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三つの棺/J.D.カー

The Three Coffins/J.D.Carr

1935年発表 加賀山卓朗訳 ハヤカワ文庫HM5-21(早川書房)/(三田村 裕訳 ハヤカワ文庫HM5-3(早川書房))

 本書では密室殺人が前面に押し出されていますが、最大のポイントはもちろん事件の順序の錯誤にあります。このたった一つの錯誤によって、本書で描かれた不可能状況のほぼすべてが演出されているといっても過言ではないでしょう。しかし、この錯誤を生み出すために、かなりの無理が生じているのは否めません。

 事件の順序の錯誤を決定的なものとしているのは、カリオストロ通りの事件の発生時刻に関する誤認なのですが、現場近くの宝石商の店にあった時計がたまたま(しかもちょうどいい程度に)狂っていたというのは、やはりご都合主義が過ぎるといわざるを得ないでしょう。また、“どうしてこれほど驚くべき正確さで三人の見解が一致しているのだろう”(353頁/旧訳版332頁)というフェル博士の疑問は確かにもっともなものだと思いますが、仮に宝石商の店の時計の時刻に疑いを持ったとしても、真相につながる手がかりがかなりあいまいなもので*1、少々アンフェア気味な印象が拭えません。

 しかし、事件の順序の錯誤を生じさせるための仕掛けは、他にもいくつか見受けられます。まず、事件が語られる(読者及び捜査陣に情報がもたらされる)順序、すなわち物語構成そのものが錯誤を誘発するものになっていると思いますし、読者にとっては第一の棺」第二の棺」というタイトルも効果的でしょう。さらに、凶器の拳銃がカリオストロ通りで発見された上にそれがフレイの死後には使われなかったこと、そしてもちろんフレイが死んだ際の二発目はおまえに”(181頁/旧訳版168頁)という言葉も、フレイの方が後に死んだという思い込みを補強する力を持っています。

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 “学者の書斎”と“カリオストロ通り”の二つの密室はいずれも、犯人が密室の中に入ることなく、瀕死の被害者が(結果的に)密室を構成した*2という、いわゆる“内出血密室”*3に類するものになっています。兄弟そろって頑強すぎるような気もしますが、作中でフェル博士が“大昔の三つの棺の逸話からわかるとおり、彼は雄牛の体格と地獄の神経の持ち主だった。”(366頁/旧訳版344頁~345頁)と指摘しているところを考えると、多少の説得力はあるといえるかもしれません。

 まず“カリオストロ通り”の方は、銃弾を受けたフレイが移動中に死んだことで“雪密室”が構成されています。そして一発の銃声によって、犯行現場がこの“雪密室”であるという錯誤が生じているのが重要なところで、銃を撃った当人であるフレイが直後に死亡した(しかも至近距離で撃たれた焦げ跡つき)ために、“犯人”から“被害者”へと立場がすり替わっているのが非常に巧妙です。しかも、前述のようにフレイを第二の被害者だとするミスリードが仕掛けられていることで、“雪密室”で発射された“二発目”の銃弾がフレイの命を奪ったという錯誤が補強されているのです。

 一方、“学者の書斎”の事件はグリモー教授の計画がベースとなっていますが、本来は“犯人”の来訪・銃撃・逃亡だけにとどまっていたはずが、“犯人”の逃げ道と予定されていた窓が雪のために“閉鎖”されて〈密室〉となり、さらにグリモー教授が本当にフレイに撃たれて致命傷を負ったために〈殺人〉となり、結果として“内出血密室”による〈密室殺人〉に変貌してしまったところが面白いと思います。とはいえ、密室トリックの根幹となる“犯人”の来訪と銃撃は当初の計画そのままで、グリモー教授の自作自演によるものになっています。

 “犯人”の来訪にはを利用したトリックが使われていますが、まずは書斎へ秘密裏に鏡を持ち込む手段が非常に秀逸です。実行時には鏡の位置や角度の設定が少々難しそうではありますし、使い終わった鏡の処分も難点ではありますが、なかなか面白いトリックではあると思います。

 この書斎の密室に関して、「密室講義」の途中で“ですが、第五項は示唆に富んでいると思いますよ。錯覚です! ミルズとミセス・デュモンが、実際にはあのドアから人が入るのを見ていなかったとしたら、どうです? なんらかの方法でだまされたとか、あれ全体が幻灯機のような錯覚だったとしたら?”(302頁/旧訳版284頁)と指摘されています*4が、グリモー教授が使ったトリックはこの“五番目の項目”(被害者を装った犯人が部屋に入った直後に扮装を取る)の、“被害者”と“犯人”を入れ替えたもの(犯人を装った被害者が部屋に入った直後に扮装を取る)であるわけで、“密室講義”が(伏線とはいいきれないまでも)一種のヒントになっているといえるのではないでしょうか。また同時に、あくまでも部屋の中に入っていく人物の方に焦点を当てる台詞は、効果的なミスディレクションになっているといえるでしょう。

 グリモー教授の使用した扮装が紙製だったというのもなるほどと思わされますが、焼き捨てた痕跡をごまかすために、真っ白な便箋を手紙に見せかけて燃やすというアイデアが見事です。

 そして密室トリックの仕上げとなるのが、“犯人”の銃撃を装う爆竹です。さすがにこのトリック自体はさほど面白いものではないのですが、ドレイマンの所持品が流用されているところはよくできていますし、フェル博士が“昨今の弾薬には(中略)無煙火薬が入っている。においはするが、煙は見えない。なのにこの部屋は(中略)煙で霞んでいた。”(389頁/旧訳版366頁)と指摘している*5ように、真相につながる手がかりとなるところは重要でしょう。

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 フーダニットとしては、ホルヴァート兄弟の三番目の弟、フェル博士いうところの“弟のアンリ”の存在(?)が非常にうまく使われています。もちろん、“第一の被害者”と目されているグリモー教授を犯人とは考えにくいのですが、“弟のアンリ”というレッドへリングが存在しなければ、少なくともグリモー教授とフレイの“相討ち”という可能性は頭に浮かびやすくなるかもしれません。

 そう考えると、三人の兄弟に対応する三つの棺』という本書の題名、そしてグリモー教授の死を描いた「第一の棺」・フレイの死を描いた「第二の棺」第三の棺」が続くという構成は、実に見事なものだと思います。

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 なお、本書の旧訳版では、「第1章」の最後でフレイがグリモーを脅迫する台詞が“わたしとてと連絡するときは危険ですが、その危険をおかす覚悟はできていますよ”(旧訳版18頁)と訳され、フェル博士による解決の中の“フレイは厳正な事実としてである)グリモーのことを指していたのだ。”(旧訳版337頁)と整合しなくなるという、その筋では有名な誤訳がありました*6が、〔新訳版〕では――「訳者あとがき」でも言及されているように悩ましいところだったようですが――兄弟とかかわるとおれも危険にさらされるが、覚悟はできている。”(18頁)と訳されています。

*1: フェル博士が指摘するように、“ドイツ時計が飾られていた(中略)ちょうど十一時の鈴の音が鳴るところだった。”(219頁/旧訳版204頁)“遠くで教会の鐘が鳴り”(241頁/旧訳版226頁)との間には確かにそれなりの時間が流れているようではありますが、“教会の鐘”が十一時を意味しているかどうかは、今ひとつ定かではありません。
*2: 当然といえば当然かもしれませんが、このパターンは第17章の“密室講義”では挙げられていません。
*3: 天城一氏による分類(「密室トリックの館」内の「主要密室分類比較表」を参照→残念ながらリンク切れです)。
*4: 〔新訳版〕ではペティスの台詞とされていますが、旧訳版では“博士は、短い咳をして言った。”(旧訳版284)と、フェル博士の発言であるかのように訳されています。前後の文脈をよく考えてみると、これも旧訳版の誤訳ではないかと思われます。
*5: これに関連して、旧訳版では直前に“われわれは、弾丸が実際に発射されたことに気づくべきだった。”(旧訳版366頁)とありますが、これは“われわれは、弾丸が実際に発射されていないことに気づくべきだった。”の誤り。〔新訳版〕では正しく、“われわれは本物の銃弾が発射されていないことを察知すべきだった。”(389頁)とされています。
*6: ただし第17刷(2005年9月15日)では、該当箇所が“わたしとて兄弟と連絡するときは危険ですが、その危険をおかす覚悟はできていますよ”と改訂されています。

2000.02.19再読了
2008.01.15再読了 (2008.01.24改稿)
2014.07.22〔新訳版〕読了 (2014.07.24一部改稿)