葬式組曲/天祢 涼
- 「父の葬式」
餡子の“格言”というヒントをもらったにせよ、喪主である雄二郎自身が謎を解く展開はやや意外でしたが、雄二郎を“探偵役”に据えてあることで、最初に到達した“穏当な”解決からの反転が強く印象づけられるのが巧妙です。
雄二郎が金目当てで喪主を引き受ける――というところまで見通した父・米造の眼力にも凄まじいものがありますが、雄二郎にデザイナーをあきらめさせるにとどまらず、兄・賢一郎との人生の入れ替えを――酒の入れ替えに託して――示唆したという真相には圧倒されます。賢一郎がデザイナー志望だったことを示唆する伏線としては、
“兄貴の口癖の影響で関心を持った、デザイナーの道”
(11頁)というのはやや弱めではありますが、酒瓶のデザインをめぐるエピソード(25頁)と合わせれば、推測は十分可能だと思います。故人の真意を完全に見抜き、それに応えるべく一見すると非情にも受け取れる態度を示す、雄二郎の最後の決断が強く印象に残ります。そして
“俺達兄弟のための、葬式だったんだ。”
(56頁)という最後の一行も。- 「祖母の葬式」
冒頭から、瑞穂がなぜか火葬に難色を示すという奇妙な謎が提示されますが、この時点ではその意味するところがよくわからないまま。そして実際に葬式にあたっては、特製の棺を使うという風変わりな要望が加わり、一見するとまったく方向性の異なる両者がどのように結びつくのかが予想しづらいことで、瑞穂の意図が見えにくくなっているのが秀逸。
もちろん推理の材料は次第に出揃ってくるわけですが、そこで偽僧侶の暴露に続いて高屋敷の意外な正体が明かされることで、“本筋”から目をそらされることになってしまうのもうまいところです。
棺そのものが重要ではなく、人工関節を仕込むための仕掛けだったという真相は面白いと思いますが、さらに序盤に言及されていた(73頁)ペースメーカーまでうまく使われているのが周到です。さらに、病院の院長が
“医療過誤寸前の事態を引き起こすことも珍しくない。”
(73頁)とまで評されている(*1)ところも含めて、万全の仕掛けといえるのではないでしょうか。- 「息子の葬式」
死体をバラバラにして持ち出すという消失トリックは、某海外古典短編(*2)をはじめとしていくつかの前例がありますが、そのトリックをここに持ってきたのがすごいところ。最大の“容疑者”である母親・真由が息子の遺体をバラバラにするはずがない――ゆえにそのトリックではあり得ない、と思い込まされてしまうわけで、遺体が最初からバラバラだったという事実を巧みに――不自然でない理由を添えて――隠蔽することでトリックを成立させる、秀逸なアレンジとなっています。
その事態を奇貨として、副島まで動かして葬式を行う方向へ持っていく餡子の手腕はさすがです。そして、思わぬところから不意打ちのように訪れる結末には、思わず心を動かされずにはいられません。お見事です。
- 「妻の葬式」
東野圭吾『探偵ガリレオ』のシリーズなどを思い起こさせる謎の作り方ですが、骨導超音波というあまり聞き慣れない現象が事前に説明され、しかも創介が補聴器をつけていないということで一旦否定されているのが巧妙。また、S県の治安の話にかこつけてさりげなく、眼鏡を新調したという伏線が提示されている(177頁)のもうまいところです(*3)。
ミステリらしいロジカルなフーダニットになっているのも見どころで、脚立の扱いには――作中でも再三
“勘違い”
(194頁/210頁)と主張されているように――やや難があるようにも思われるものの、「シャンデリア」という“業界用語”が決め手になっているところなど、葬式ミステリならではの謎解きといえるでしょう。- 「葬儀屋の葬式」
“葬儀屋の葬式”という題名からある程度予想できなくはないかもしれませんが、
“高屋敷さんが亡くなりました”
(218頁)という最初の一行には――高屋敷が北条葬儀社の中で比較的地味なポジションであっただけに――やはり意表を突かれました。さらにその高屋敷の葬式を“あげることができない”
(219頁)という事態に、どうなることかと読み進めていくと、新実による突然の告発にしてやられてしまいました。ここまでの四篇で葬式自体に関する謎が扱われ、死者が当然のように最初からそこにいたことで――つまりは葬式ミステリという形式そのものによって、それぞれの死がいわば盲点に追いやられ、疑いを向けにくくなっているわけで、なかなか巧妙な仕掛けといえるのではないでしょうか。
二転三転する解決にはひたすら翻弄されてしまいますが、紫苑に対するショッキングな告発の中でさりげなく、
“潤君も七歳児にしては小さかった。”
(234頁)という“決め手”が提示されているところもよくできています。そして、新実の視点で記述された「祖母の葬式」が丸ごとミスディレクションになっている――“語り手=犯人”を無理なく成立させている――と同時に、犯行の動機につながる犯人の心理を克明に――さらにいえば遺書の偽装につながる“練習”まで――描いた伏線となっているのがものすごいところです。巧みな嘘によって自殺を唆した餡子に対して、それを制止して新実を司直の手に委ねた紫苑の選択は、北条葬儀社を一大スキャンダルに巻き込むことになりましたが、最後の場面で窓ガラスに映る
“髪をアップにしたわたし”
(273頁)の姿は、紫苑が北条葬儀社の“死”を受け入れて再び前に進もうと決意したことを暗示しているのかもしれません。その意味で、“葬儀屋の葬式”という題名は物語の内容にふさわしい、見事なものといえるように思います。
*2: (作家名)J.D.カー(C.ディクスン)(ここまで)の(作品名)「妖魔の森の家」(ここまで)。
*3: ただし、殴られて脳に異常を来した可能性を後になって持ち出す(199頁)くらいであれば、幻聴の理由を検討する段階でそれにも言及する方が自然なようにも思えますが……。
2012.02.01読了