殺す者と殺される者/H.マクロイ
The Slayer and the Slain/H.McCloy
まず序盤の、“気分は二十六歳なんですが。いまやこの顔はどう見ても三十六を過ぎてますね!”
に対して“きみは怪我する前より若返って見えるよ。”
(14頁)というやり取りで、ハリーの認識と現実との間に十年ほどの開きがあることは予想できますし、タイソン準教授の年齢(17頁)やレックスの子供たちの様子(30頁)など、それを示唆する伏線は枚挙に暇がありません。
その原因として最初に疑われるのは、転倒して頭を打ったことによる記憶の欠落でしょうが、医者が“失われたのはあなたの一生のほんの二十分なんですよ。”
(12頁)と保証していることなどから、“失われた十年”が何に由来するのか見えにくくなっているのが巧妙なところです。
もっとも、さすがに“自分”宛ての手紙が残されるという演出などは今となっては陳腐に感じられてしまうもので、二重人格以外の真相を想定するのは難しいのではないでしょうか。それでも、ハリーの方が副人格だったという事実はやはり衝撃的ですし、本名の“ヘンリー”ではなく“ハリー”という愛称を名乗っていたことが伏線だったことにうならされます。
“徘徊者”としての“ヘンリー”の存在がシーリアを殺人者にしてしまったという“偽の真相”自体、ハリーにとっては十分に苦いものですが、“ヘンリー”がシーリアの愛人としてサイモンを殺した(*1)という真相が、何よりも耐えがたいものであることは間違いありません。実のところ、真相が明らかになってから結末までの展開は大筋で“ジキル博士とハイド氏”そのまま(*2)ともいえるのですが、ハリー(と“ヘンリー”)のシーリアへの愛が、結末の悲劇性を一層強めているのはいうまでもないでしょう。そして最後に、“殺す者と殺される者”という題名に込められた意味が浮かび上がってくるところが実に見事です。
“殺す者と殺される者が夫と妻である場合、動機の証明は不要である”(181頁)と
“妻、夫、愛人。たとえ銃撃が偶発的だったとしても、それを信じる者はいないだろう。”(280頁)との対応が印象的です。
*2: 主人格と副人格が逆(?)ではありますが。
2009.12.24読了