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震えない男/J.D.カー

The Man Who Could Not Shudder/J.D.Carr

1940年発表 村崎敏郎訳 ハヤカワ・ミステリ525(早川書房)

 〈ロングウッド荘〉で起きたとされる怪現象のうち、“くるぶしをつかむ手”はテスによる意図的な嘘だったわけですが、これは少々いただけないところです。それをもとにクラークがでっち上げた怪談が事件に対する“迷彩”となっているだけでなく、(後述のように)その嘘そのものがトリックを隠蔽するために効果的に使われているのですが、その一方でクラークを“テスト”するというテスの動機はやや弱い上に、その結果をボブにすら告げないというのは不自然で、アンフェア気味といわざるを得ないでしょう。

 その“くるぶしをつかむ手”(及びそれをもとにした怪談)を怪現象から除外してみると、後に残るのはフェル博士が指摘している(210頁)ように“いくつかの品物が動いた。それだけだぞ。”ということになります。そして、特に銃が“空中に浮き上がる”という動きに着目すれば、磁力――オン/オフを考えればもちろん電磁石――によるトリックを想定するのはさほど難しいことではないでしょう。

 ネタバレなしの感想で言及した曖昧な状況設定も、“空中に浮き上がる”という動きに疑念を差し挟む余地を与え、見え見えになりがちなこのトリックを少しでも隠そうとする狙いがあるように思われます。

 しかしながら、作中にも“わし自身が、子供のころ、一度電磁石をこしらえて……”というフェル博士の言葉にテスが“その時もう発明されていたのですか?”と驚くやり取りがある(212頁)ように、電磁石がいつごろ発明されたのかが定かでないことが、真相を見抜く上で微妙に障害となっている*1のが見逃せないところです。実際には思いのほか古い時代に発明されていた*2わけですが、“アラゴー、ボアジロー、サー・ハンフリ・デイビイ”(50頁)という実在の科学者を当時の屋敷の主であるノーバート・ロングウッドの友人として持ち出してくるあたりもなかなか面白いと思います。

 いずれにしても、屋敷に仕掛けられた電磁石が怪現象の中心にあることが見えた時点で、必然的に屋敷の持ち主であるクラークが一番怪しいことになってしまいますが、本書ではそこから先に強力なひねりが加えてあるのが秀逸です。まず、土壇場になってクラークが絶対的なアリバイを持ち出す“しっぺ返し”もなかなか強烈ですが、それに続くべき真犯人の指摘をフェル博士が“豪快な一手”でふっ飛ばしてしまう展開には唖然とさせられます。

 クラークのアリバイが成立した結果、次に疑惑が向かうのは屋敷に手を入れる作業に当たったアンディとなるはずですが、さらにその先に“記述者=自覚のない犯人”という人を食ったネタが用意されているところに脱帽。そうなると、フェル博士が“真犯人”をかばわざるを得ないのも十分に理解できるところで、実に面白い結末だと思います。

*1: (作中での)現在の事件だけでなく、召使頭がシャンデリアの下敷きになった1920年までさかのぼって考える必要があるというのも重要でしょう。
 ちなみに、このようなトリックの隠し方は、カー自身の歴史ミステリ((以下伏せ字)『火よ燃えろ!』(ここまで))に通じるところがあります。
*2: 「電磁気学の年表 - Wikipedia」では“1820年 - フランソワ・アラゴが、鉄心に巻きつけた導線に電流を流すと磁石になる電磁石の原理を発見。”とされています。「電磁石 - Wikipedia」“1825年にイギリス人の電気技術者であるウィリアム・スタージャンによって発明された。”とあるように、実際に電磁石が完成したのはもう少し後になるようですが。

1999.10.20読了
2008.08.17再読了 (2008.09.06改稿)