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花嫁のさけび/泡坂妻夫

1980年発表 (講談社)

 “毒杯ゲーム”の最中の不可解な毒殺事件については、最初に毒杯が回ってきた伊津子がグラスを倒し、次に伊津子が作った毒杯を佐起枝が飲み、最後に山遊が毒杯を飲む直前に伊津子がゲームを止めるという状況から、伊津子がやや疑わしく思えてしまうのは否めません。また、事件直後の時点ですでに示されている、“佐起枝の部屋に忍び込んで、佐起枝が飲むはずのココの瓶の中に毒を入れたのよ。犯人はそのココが、こうして毒杯ゲームに使われるなどとは思ってもいなかった。”(169頁)という“仮説”*1を採用すれば、機会の面から伊津子への疑惑は高まります。

 しかし、作った毒杯が誰の手に渡るのかわからない不確実性は依然として解消されませんし、何より佐起枝を殺そうとするほどの動機がまったく見えないのが強力な否定材料となっています。加えて、伊津子が過去の事件である貴緒の死に関わっているはずがないという思い込みが、真相から読者の目をそらすのに大きく貢献しているのはもちろんでしょう。

 その真相――“視点人物=犯人”という仕掛けを成立させるために必要不可欠なのが、伊津子の心理描写の排除です。過去の事件である貴緒殺し、そして事前に毒を仕込んだ佐起枝殺しのいずれについても、犯行を直接描かなくともアンフェアとはいえないと思いますが、心理描写の中で自身の犯行を意識しないのはさすがに不自然となります。そのため本書では、終始一貫して伊津子の視点で記述されながら、描かれるのはほぼその言動のみに限られ、直接的な心理描写は注意深く排除されています。にもかかわらず、伊津子の心理が描かれているように見せかけることに成功しているのが、本書の最大のポイントといえるでしょう。

 つまり、『レベッカ』を下敷きにした“前妻の影に怯える主人公”というわかりやすいモチーフを導入し、さらに周辺人物が徹底して貴緒を持ち上げるという極端な状況を作り出すことで、伊津子の心理が“読み取れる”という錯覚を読者にもたらしているわけで、登場人物の心理を誤認させる“叙述トリック”*2ともいうべき非常に秀逸な仕掛けになっています。そしてまた、ただ一人伊津子に同情をみせる山遊を、いわば“読者の代弁者”として作中に配することで、読者が“読み取った”伊津子の心理が真実であるかのように誤認を補強しているあたりも周到です。

 さらに、例えば“さきほど〈マドリッド〉へ行って来ました。後ほど、お服のことで御相談したいと思います”という佐起枝の台詞に対して、“伊津子が着ているのは、前から持っていた安物の既製服だった。”(いずれも136頁)という“事実”をぶつける*3ことで、伊津子が“安物の既製服”に引け目を感じたと――ひいては佐起枝の言葉がその“弱点”を突くことを意図したものだったと――誤認させるなど、随所にみられるミスディレクションが非常によくできています。

 ミスディレクションがあまりに強力なために、真相が明かされても「アンフェアではないか?」――佐起枝殺しはともかくとして、貴緒が死んだ時点では伊津子はまだ“物語に登場”していないのではないか――と思わされてしまうのはご愛嬌。そして、その疑問にきっちりと応える伏線の塊は圧巻です。

 特に秀逸なのが映画〈花嫁の叫び〉の台本に関する伏線で、決定稿の台詞が冒頭の一場面(24頁)で実にさりげなく示されつつも、“花嫁にとって、夫の家はお化け屋敷だ”というその内容が『レベッカ』を下敷きにしたプロットに合致しているために、そこで示されたという事実が印象に残りやすくなっています。

 事件の真相とともに、それまで伏せられてきた伊津子の本当の感情があらわにされ、読者の胸に強く印象づけられるのが見事。そして、再三にわたって“現実”と重ね合わされ、“早馬=鉄也(殺人鬼)”というイメージを強めていた映画〈花嫁の叫び〉が、「終章」では違った形で効果的に使われているのも鮮やかです。

*1: 実際には毒殺事件の真相の大半を示しているわけで、非常に大胆な手際だといえます。
*2: 登場人物も同じように騙されているために、一般的な意味での叙述トリックとはいい難い部分もありますが、少なくとも読者が騙される一因が心理描写の欠如にあるのは確かで、私見では典型的な叙述トリックの機構に該当します。
*3: 間に“藤堂は伊津子の服に目を向けたようだった。”(136頁)という一文があることで、両者のつながりが自然にみえるようになっているところも巧妙です。

2000.05.07再読了
2009.05.26再読了 (2009.07.06改稿)

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