乾いた屍体は蛆も湧かない/詠坂雄二
“誰が殺したのか”がスルーされるどころか、“主人公君”こと向丘太市が自ら殺人犯だと名乗り出てきて、事件を終わらせようとする“探偵”寿明と対峙する――ただし肝心の死体だけが見つからないまま――という展開も相当ひねくれていますが、そもそも殺人事件ではなかったという人を食った真相が何ともいえません。が、寿明が“主人公君”と呼ぶような、つまりは寿明の境遇とはかけ離れているように見える人物が、ある意味で寿明に通じるところのある思いを抱えていたというのが印象的です。
死体消失のフーダニットについては、死体がうつぶせだったにもかかわらず、将樹が“学校の制服と校章を網羅してるサイト”
で調べて“間違いない”
(いずれも31頁)と断言までしていることから、早い段階である程度見えやすくなっている感がありますが、死体消失のホワイダニットが秀逸。頼太と寿明が血を踏んでしまったことを手がかりに、苦く痛い真相にうまくつなげてあるのも見逃せません。
そして、死体消失の真相が明らかになったことを受けて不意討ちのように示される、予想外の真実には思わず唖然。例えば、刑事たちが寿明を将樹と“間違えた”こと(99頁)や、読み返してみるとうならされる“自分の人生を他人に送らせる”
(107頁)という独白など、数々の伏線が巧みに張られてはいますが、多重人格ネタとしては――“問題作”としてそれなりに知られている某海外長編(*1)並みに――アンフェア気味なのは否めないところでしょう。
気になるのはやはり、“頼太がアルバイト中の寿明を訪ねてきた”場面(42頁)です。頼太と寿明が“会話”する様子を見て、第三者である店長が“今話してたのは、友達?”
と尋ねているのは、最終章での“精々が情緒不安、最悪で多重人格と見られるようになるくらいだ”
(196頁)という説明で納得できないこともありませんが(*2)、頼太が“来店”した際の“車が一台駐車場に入ってきた。ドアが開いてチャイムが鳴る。”
という描写は、別の客が来店した様子だとしても、あるいは寿明(将樹)がそこまでの幻想を作り出したのだとしても、問題があるように思われます。
とはいえ、カバー袖の“四人ともモデルは俺です”
という作者の言葉が大胆な伏線となっていたところなどは見事ですし、そもそもフェア/アンフェアを問題にするような作品でないのも確かでしょう。“屍体探し”の決着を機に、四人の関係に“変化”が訪れることこそが本書の重要なテーマであり、“眠りについた”寿明が“変化”の結果を目の当たりにする結末は非常に感慨深いものといえるでしょう。
*2: もっとも、
“頼太がバイト先に現れるなんて珍しいのだ”(42頁)とすれば、慣れていないはずの店長の反応がもう少し違ったものになるようにも思われますが……。
2010.12.26読了