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蝋人形館の殺人/J.D.カー

The Corpse in the Waxworks/J.D.Carr

1932年発表 和爾桃子訳 創元推理文庫118-31(東京創元社)/(妹尾アキ夫訳 ハヤカワ・ミステリ166(早川書房))

 本書中盤でバンコランが“警察もふくめ関係者一同に、ただの窃盗ないし暴行という見方を信じ込ませておくことだ。”(創元推理文庫版194頁)と発言していますが、この台詞そのままに偽の事件の構図で読者をミスリードする、というのが本書の仕掛けの一つであることは確かでしょう。

 まず、相次いで殺害されたオデットとクローディーヌが友人同士であり、またいずれも蝋人形館に入館した後で殺されていることで、〈蝋人形館絡みの連続殺人〉という様相を呈します。やがて疑惑の向かう先が蝋人形館から“仮面クラブ”に移っても、〈連続殺人〉という様相は変わりません。そして、ジェフの潜入捜査でオデットの死の真相が明らかになり、さらにギャランまでが殺害されるに至って、今度は〈オデットの復讐〉という構図が浮かび上がってきます。

 また、犯人がクローディーヌの“銀の鍵”を持ち去ったことをもとにした、マリー・オーギュスタンの推理――犯人は“銀の鍵”を自分で使うために奪った、すなわち犯人は女性――も、真相から読者の目をそらすのに貢献しています。実際には、マリー自身はもちろん、ジーナも自分の鍵を持っているはずなので、鍵を奪う必要のある女性はオデットの母ベアトリスくらいしかいない*1のですが、〈オデットの復讐〉という構図を踏まえれば、これも一応は成立しないこともないように思います。

 これら“偽の構図”が前面に出されることによって、“真の構図”がしっかりと隠蔽されています。が、そもそも登場人物の誰一人として、真犯人であるマルテル大佐をまったく疑っていないのもすごいところ。バンコランが解決の場面で述べている(創元推理文庫版290頁~291頁)ように、家名を守るためにわが子を手にかけるという真相が(少なくとも登場人物にとって*2想定外だということもあって、マルテル大佐の作中での――語り手のジェフを含めた捜査陣からの扱いは、あくまでも被害者遺族という立場のそれでしかなく、物語に直接登場するのも「9章」のみ。すなわち、ジェフ視点での叙述の中でほとんど“端役”となっているがゆえに、読者までもがマルテル大佐に疑いを向けにくくなっている――という形で、真犯人が周到に隠されているのが秀逸です。

 ちなみに、バンコランは真犯人を明らかにした後、“オーギュスタンさんなら、その気になればゆうべのうちに犯人を名指しで教えてくれることもできた”(創元推理文庫版289頁)と述懐していますが、“仮面クラブ”の共同経営者という立場のマリーとしては当然、(“仮面クラブ”の会員を含む)蝋人形館への入館者は伏せておきたいところでしょう。また、予めマルテル大佐を疑っていない限りは、述懐の後にバンコランがしているような質問(創元推理文庫版289頁~290頁)は不可能ですから、マリーも答えようがなかったと思われます。

 このような、いささかあざといともいえる仕掛けで犯人が強固に隠匿される一方で、バンコランの目の前に蝋人形館の入場券をちらつかせ*3、さらにいつもは腕時計をしていたことをアピールする“小芝居”を打つ*4といった具合に、犯人が自ら手がかりを与えるという趣向には、恐れ入るよりほかありません(苦笑)。しかも、それによってマルテル大佐のフェアプレイ精神が強く印象づけられ、ミステリとしては型破りな結末へとスムーズにつながっていくところに脱帽です。

 その結末、バンコランとマルテル大佐の電話越しの“勝負”は緊迫感に満ちた、そして非常に興味深いものになっています。潔く自らの罪を認めたマルテル大佐に対して、バンコランの物言いは一見すると獲物をいたぶるかのような容赦ないもので、ショーモンやマリーが呆れて止めにかかっているほどです。が、バンコランらは実際にカードを目にすることができず、“五分五分のチャンス”(308頁)どころか実質的には好きな方を選ぶ権利が与えられていることを考えれば、バンコランは逮捕された場合の悲惨さを強調することにより、マルテル大佐に自殺を促しているようにも思えます*5

 そして最後の一行で明かされるマルテル大佐のカードは……家名を守るためにわが子を殺したにもかかわらず、カーはあまりにも皮肉な結末を用意し、マルテル大佐はフェアプレイ精神にのっとってそれを受け入れた――と受け取ることもできるでしょうが、個人的には、はたして本当にスペードの3だったのか、という疑問を捨てきれません。バンコランが用意したマルテル大佐にとって有利な状況が逆に作用し、“イカサマで勝ったのではないか”と疑われる余地が残るのを嫌って、あえて“負け”を選んだのではないかと……。

 いずれにしても、真実は完全に“藪の中”。鳥飼否宇氏の解説で評されているように“ある意味強烈なサプライズド・エンディング”(319頁)なのは確かですが、同時に秀逸なリドルストーリーになっているともいえるのではないでしょうか。

*1: 女性の登場人物としては他にマルテル夫人もいますが、作中の描写をみる限りはさすがに犯行は無理かと思います。
*2: 日本人にとっては、既視感のある構図ともいえるように思いますが……。
*3: “目の前の大佐は電報の一部のような青い紙切れをもてあそんで”(創元推理文庫版151頁)
*4: “マルテル大佐は手首を見て眉をひそめ、ついで大時計に視線を投げて”(創元推理文庫版158頁)
*5: 『絞首台の謎』での本当に容赦のないバンコランの姿と比べると、だいぶ趣が違うように思われます。

1999.10.21 ハヤカワ・ミステリ版読了
2012.03.22 創元推理文庫版読了 (2012.03.27改稿)