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ふしぎの国の犯罪者たち/山田正紀

1980年発表 文春文庫284-4(文芸春秋)/扶桑社文庫 S18-2(扶桑社)

 引用箇所は扶桑社文庫版を示しています。


「襲撃」

 “困難は分割せよ”という奇術の格言そのままに、現金輸送車の襲撃と現金の回収とを完全に分けてしまうところもよくできていますが、同時に、“あると思ったところにはなく、ないと思ったところにある”という典型的な奇術のミスディレクションによって、警官たちが現金の存在に気づかないことに説得力が生じているのが秀逸です*1

 “兎さん”が子供を巻き込んでしまったことは心情的にやや納得しがたいものがありますし、真相が露見するリスクも高いのではないか……とも思いましたが、一篇目から成功の陰にあるゲームの危うさを描いておくことで、連作の幕切れへの伏線としてあるようにも思われます。

「誘拐」

 “凶悪ファミリー”に身代金受け取りを強要されたことで、本来であれば“凶悪ファミリー”と警察という二組の敵を相手にする羽目になるところ、警察を相手にすることなく“凶悪ファミリー”との対決のみに的を絞る作戦がお見事。結果として、身代金の奪取から“凶悪ファミリー”に対する逆襲へと攻略すべき“標的”のすり替えが行われているにもかかわらず、それを気づかせないトリックが巧妙です。

 すなわち、身代金受け渡しの最初から最後までフェイクだったというのが大胆ですが、“優男”という“観客”の存在を介して読者に対しても身代金奪取を演じる必要を生じさせてあるのがうまいところで、電話のトリック、“兎さん”の変装、そして“西条唯史の顔に似ている”(125頁)から始まる一人称の地の文での叙述トリック*2が非常に効果的です。

「博打」

 コンピュータを利用した“ブラックジャック必勝法”も面白いところです*3が、メインはやはり前作「誘拐」と同様に、カジノから金をせしめることが目的だと思わせてイカサマの暴露に転じる“標的”のすり替えで、危機だと思われたものが計画の一部だったところがよくできていますし、“帽子屋さん”が唐突に水野と握手をする奇妙な場面が、結末に至って思わぬ形で利用されるのが痛快です。

「逆転」

 侵入不可能な博物館に対して、まさしく“逆転”の発想によって生み出された*4、“実際には内部に入らなかったにもかかわらず、入ったように見せかける”という、ある種の密室トリックに通じる計画が鮮やか。とはいえ、“ライフルマン”という“異物”――職業犯罪者を必要とする計画には危ういものがありますし、その“ライフルマン”や高所作業車をたやすく用意するママの得体の知れなさが、前半ですでに露わになっているのも印象的。

 はたして、成功したかにみえた“ダイヤ返還計画”が、(ダイヤ一個どころか)“マリアの宝飾”丸ごとの“盗難事件”にすり替わってしまう――「誘拐」「博打」で“標的”のすり替えを計画の根幹として利用してきた常連客たちが、知らぬ間に逆に“標的”のすり替えを食らってしまう展開は、何とも凄まじいものがあります。

 ママとの命がけの“とちの実落とし”を制して*5、最後に一人生き残った“兎さん”にも、もはや“帰るべき場所などない”(292頁)わけで、非日常のゲームを続けてきた“ふしぎの国の犯罪者たち”が、誰一人そこから日常に戻ってくることができなかったという結末の、苦すぎる余韻が何ともいえません。

*1: 装甲車の二重底について、“扉と床とのあいだにかなりの落差がある”(69頁)ことは、読者には示されていませんが、これはまあやむを得ないところでしょうか。
*2: “優男”に対する台詞では明言されていますが、“サングラスの老人が西条唯史だと、あなたにいったことは、一度としてなかったはずなのだ……”(151頁)というのは確かにそのとおり。
*3: “帽子屋さん”の足の指を使った操作が巧妙です(練習は大変だったでしょうが……)。
*4: ダイヤの返還と狙撃を分けてあるという点で、「襲撃」と同じく“困難は分割せよ”も使われていますが。
*5: いつもは負けてばかりだった(18頁)こともまた皮肉です。

2000.09.28再読了
2025.03.16再読了 (2025.03.20改稿)