孤島パズル
[紹介]
英都大学推理小説研究会の新入部員・有馬麻里亜の誘いを受けて、彼女の伯父の別荘がある南海の孤島・嘉敷島へやってきた江神二郎と有栖川有栖。麻里亜の祖父が隠した時価数億円のダイヤを探すという興味も加わって、充実した夏休みとなるはずだった。だが、ダイヤへの手がかりとなるパズルの解明に挑む間もなく、事件が起きる。折悪しく台風が接近してきた夜、滞在客の二人がライフルで撃たれた死体となって密室内で発見されたのだ。備えられた無線機は破壊され、連絡船が来るのはまだ数日先――殺人犯とともに孤島に閉じ込められた状況に、一同の不安が高まっていく中、新たな犠牲者が……。
[感想]
デビュー作『月光ゲーム Yの悲劇'88』に続く有栖川有栖の第二長編で、前作での火山の噴火による“陸の孤島”という力業から一転、クローズドサークルの王道(*1)の一つである“孤島もの”となっています。とはいえ、舞台となる島は論理に基づく推理のための“場”というだけでなく、ある意味“南の島”にふさわしいともいえる宝探しが盛り込まれ、物語に興趣を添えています。
その宝につながるパズルの“鍵”となる、点在する多数の素朴なモアイ像をはじめ、両端の岬に一軒ずつの別荘、自転車やボートでの移動、そしてもちろん海と砂浜など、日常から切り離された贅沢な非日常を演出する舞台設定は、典型的といえば典型的ながらやはり大きな魅力。また、学生ばかりだった前作に比べると(立場や年齢を含めて)登場人物も多彩なものとなり、その中で主人公のアリスと推理研の新メンバーであるマリアのやり取りを中心とした青春小説としての側面が際立っている感があります。
そんな中、台風が訪れた夜に第一の事件が起こりますが、(殺人であることは明らかながら)密室内での心中めいた様相のせいか、この時点ではまださほど緊迫感が高まるわけではなく、アリスとマリアの微笑ましいイベントなども目を引きます。しかし第二の事件が発生するに至って穏やかな非日常は“暗転”し、親しいはずの人々に疑いを向けざるを得なくなって当初の快活さを失っていくマリアの姿が何ともいえません。
「読者への挑戦」を挟んでいよいよ展開される探偵役・江神部長の推理と解決の中で、最大の見どころはやはり前作以上に見事な犯人特定の論理。手がかりを基にした解釈に別の手がかりを組み合わせて――という過程を繰り返していく解明のロジックは、読者の挑戦を退ける難度と解決に説得力を持たせる平明さとを両立させる適度な複雑さを備えています。また、犯人特定のプロセスの中で同時に“何が起こったのか”が明らかにされていくところも見ごたえ十分です。
そして、一つ一つ手順を踏んで進んでいく解明の過程が、知的興奮とはまた違った、推理がどこへ向かうのかが次第に見えてくることによる緊張感を生じているのが印象的。「読者への挑戦」の中で“ここにパズルがある”
と表現されているように、ロジカルなパズルとしての一面が押し出されたパズル性の高い作品であることは間違いありませんが、それだけが独り歩きすることなく物語の中にしっかりと組み込まれているのが見事です。
2009.12.19再読了 [有栖川有栖]
【関連】 『月光ゲーム Yの悲劇'88』 『双頭の悪魔』 『女王国の城』 / 『江神二郎の洞察』
殺す者と殺される者 The Slayer and the Slain
[紹介]
大学で心理学を研究していたハリー・ディーンは、亡くなったおじから思わぬ財産を相続することになり、事故による負傷から回復したのを機に職を辞して亡母の故郷クリアウォーターへと移住する。かつての想い人シーリアがすでに人妻となっていたことに愕然とするハリーだったが、それでも思い出の残る小さな町で、憧れの自然に囲まれた穏やかな生活を始める。しかし、やがて謎の徘徊者が町に出没するようになり、署名のない脅迫めいた手紙が書斎に残され、しまっておいた運転免許証が消え失せて――ハリーの身辺で不可解な出来事が続発する中、ついに無残な事件が……。
[感想]
先に復刊された『幽霊の2/3』と同様に、長らく続いてきた絶版状態から一転して新訳で復刊された本書は、その『幽霊の2/3』のような(シリーズ探偵ベイジル・ウィリング博士が登場する)本格ミステリとはまた違った作者の持ち味(*1)、サスペンスを前面に押し出した作風が魅力の作品となっています。
物語は主人公ハリー・ディーンの一人称で綴られていきますが、“図書館は自伝をフィクションとして分類すべきだ”
(8頁)という印象的な書き出しから“読者への注意”(*2)へと続く、いきなりテキストに対する“信頼”を揺るがすような冒頭部分がまず目を引きます。そして実際、不慮の転倒による一時的な記憶の欠落をはじめ、日常生活や会話の中でのちょっとした違和感など、ハリーの記憶の不安定さを表す出来事が随所に織り込まれ、さしたる変事の起こらない物語序盤においてさえ読者としては不安を覚えずにはいられません。
そのせいもあってか、ハリーの言動一つ一つ――例えば頻繁な回想や亡母の故郷への移住など――には過去への郷愁が強く感じられますが、それがまたハリー自身の記憶の怪しさを浮かび上がらせることになります。かつての想い人シーリアの思いがけない“変心”にしても、ハリーの過去の記憶(から敷衍される現在)と“現実”との齟齬ととらえることができるわけですし、その傷心がハリーの心をより強く過去に向かわせるという“スパイラル”が何ともいえないところです。
舞台がクリアウォーターへ移ると一転して、美しい自然に囲まれた悠々自適の穏やかな生活が描かれていますが、それが人妻となったシーリアとの苦さを伴う再会、さらにハリーの身辺に迫る得体の知れない脅威を際立たせているのが見事。その中でついに起こる事件は、ハリーの周囲に大きな波紋を広げ――そしてその勢いのまま衝撃的な事実が次々に明らかにされていく展開が圧巻です。
後続の様々な作品の“原型”ともいえる古典的なネタであるために、事前に予想がついてしまう部分が多いとはいえ、無数の伏線が一つにつながっていく巧妙なプロットが実に効果的で、“どうすればアイデアをうまく生かすことができるか”への細やかな気配りに脱帽。最終頁に待ち受ける“最後の一撃”(*3)も、やはり印象深いものであることには違いありません。サプライズが不発気味であることを割り引いても、一読の価値がある名作です。
*2:
“読者よ、ご注意を! (中略)この回想録は結局、完全無欠な真実ではなく、わたしの記憶にある真実から構成されているにすぎない。”(8頁)。
*3: この結末そのものは、とある有名な古典に通じるところがあるようにも思われますが。
2009.12.24読了 [ヘレン・マクロイ]
遠海事件 佐藤誠はなぜ首を切断したのか?
[紹介]
探偵に犯行を見抜かれて自首した後、取り調べの中で実に八十六件もの殺人を自白した、空前絶後の大量殺人犯・佐藤誠。しかし、犯行後の徹底的な隠滅を常としてきた佐藤は、ほとんどの事件で証拠はおろか死体さえほぼ完璧に消し去っていた。その数少ない例外が、遠海市の書店で店長として働いていた時代の、通称“遠海事件”だった――書店チェーンの役員が首を切断されて死んでいるとの通報があり、さらに付近で同じく首を切られた少女の死体が発見される。死んだ役員の部下にして第一発見者の佐藤誠に疑いがかかるものの、アリバイが成立したことでその容疑は晴れ、事件はそのまま迷宮入りした。しかし――佐藤誠はなぜ首を切断したのか……?
[感想]
『リロ・グラ・シスタ』でデビューした作者の長編第二作で、一部登場人物が共通してはいる(*1)ものの、学園ハードボイルド風の前作とは打って変わって、“作家・詠坂雄二が大量殺人犯・佐藤誠をテーマに執筆した実録犯罪小説”という異色のスタイル。専門書にも通じる堅い雰囲気の序文「はじめに」や、本編の間に挿入されている佐藤誠を多角的に論じたコラムなど、フィクションらしからぬ体裁が目を引きます。
それでも、あくまで“実録犯罪小説”仕立ての本編は普通に“小説”として楽しむことができますが、しかし大量殺人犯が中心に据えられているだけに、その内容はオーソドックスなミステリとは一線を画しています。犯人が最初から明らかにされているという点では倒叙ミステリに通じる部分もありますが、“いかにして犯行が露見するか”という興味が皆無だというのはやはり異色。そしてそこには、犯人である佐藤誠の特異な造形が関わっています。
警察に捕まることなく八十六件もの殺人を犯し続けたというのは単なる僥倖ではなく、「はじめに」でも言及されている“動機の多様性”
――犯行の不連続性(*2)もさることながら、“事件”そのものを消し去る完璧な死体処理と証拠隠滅の技術が最大の要因。それは、犯人の自白以外の形での事件の解決をほぼ不可能にしてしまう(*3)点で本来ミステリにそぐわないものではあるのですが、桁外れの大量殺人犯という設定に説得力をもたらしているのは間違いありませんし、それが“遠海事件”の異質さ――“なぜ首を切断したのか?”という謎を際立たせているところが巧妙といえるでしょう。
その“遠海事件”の顛末を描いた本編では、読者に対して犯人が明らかにされている中、他の事件とは違って最初から捜査線上に浮かんでいる佐藤誠がいかにして容疑を免れるかも注目されるところで、なぜか成立するアリバイがささやかながらも興味を引く謎となっています。そしてまた、あるミステリマニアによる“首切り講義”ともいうべき分類(*4)を通じて、ミステリにみられる首切りの理由がある程度整理された形で読者に伝えられているところもよくできています。
時おり常人離れしたところものぞかせてはいるものの、どちらかといえば個性も存在感も薄い人物といった印象の佐藤誠ですが、終盤になって“遠海事件”の自白をする場面では――とりわけ担当刑事の視点で描かれているだけに――ついにその異様な人物像が露呈し、強烈な印象を残します。しかしその後、思わぬ形で佐藤誠に突きつけられる“なぜ首を切断したのか?”という問いとその意外な真相を通じて、改めて佐藤誠の一面が浮かび上がってくる構成が実に見事。
それだけにとどまらず、さらにまったく予想外のサプライズを取り出してみせる――と同時に、“大量殺人犯を主役に据えたセンセーショナルな実録犯罪小説”という体裁の陰に注意深く隠されてきた“あるもの”の存在を強く印象づける、作者の奥深い企みには脱帽せざるを得ません。一見奇をてらったスタイルに意欲的な試みを潜ませた、必読の傑作です。
*2: この点に関連して、
“手段型の殺人犯”――殺人という行為があくまで手段にすぎない――と表現されているのも興味深いところです。
*3: 作中では、別の事件での犯行を“探偵”に見抜かれて自首することになったとされていますが、詳しい経緯の説明はありません。そのあたりは、
“本書の前作にあたる『昨日の殺戮儀』”(「はじめに」より)ですでに描かれている――巻末に付された『昨日の殺戮儀』の(架空の)広告を見る限り――という設定で、“完璧な犯行をいかにして暴くか”という難題が周到に回避されているのがうまいところです。
*4: やや形は違いますが、三津田信三『首無の如き祟るもの』の“首無し死体講義”と比べてみるのも一興でしょう。
2009.12.27読了 [詠坂雄二]
スラッシャー 廃園の殺人
[紹介]
異端のホラー作家・廻数回一藍が、その怪異的理想を込めて造り上げたという廃墟庭園〈魔庭〉。怪奇幻想を扱った同人誌『迷宮草子』以外の取材は拒否され、内部の様子をうかがわせるのはその短い探訪記事のみ。そして〈魔庭〉にこもっていた一藍はいつしか人知れず消息を絶ち、その後肝試しに忍び込んだ大学生たちが死体となって発見される事件も起きていた――そんな〈魔庭〉を舞台にホラービデオを撮影しようと、制作会社のスタッフや役者たちがロケハンに訪れる。禍々しい雰囲気を漂わせる壮大な廃園を探険していくうち少しずつばらばらになっていく一行に、やがて正体不明の黒い影が忍び寄り……。
[感想]
“スラッシャー”とは、スプラッター系のホラー映画の中で“いわゆる殺人鬼や化け物のような存在が、登場人物たちをひとりずつ殺していく話のこと”
(59頁)――というわけで、民俗ホラー(*1)や幽霊屋敷もの(*2)などを題材にしてきた作者が、趣味のホラー映画に対するオマージュとして書き上げた本書は、綾辻行人『殺人鬼』などにも通じる凄惨なスプラッター・ミステリとなっています。
いわくのある場所に軽い気持ちで入り込んで惨劇に襲われるという展開は、まさにホラー映画の定番、特にB級ホラー映画のノリで、凄惨ではあっても重厚ではない、どこか気楽に読めるような雰囲気も漂っています。また、一行の目的がホラービデオのためのロケハンである上に、メイキング映像を撮影しようとスタッフが実際にカメラを回しているという、作者の持ち味ともいえるメタフィクション的な要素が盛り込まれているのも目を引きます。
一方、舞台となっている廃墟庭園〈魔庭〉はなかなかのもの。作中でも江戸川乱歩の“パノラマ島”になぞらえられていますが、奇怪な要素が雑多に寄せ集められて統一感のない混沌とした様相を呈しているあたり、異端のホラー作家が思いのままに作り上げたという経緯がよく表れています。そしてまたそれぞれの要素が、ある種の“罠”として一行をばらばらに――惨劇におあつらえ向きの状況を作り出すのに貢献しているのがうまいところです。
しかして、見どころとなるべき肝心のスプラッター描写は……さすがに丁寧で力は入っているものの、実をいえばそこはかとなく微妙な雰囲気もあり(*3)、純然たるスプラッター・ホラーを期待する向きにはやや物足りなく感じられるかもしれません。そしてもう一つの見どころであるミステリ部分は、これはおそらく読者によって分かれるところでしょうが、トリックに(一応伏せ字)類似の前例がある(ここまで)こともあって、個人的にはさほど強烈な驚きがなかったのが少々残念。
それでも、物語としての演出とうまく絡み合った伏線やミスディレクションは十分によくできていますし、じっくり考えてみるとユニークな企みが浮かび上がってくるようにも思われ、なかなか一筋縄ではいきません。とはいえ、作者自身が楽しんで書いたことがうかがえる、その趣味が全開となった作品であることは確かで、やはりスプラッター系のホラー映画を見る感覚で肩の力を抜いて楽しむのがベストではないでしょうか。
2010.01.06読了 [三津田信三]
泰平ヨンの航星日記 〔改訳版〕 Dzienniki Gwiazdowe
[紹介]
重力渦による時間の乱れで出現した無数の自分と大騒動を繰り広げ――地球の代表として出席した惑星連合の会議でドタバタに巻き込まれ――ロボットに変装して狂った電子頭脳が支配する惑星に潜入し――時間伸縮機によって未開の星を発展させ――名高い偉人“嗚呼師”に会いに行くはずが思わぬ事態に遭遇し――本で読んだ“狗留伝竜”狩りに憧れて現地を訪れ――森羅万象の創造に挑み――歴史最適化計画の総責任者に任命され……広大な宇宙を旅し続ける泰平ヨンの日記から抜粋された、愉快で深遠なエピソードの数々。
[感想]
本書はスタニスワフ・レムの代表作の一つである〈泰平ヨン・シリーズ〉の第一作(*1)で、「第七回の旅」から「第二十八回の旅」と題された全十四話――途中にも欠番があるため――からなる連作短編集です。“現代版ほら吹き男爵”
(あるいは“宇宙版”)とも称されるユーモアSFの体裁を取りながら、多岐にわたるテーマを扱った哲学的な物語となっており、なかなか読みごたえがあります。
また、「訳者あとがき」でも指摘されているように、“泰平学”――泰平ヨンに関する学問か?――の権威ともいえるタラントガ教授による“序文”――しかも編纂の経緯(*2)やテキストの真偽にまで言及される――が次々と追加されていくことで、〈泰平ヨンの航星日記〉というテキストを取り巻く事情が浮かび上がってくるという、メタフィクショナルな効果を生じているのが一筋縄ではいかないところです。
最初の「第七回の旅」ではタイムパラドックスが扱われており、比較的オーソドックスなSFに近く読みやすい一篇となっています。無数の“泰平ヨン”が繰り広げるドタバタ劇もさることながら、最後の段落のとぼけた味わいが何ともいえません。
続く「第八回の旅」は、地球の加入の是非を決める惑星連合の会議の顛末を描いたもので、想像を超える多様な異星人がまず見どころ。会議の行方そのものは(今となっては)ややありがちにも思えますが、泰平ヨンが人類の代表として直面する凄まじい状況は印象に残ります。
泰平ヨンが変装してロボットの惑星に潜入する「第十一回の旅」は、スパイもののような趣。描かれているロボット文明の倒錯した様子もインパクトがありますが、人を喰ったオチがなかなかのものです。
「第十二回の旅」では、タラントガ教授の発明品である時間伸縮機をネタに、“現代版ほら吹き男爵”の面目躍如(?)というべき、何とも無茶な話が展開されています(特に後半)。結末にさりげなく“前もって用意しておいた○○”
とあるのも笑いどころでしょう(*3)。
「第十三回の旅」は、宇宙で最も優れた人物の一人とされる“嗚呼師”に会いに行くはずが、異星の奇天烈な社会体制に遭遇するという話で、レムならではの異質な世界の姿が見どころです。
泰平ヨンが本で読んだ“狗留伝竜”狩りに挑む「第十四回の旅」は、やはり何とも珍妙な狩りの様子が愉快……と思っていると、話が次第に違った方向へ向かい始め、最後にはある意味凄まじい結末が待ち受けています。
「第十八回の旅」はユニークな宇宙論に始まり、森羅万象の創造というとてつもなく壮大な計画へとつながっていきますが、対照的に卑小な(というのは語弊があるかもしれませんが)オチが絶妙。
歴史の改変を扱った「第二十回の旅」は、発端からして前途多難を予感させるもの。果たして、“歴史最適化計画”はすぐに総責任者である泰平ヨンの思惑から逸脱し始め、まったく違った姿に変わっていく経緯がじっくりと描かれているのが見どころです(*4)。
「第二十一回の旅」では宗教がテーマとなっていますが、その過程でかなりの分量を費やして描かれていく、悪夢のような人体改造の結果(一部イラストあり)が強烈です。そして、最後に提示される逆説めいた“二信教”のありようがまた印象的。
「第二十二回の旅」は、紛失したポケットナイフを探すために様々な世界を訪れる話で、ここでもまた宗教が槍玉に挙げられ、完膚なきまでに叩き伏せられていますが、バランスを取るかのように軽妙なオチが鮮やか。
「第二十三回の旅」はわずか9頁の小品で、“泰平ヨン版”の(一応伏せ字)「蝿男の恐怖」(ここまで)といったところ。
「第二十四回の旅」では、技術の進歩が予期せぬ方向へ暴走し、不条理な事態を引き起こす話。ややありがちにも思える結末よりもむしろ、そこへ至るまでの過程――特に初期の段階――が興味深く感じられます。
「第二十五回の旅」は“じゃがいも”を発端に、泰平ヨンとタラントガ教授の“すれ違い”が繰り返され、最後には異質な生態からの視点が提示されるという、よくよく考えてみるとあまりにも支離滅裂な展開に翻弄されるばかり。
最後の「第二十八回の旅」は、なぜか泰平家の家系についての話。それぞれにユニークなご先祖様が次々と紹介されていく物語には引き込まれてしまう一方で、どこが“旅”なのかという疑問も浮かんでくるところですが、いつの間にか(以下伏せ字)〈泰平ヨンの航星日記〉というテキストの信頼性を揺るがす(ここまで)結末へとなだれ込むところが見事です。
ところで、時間をかけて読んだせいもあるかもしれませんが、やけに誤植(?)が目についたのが残念。レムのややこしい造語については多少仕方ない部分もあるかもしれませんが、「第三版への序論」中の“第十八回の日記”
(7頁;正しくは“第二十八回の日記”(*5))というのは重大な誤りだと思いますし、“ブールズ・E・バブ”
(246頁)という人名がすぐ後に“ブールズ・F・ブック”
(249頁)となっていたり、“Solanum fuberosum(じゃがいも)”
(476頁;正しくは“Solanum tuberosum”)というつまらない間違いがあったりするのもいただけないところです。
*2:
“衝撃的な契約”(15頁)による欠番という説明には苦笑を禁じ得ません。
*3: そのくせ、
“私はありもしない話をでっちあげることができないのだ。”とうそぶく(?)あたりがまた笑えます。
*4: とはいえ、大筋では「第十八回の旅」と同工異曲にも感じられてしまうところが少々気にはなりますが……。
*5:
“ヨンと泰平家の家系に関する新たな情報をもたらしてくれている。”(7頁)という言及があり、「第二十八回の旅」の方が内容的に合致しています。さらにその後の「増補改訂版への序文」に、
“これまで知られていなかった(中略)第十八回”(11頁)の日記が新たに収録された旨の記述があることからも、誤りだと考えられます。
2010.01.22再読了 [スタニスワフ・レム]
【関連】 『泰平ヨンの未来学会議』