倒叙の四季/深水黎一郎
2016年発表 講談社ノベルス(講談社)
2016.04.11読了
- 「春は縊殺 やうやう白くなりゆく顔いろ」
- 衣服の背中まで染み込んだ尿や、
“顔文字付きのツイート”
(37頁)という不用意な一言などのミスを犯しながらも、“自殺”だと言いくるめようとしてきた犯人ですが、それを一気に無効化してしまう、自殺ではあり得ない力のかかり方を示す鴨居のささくれにロープの毳立ち――細かすぎる見落としが、鮮やかな印象を残します。もっとも、あまりに細かすぎるがゆえに、犯人が気づかなくても致し方ないような気がしないでもないですが……。
ここまでならば、“自殺ではなく他殺だった”ことが露見するにとどまるのですが、低反発クッションに残った足型という決定的な証拠がお見事。犯人の足型と一致するだけでなく、被害者の友人の来訪によって機会が限定され、さらに圧痕が残るのに必要な荷重から犯行が裏付けられるという、実によく考えられた証拠となっています。
犯人が“それまで乗っていた椅子を(補足:確認せずに)ダイニングテーブルの下に押し込んだ”
(17頁)ことが致命的だったわけですが、低反発クッションの特性は必ずしも一般的な知識とはいえないようにも思われるので、読者が決め手を見抜くのはやや困難かもしれません。とはいえ、海埜警部補がわざわざ犯人の足の指紋まで採取した(33頁)ことが、足型の存在を示唆するメタな手がかりとなり得るように思います(*1)。
- 「夏は溺殺 月の頃はさらなり」
- 特殊な知識なので“乾性溺死”まではわからないとしても、被害者が
“クーラーボックスの中に嘔吐した”
(65頁)ことが問題になるのは明らかで、肺に侵入する珪藻の種類にまで気をつけている犯人にしては不注意にすぎる感もあります。一旦吐瀉物が水に混じってしまうといかんともしがたいのは確かですが、それがさらに決定的な証拠――釣り小屋のすぐ外に捨てられたクーラーボックスの水につながったわけで、何とも痛すぎる見落としです。
見落とし自体は犯人の自業自得なのですが、その発端である喉に詰まった団子に犯人が見出した被害者の意志が秀逸。犯人は“団子の最後の玉を口に入れた時に、そこまで考えていたとは思えない”
(93頁~94頁)としていますが、手足をロープで縛られて頭を海水に突っ込まれるまでの間、団子を飲み込まずに“取っておいた”ところをみると、最後に団子を要求した時にすでに計画を立てていた、とさえ考えることもできそうで、何とも壮絶な印象を残します。
- 「秋は刺殺 夕日のさして血の端いと近うなりたるに」
- 犯人の隙を突いて被害者が残した見えないダイイングメッセージがまず魅力的で、被害者が自然にロウソクを手にする状況を作り出すための設定もよくできていますし、見えないはずのメッセージが血溜だまりで浮かび上がってしまうのも鮮やかです。
危ないところでメッセージに気づいた犯人が、ロウをきれいに取り除いているものの、ルミノール反応についての説明(130頁~131頁)が親切なヒントとなって、犯人のミスはかなりわかりやすくなっているでしょう。それでも、“今後私に何かあったときも、(中略)彼等はきっと私を助けようとしてくれる”
(105頁)という被害者の言葉が反映された、兵隊たちの遺骨による告発のイメージによって、何ともいえない余韻の残る結末となっています。
- 「冬は氷密室で中毒殺 雪の降りたるは言ふべきにもあらず」
- 密室トリックは、“いかにして短時間で扉を凍りつかせるか”がポイントというところまでは明らかですが、地元・蔵王の樹氷がヒントとなって過冷却水の相転移(*2)にまで至る解明の過程がよくできています。そしてそのトリックにより、犯人が現場に落としたコンタクトレンズが封じ込められ、そこに残った指紋が決定的な証拠になるという、“因果応報”的な展開がお見事です。
その謎解きを行ったのが、海埜警部補ではなくまさかの“芸術探偵”神泉寺瞬一郎だったというサプライズもまた鮮やか。「3」以降の“私”(実際には瞬一郎)を海埜警部補に、“二人組の私服刑事”(実際には大村刑事と瞬一郎)を海埜警部補と母里谷署長に見せかける叙述トリックが仕掛けられている(*3)わけですが、“一人は五十がらみのロマンスグレー”
(168頁)という描写がくせもの。それまでに、海埜警部補の外見について“ロマンスグレー”という表現がこれでもかというほど多用されている(*4)ことで、それが読者の頭に刷り込まれてしまう、サブリミナル効果のような仕掛けになっているのが面白いところです。
最後に用意されている、連作をまとめる趣向――〈完全犯罪完全指南〉の真相もまた秀逸。最初の「エピローグ」で“犯人”が母里谷署長であることが明かされ、次いで「もう一つのエピローグ」で“犯人がどのようなミスを犯したのか”が明らかになるという具合に、この結末自体が倒叙ミステリの形式になっているところが非常によくできています。
倒叙ミステリにしては、「エピローグ」で“犯人”の“犯行”が直接描かれず、その中に潜むミスが読者に示されないのはいかがなものか――と考える方もいらっしゃるかもしれませんが、〈完全犯罪完全指南〉がネット上にアップされるファイルでしかない以上、その“犯人”に迫る糸口はそこに記された情報そのものしかありません。つまり、〈完全犯罪完全指南〉の真相が暴露されるとすれば“この形”しかない――母里谷署長が“犯人”であることが明かされた時点で、「冬は氷密室で中毒殺」事件についての“限られた捜査関係者しか知らない事実”が〈完全犯罪完全指南〉に記されることは、よく考えてみれば十分に推測可能ではないでしょうか。
*1: といいつつ、「秋は刺殺」でも犯人の足の指紋を採取している(125頁~126頁)ところをみると、室内で起きた事件でのルーティンワークなのでしょうか。「また足型なのか?」と読者を混乱させるミスディレクションの可能性もありそうですが……。
*2: 〈芸術探偵シリーズ〉の「不可能アイランドの殺人」(『世界で一つだけの殺し方』収録)に通じるところのあるトリックが、“真の探偵役”を暗示する伏線となっているようにも思われます。
*3: 「2」では“私”ではなく三人称の“海埜”ですし、早々にスキーをしに行くあたりも海埜警部補にはややそぐわないので、気づいてしかるべきなのかもしれませんが……。
*4: 「春は縊殺」で
*2: 〈芸術探偵シリーズ〉の「不可能アイランドの殺人」(『世界で一つだけの殺し方』収録)に通じるところのあるトリックが、“真の探偵役”を暗示する伏線となっているようにも思われます。
*3: 「2」では“私”ではなく三人称の“海埜”ですし、早々にスキーをしに行くあたりも海埜警部補にはややそぐわないので、気づいてしかるべきなのかもしれませんが……。
*4: 「春は縊殺」で
“ロマンスグレーの男”(30頁)・
“ロマンスグレー野郎”(42頁・46頁・50頁)、「秋は刺殺」で
“中年のロマンスグレー”(121頁)・
“ロマンスグレーの警部補”(130頁)・
“ロマンスグレー野郎”(131頁・133頁・134頁)と、何度も“ロマンスグレー”が登場しています(「夏は溺殺」に見当たらないのは、目立ちすぎて不自然になるのを避けるためでしょうか)。
2016.04.11読了