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扉は閉ざされたまま/石持浅海 |
2005年発表 ノン・ノベル(祥伝社) |
ネタバレなしの感想にも(一応伏せ字にして)書いたように、本書の「序章」で犯人によって閉ざされた現場の扉は、「終章」になってからようやく開かれます。その間は、殺人事件であることはおろか被害者の生死すら不明であり、本書はいわば“シュレーディンガーの猫”のミステリ版、つまり扉を開くことなくその内側にいる人物の状態を推理するという、一風変わった趣向が盛り込まれているのです。あるいは、変形の安楽椅子探偵ものととらえることもできるでしょう。 注目すべきは、その推理があくまでも“扉を開くべきか否か?”という議論の中で行われているところでしょう。扉を開かせないための作者の状況設定と犯人の主張は非常に巧妙で、“立会人”たちが長い間異常に気づくことなく、ある意味のん気な(?)議論を続けることができるほどです。 そして探偵役は、扉を開くことのないまま、限られた材料で室内の状況を推理せざるを得ません。もちろん実際には、窓から室内を覗くことができる分、ある程度の材料を入手することができるのですが、しかしそれもかなり話が進んでからのこと。ここでも作者の設定と犯人の打つ手が大きな効果を上げています。
犯人が密室を構成した理由は、犯行の隠蔽や逃亡に無関係な時間稼ぎという例を見ないもので、非常に秀逸だと思います。一方、その奥にある殺人の動機については、あるいは説得力が欠けていると思われる向きもあるかもしれませんが、自分でも骨髄バンクに登録していてドナー候補になったこともある私としては、少なくとも(現実ではなく)ミステリの動機としてはそれなりの説得力を備えていると思います。
(2005.07.04追記)
今さらではありますが、かなり言葉足らずだったので追記しておきます。 まず、 “伏見は、自分が間違ったことをしたとは考えていなかった”(204頁)という文章をみると、この事件は信念の犯罪(本来の意味での“確信犯”)であろうかと思われます。伏見は冷静で合理的な思考をする人物として描かれていますが、その一方で非常に強い自負心の持ち主であることもうかがえます。そのような人物が独善的な信念にとらわれてしまうのは往々にしてみられることだと思いますので、伏見が信念のもとに殺人を犯したというのもさして不自然には感じられません。 そしてその、 “臓器を提供する側は、心身を清廉にして、自分の一部が移植先で、正々堂々と活動できるようにしておかなければならない”(201頁)という信念自体は、(他者に強制するものでなければ)個人的には理解できないこともありません。もちろん私は、犯人の行為に賛同や共感などはしませんが、新山のような人物(その考え方)に対して嫌悪を感じるのは否定できないところです。 ドナーの性感染症が発覚することなくレシピエントに伝わる危険性が、実際のところどの程度のものなのかはわかりませんが、いわゆる薬害エイズ問題と同様、決して看過できるものではないでしょう。私自身は他に手段がないとは思いませんが、移植によってレシピエントが手にするべき幸福だけでなく自らの強い信念も脅かされることになった時、伏見が危険の芽を摘んでおくという考えに至るのもあり得ないことではないのではないかと思います。 なお、 “高潔な犯人”(202頁)という表現に引っかかりを覚える方もいらっしゃるようですが、これはあくまでも優佳の台詞ですし、しかも “買春という行為自体を嫌悪していたし、臓器提供意思表示カードを持ちながら買春することなど、絶対に認めることができなかった”という文章につながっているものですから、殺人という行為及びその動機ではなく“買春”に対する姿勢を評したものでしかないでしょう。伏見が “自分が間違ったことをしたとは考えていなかった”のは確かですが、だからといって自身の犯罪を“高潔な行為”だと考えているようには読めませんでした。 (ここまで) 気になるのは密室トリックで、時間がたって完全に乾いた飯粒の除去は、指でこそげ落とすだけでは不十分ではないかと思います(特に、ドアストッパーがドアから外れない程度に強く貼りつけなければならないのですから)。 2005.05.25読了 |
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