すれすれのところまで容赦なく刈り込まれている”
(いずれも140頁)ことに着目して、“スウィートハート”が殺されてそこに埋められていると推測するものの、花壇の土の状態などからするとその可能性は否定される(*2)――という経過をたどることで、“スウィートハート”は“存在する”のか“存在しなかった”のかという二者択一に誘導されてしまうのが秀逸です。
“スウィートハート”が最初から存在しなかったというセンセーショナルな仮説は十分に魅力的ですし、小柄なバニーによる“身代わり”はすでに実演済みの上に、そのアリバイを支える電話のトリックも看破され、すべてに説明がつけられた(*3)かと思わせたところで、“スウィートハート”の(赤ん坊の頃の)写真を持ち出して、チャッキー警部の仮説を突き崩してみせる作者の手際がお見事。
“スウィートハート”の実在が裏付けられると、前述の“存在する”と“存在しなかった”という二者択一のミスリードによって、“スウィートハート”が“存在した”――事件以前に亡くなっていたという絶妙な真相が盲点となってしまうのが巧妙です。とはいえ、チャッキー警部の仮説が事件の真相に肉薄しており、“スウィートハート”の秘密だけが最後に残されているといっても過言ではないこともあって、その可能性に思い至るのはさほど難しくはないかもしれませんが……。
読み返してみると、“じっさい、彼らは何の不満も抱いていなかった。夫婦二人で、心を尽くしてスウィートハートの世話をする生活に。あの日が来るまでは……。”
(71頁)といった記述が絶妙な伏線になっていますし、“あの薔薇が最初に植えられたとき(中略)あれからもう八年にもなるが……”
(197頁)と、特に理由なく薔薇を植えたにしてはやけに具体的な数字が出てくるところが、読者にとって大きなヒントといえるかもしれません。
*2: チャッキー警部自身がその結論に達する(199頁)だけでなく、警部が不在の場面でビルがそれを口にしている(197頁)ことで、確実なものとなっています。
*3: “薔薇の輪”についても、
“ありもしない遺体を家の前の花壇に埋めて――ご丁寧にも警察の注意を惹くように薔薇を根元まで刈り込んで――”(239頁)というバニーの台詞で、一応は筋が通るようになっています。
2015.07.16読了