ジークフリートの剣/深水黎一郎
まず、ネタバレなしの感想の「*1」で言及した『トスカの接吻』との“食い違い”について。本書では『ニーベルングの指環』の本番を迎える前に神泉寺瞬一郎と藤枝和行が出会っていますが、『トスカの接吻』で瞬一郎は“つい数日前に、バイロイトの舞台上でジークフリート役を歌って大成功を収めたスターが、路上でいきなり声をかけて来てくれた”
(同書62頁)と説明していますし、和行の方はさらに本書の内容とかけ離れたエピソードを語っています(同書83頁)。わざわざ事実と異なる説明をしなければならない理由は見当たらないので、本書を執筆するにあたって設定が変更されたと考えるのが妥当でしょう。
『トスカの接吻』の時点でも、“いい加減な人が、亡くなられた婚約者の遺骨を、肌身離さず持っていたりなんかしないでしょう?”
という言葉に対して“藤枝和行は、複雑そうな表情を浮かべた。”
(同書84頁~85頁)とあることから、すでに本書の構想があったのは確かでしょうが、それは和行がバイロイトの舞台で成功を収めた後に事件の真相が掘り起こされるものだったはずで、そうなると本書の印象的なラストシーンがどこに置かれる予定だったのかが気になるところではあります(*1)……が、閑話休題。
和行の“ジークフリート”としての初舞台で終わる本書の構成はベストだと思われる一方で、『トスカの接吻』での記述に忠実に従えば本書には瞬一郎を登場させられないわけで、設定の変更はうなずけるところ。それどころか、帯の内容紹介などでも“芸術探偵”にまったく触れられていない――『トスカの接吻』にさえ言及されていない――ところをみても、設定の変更を逆手にとって瞬一郎の登場をちょっとしたサプライズに仕立ててある節もあり、転んでもただでは起きないというか何というか(苦笑)。
ネタバレなしの感想にも書いたように、本書では殺人事件の存在がしっかりと隠され、それが終盤になって突然掘り起こされるというユニークな構成となっています。瞬一郎が挙げている手がかりの一つ、有希子の大腿骨が無傷だった点は個人的にはやや微妙なようにも思えますが、“首や上腕部には、暗紫色の死斑まで浮きはじめていた。”
(66頁)というのは、確かに単純な鉄道事故死としてはおかしな話で、事件性を示唆する重要な手がかりといえるのではないでしょうか。
さらに読者にとっては、クライマックスを目前に控えた「第四章 4」の冒頭、“バイロイトのとあるホテルの一室では、部屋付きのメイドが(中略)普段あまり頻繁に掃除しない箇所の掃除に取り掛かっていた。”
(200頁)という、和行の視点を離れた唐突な一文が用意されていることが、少なくとも“何か”があることを予感させるあからさまな伏線となっています。この“普段あまり頻繁に掃除しない箇所”
については、作中の別の箇所に“いくら四つ星ホテルでも、毎日ベッドを動かして下を掃除するわけではないらしく”
(96頁)という記述もあるにはありますが、事前にここまで手がかりとして拾うのはさすがに難しいでしょう。
むしろ、有希子がベッドの下にピアスを投げ込んだことが明かされてから振り返ってみると、上の引用箇所の直前の“骨は薄手の敷物の上を転がって、ベッドの下へと転がり込もうとした。(中略)ふと気になってもう一度ベッドの下を覗き込んでみた。今の骨の動きが、何かを訴えようとしているようにも思えたからだ。”
(95頁~96頁)まで含めて、結末で強調される“骨としての有希子の存在”がすでに暗示されているのに脱帽です。
殺人事件の隠蔽に関してはもう一つ、物語中盤に起きる“バトンの落下事故”がミスリードになっている感があります。そちらについては、これも終盤になってあっさりと真相――和行ではなくローゼンベアを狙ったもの――が明かされていますが、そうするとそこで“あんたの成功を妬むやつが、山ほど出てくっぺな”
(22頁)という予言が“宙ぶらりん”になってしまうことで、クライマックスで和行が陥る窮地を暗示する伏線となっているようにも思われます。
本書それ自体を『ニーベルングの指環』になぞらえた読解については、「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂 » ジークフリートの剣 / 深水 黎一郎」をお読みになることをおすすめしますが、例によって(?)落穂拾いを。
まず、“探偵”である瞬一郎による『ニーベルングの指環』の“新解釈”がなかなかに暗示的。作中で瞬一郎は、“ラインの黄金”それ自体を“隠れ登場人物”として読み解き、『ニーベルングの指環』の中にいわば“ラインの黄金”による“操り”の構図を見出しています(182頁~184頁)が、これはそのまま本書における“ノートゥング”すなわち“ジークフリートの剣”たるべき有希子の骨による“操り”に重ね合わせることができるでしょう。
もう一つ、『ニーベルングの指環』の結末に関する“新解釈”の中での、“ブリュンヒルデにとっては、ジークフリートと自らの肉体が炎の中で無に帰し、元素に還ることこそが重要なのです。”
(192頁)という記述も見逃せません。「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂 » ジークフリートの剣 / 深水 黎一郎」では、有希子の親友である萩原佳子が『ニーベルングの指環』の“ブリュンヒルデ”に当てはめられています(*2)が、個人的には先に引用した記述が“有希子=ブリュンヒルデ”を示唆していると考えたいところです。
実のところ、『ニーベルングの指環』の最終夜『神々の黄昏』の内容について「神々の黄昏 (楽劇) - Wikipedia」を参照してみると、「第1幕第2場」に“ジークフリートは、たちまちブリュンヒルデのことを忘れ、目の前のグートルーネに夢中になってしまう”
とあることから、“和行=ジークフリート”に対して佳子は“グートルーネ”、有希子が“ブリュンヒルデ”の役どころだと解釈するのがしっくりします。
さらに、“和行は生まれて初めて恐れを感じた。”
(269頁)という本書の結びと、序盤の“ジークフリートが生まれて初めて恐れを知るのは(中略)炎に包まれて眠っている乙女ブリュンヒルデの姿を目にした時である。”
(62頁)という説明の呼応をみても、作者の意図するところは“有希子=ブリュンヒルデ”だと考えていいのではないかと思われます。
何より、“和行はこれからもずっとジークフリートを歌い続けて行くだろうが、私が決してブリュンヒルデになれないことは、自分自身が一番良く知っている――。”
(49頁)と考えていた有希子にとって、和行の窮地を救う“ノートゥング”としてバイロイトの舞台で和行と“共演”するのみならず、“ジークフリート”=和行にとっての“ブリュンヒルデ”となることが、この上ない“幸せの絶頂”といえるのではないでしょうか。そう、“死んでからも好きなおのこの役に立とうとする”
(26頁)という予言が本書のラストシーンを指しているのはもちろんですが、“幸せの絶頂で命を落とす”
(25頁)という予言もゼーレンセンに殺されたことではなく、役目を終えた骨が“遂に崩れ去ってしまった”
(269頁)こと――有希子の“最後の死”(*3)を指しているのでしょう。
“死んだ婚約者の骨を、この中に入れて持ち歩いていたんです”(同書80頁)及び
“骨はいまは入っていません”(同書81頁)という記述があることから、その時点でも遺骨を(少なくとも)何らかの形で使うことが想定されていたと考えられます。
*2:
“「戦死した兵士」「戦女神」というあたりから「国境なき医師団」を想起するのは容易だし、パーティーの席上のツンツンした彼女の態度が「鎧に身を包んだ」フウであったと形容するのもまた可能でしょう。佳子が『指環』のブリュンヒルデだとすると、その後の物語の展開との照応も見えてきます。”。
*3:
“死んでからも好きなおのこの役に立とうとする”(26頁)という予言と矛盾するようですが、クライマックスでの
“この女は、ほんのわずかな期間に二度も三度も死んだのだ。”(266頁)という和行の独白を踏まえれば、これを“最後の死”と表現しても差し支えないでしょう。
2010.10.09読了