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アラビアンナイトの殺人/J.D.カー

The Arabian Nights Murder/J.D.Carr

1936年発表 宇野利泰訳 創元推理文庫118-06(東京創元社)/(森 郁夫訳『アラビアン・ナイト殺人事件』ハヤカワ・ミステリ367(早川書房))

 「第三部」でグレゴリー・マナリングを有力な容疑者として追い詰めたハドリー警視に対して、ジェフリー・ウェイドがとった本格ミステリにあるまじき大胆な手段には苦笑を禁じ得ませんが、その中に紛れ込まされた《不必要なアリバイの謎》はなかなか秀逸で、“木の葉は森に隠せ”の巧みな応用といえるでしょう。

 ただし、物語がやたらにごちゃごちゃしているせいもあって、その意味するところが今ひとつわかりにくいのが難点。加えて、それを補完すべき手紙に付いた石炭の粉*1の謎についても、フェル博士が“カラザーズが(中略)見ているのだが、どちらの暖炉にも、火は燃えていなかった。石炭はもちろん、薪木の燃えた形跡もなかったのさ。きみたちもそれは、知っておるはずだぞ。”(創元推理文庫版503頁)*2と明言しているにもかかわらず、それがはっきり語られていないためにいささかアンフェア気味なのが残念なところです。

 また、エレベーターに《故障中》の札がかけてあったことで、犯人が現場である地下室へ行くことができなかったと偽装した、あまりにもぬけぬけとしたトリックには開いた口がふさがりませんが、ある意味でカーらしいトリックともいえます。ただこれについても、フェル博士がプルーンの証言を“だれかが、故意にエレベーターを故障させたらしいというので、ジェフがまた、ひどく文句をいっておった”(創元推理文庫版505頁)と紹介しているものの、プルーンは実際には“だれもわざとなどはしませんし”(創元推理文庫版63頁)*3と付け加えているわけで、証言の都合のいい部分だけが使われているともいえます。

 最後には犯人が見逃されるという、カー作品ではしばしばみられる結末となっていますが、犯人への同情により積極的に見逃すというよりも、主に決定的な証拠の不足によって見逃さざるを得ないという状況になっているのが、今ひとつすっきりしないところ。また、あまり良識(良心)に訴えるような犯罪とも思えないので、犯人を見逃すことを促すフェル博士の最後の台詞(以下に引用)も、(表現の問題もあって)少々わかりにくいものになっている感があります。

(前略)わしという奇術師が、いちばん奥の箱にピストルを撃つ。すると小鳩が一羽、舞い立って、くわえていたオリーブの枝を、きみたちの良識の上へ落とす――という寸法はどうだろう?
  (創元推理文庫版514頁~515頁)
(前略)奇術師のピストルの音とともに最後の箱から飛び出した鳩に橄欖{オリーヴ}の枝を銜えさせて、それを諸君の良心の上に落させよ、と言いたいところじやよ
  (ハヤカワ・ミステリ版370頁)
*1: そもそも、最初は“半面は手あかで、ひどくよごれています。”(創元推理文庫版79頁)“半面が手垢でひどく汚れていました。”(ハヤカワ・ミステリ版66頁)と、石炭の粉による汚れであることを隠してあるところも、少々あざとく感じられます。
*2: ただしハヤカワ・ミステリ版では、“君たちもそれは、知っておるはずだぞ”に対応する語句は、諸君も御存知だろうが、ああいう賄附きアパートには(中略)電気暖房だけしかないのじや。”(ハヤカワ・ミステリ版362頁)と次の文章に含まれており、電気暖房が常識であることを強調するニュアンスになっています。
*3: この部分、ハヤカワ・ミステリ版では“そりや、ほんとじやなかつたんですが。”(ハヤカワ・ミステリ版54頁)とプルーンが断言した形になっており、よりアンフェア感が強まっています。

 なお、本書を再読して感想を改稿するに当たっては、a_Yさんよりいただいたメールを参考にさせていただきました。あらためて感謝いたします。

1999.11.13読了
2010.04.05再読了 (2010.05.09改稿)