夜歩く It Walks by Night
[紹介]
結婚したばかりのサリニー公爵の身辺は、厳重に警備されていた。新妻となったルイーズ夫人の前夫にして、殺人未遂事件を起こして精神病院に収容されていたアレクサンドル・ローランが、逃亡して整形手術を受けた後にこのパリに潜伏し、公爵夫妻の命を狙っているというのだ。はたしてその夜、とあるクラブの一室、刑事たちが人の出入りを見張っていたその中で、サリニー公爵は首を切断された無残な死体となって発見され、犯人は脱出不可能なはずの現場から忽然と消失していた。パリ警視庁を一手に握る予審判事アンリ・バンコランは、アメリカ人青年ジェフ・マールとともにこの怪事件に挑むが……。
[感想]
中編「グラン・ギニョール」(『グラン・ギニョール』収録)をもとにした、カーの記念すべき長編第一作です。創元推理文庫旧訳版の戸川安宣氏による解説でも指摘されている(*1)ように、後の作品にも通じるカーの特徴がすでに色濃く表れている一方で、後の作品とは毛色の違った特異性のようなものが見受けられるのもまた、第一作ゆえのことでしょうか。
純粋な謎解きのみならず怪奇趣味や冒険ロマンにも重点を置いたカーの作風は、ほぼ同時代の作家であるS.S.ヴァン・ダインやエラリイ・クイーンなどと比べると古典的なものですが、本書ではそれが特に顕著なものになっています。例えば、やたらにおどろおどろしく退廃的に描かれたパリを舞台に、狂気の犯罪者による首切り殺人という事件の猟奇性がクローズアップされるあたりなど、探偵小説よりも怪奇/伝奇小説に軸足を置いているかのような味わいは、カー作品の中でもやや異色といえます(*2)。
卓越した推理の才と極度に冷徹で非情な態度(*3)を兼ね備え、悪魔のような雰囲気さえ漂う探偵役バンコランの造形も、見方によっては古典的な“超人探偵”に通じるところがありますし、整形手術を受けてその容貌すらも定かでない“神出鬼没の殺人狂”ローランが敵役に据えられ、半ば冒険小説と入り交じったような“怪人対名探偵”の構図が示されているのも古風で、好みの分かれるところといえるかもしれません。
また、カーがしばしば物語に取り入れるロマンスについても本書は異色で、登場する二人の“ヒロイン”――ルイーズ夫人とシャロン・グレイ――をめぐる愛憎は例を見ないほどに扇情的な扱いとなっており、“ロマンス”と表現するのもはばかられる生々しさが感じられるところが、後の作品とは一線を画しています。このあたりも含めて、全体的に謎解き以外の部分にまで過剰に力が入っている感があり、良くも悪くも“濃い”作品という印象を受けます。
一方、肝心のミステリ部分については、犯人の密室からの消失がメインとなっているあたりはさすがに“密室(不可能犯罪)の巨匠”らしいと思えるのですが、ミスディレクションが不足気味のせいもあってか、その密室トリックも含めて真相がやや見えやすくなっているのが残念なところではあります。が、創元推理文庫旧訳版の解説でも言及されている(*4)ように、後の作品にも登場するトリックの原型が使われているところは、なかなか興味深いものがあります。
そして、本書のサイコキラーものとしての側面を強く意識させる、狂気がじわじわとにじみ出てくるような告白が中心となった最終章が印象的。とりわけ最後の一文は、“最後の一撃”といえるほど衝撃をもたらすものではないとしても、実に見事な形で物語を締めるものになっています。
傑作とまではいえないと思いますし、読者を選びそうなくせの強い作品ではあるのですが、カーの“原点”として一読の価値はあるのではないでしょうか。特に創元推理文庫【新訳版】(和爾桃子訳)では、雰囲気が保たれながらもより読みやすい文章になっており、おすすめです。
“カーの作風を要約して、不可能犯罪と怪奇趣味、そしてユーモアと指摘したのは江戸川乱歩だが、そのすべてがこの第一作の中に濃厚に表れている”(創元推理文庫旧訳版292頁)。
*2: 創元推理文庫【新訳版】の巽昌章氏による解説では、
“ディクスン・カーの小説は最良のお化け屋敷”(同書293頁)であり、その中で本書を含む初期のバンコランものは
“どれをとっても怪奇探偵小説とでも呼びたくなる、他に類を見ない一群”(同書294頁)とされています。
*3: 友人(の息子)であるジェフに対してはやや違った姿を見せていますし、後の『四つの兇器』では(特に犯罪者に対する)ポーズにすぎなかったとされているのですが……。
*4:
“カーはこのトリックがお気に入りとみえて、何度かそのヴァリエーションを使用している。”(創元推理文庫旧訳版292頁)。
2000.01.05 創元推理文庫旧訳版再読了
2008.05.24 ハヤカワ文庫版再読了 (2008.06.19改稿)
2013.12.20 創元推理文庫【新訳版】読了 (2014.01.10一部改稿)
絞首台の謎 The Lost Gallows
[紹介]
怪しげな人々が集うロンドンの会員制クラブを訪れた、パリの予審判事アンリ・バンコラン。そこに暮らすエジプト人エル・ムルクのもとに、不気味なほどに精緻な絞首台の模型が送りつけられてきたことから、奇怪な事件が幕を開ける。喉を切り裂かれた死者を運転席に乗せて、夜霧のロンドンを疾駆するリムジン。伝説の絞首刑吏〈ジャック・ケッチ〉を名乗る人物からの殺人予告。そして地図にない幻の〈破滅{ルイネーション}街〉の謎。悪夢のような事件の真相は……?
[感想]
『夜歩く』に続いて発表されたカーの第二長編で、引き続きバンコランを探偵役としながらも、パリからロンドンへと舞台を移し、当地でも名高いバンコランが事件の捜査に協力する形となっています。不可能犯罪こそないものの、怪奇と幻想が前面に出された物語が印象深い、個人的にはバンコランもので随一と考えている作品で、【新訳版】では和爾桃子氏の趣のある訳文により一層魅力が増している感があります。
何者かが送りつけてきた絞首台の模型をめぐる冒頭の一幕から、“死者が運転する”リムジンとの追いかけっこ、さらには地図に存在しない幻の街での“犯行声明”……といった具合に、怪事が立て続けに勃発する序盤が本書の見どころ。読者を一気に引き込む派手でスピーディな展開もさることながら、(“こけおどし”といえばそれまでかもしれませんが)次々と繰り出される奇怪なイメージが積み重なり、脳裏に超現実的な光景が鮮やかに浮かび上がってくるのが大きな魅力です。
その反面、純粋にミステリとしては評価の難しいところがあるというか……例えば“死者の運転”などは、一見すると不可能状況のようでありながら、ハウダニットを期待してしまうと大いに肩透かしを食らうことになるのですが、そもそもカーがそこで勝負していないのは明らか(*1)。本書で重きが置かれているのはそれよりも、ハウダニットが明かされた後に残る謎の不条理さと不可解さで、現象そのものの不気味さと相まって、怪奇小説寄りの味わいが強くなっています。
その他の謎についても同様で、物語の随所で示されるバンコランの親切なヒントによって、真相がある程度までわかりやすくなっているきらいがあるものの、【新訳版】の若林踏氏による解説でも指摘されているように、謎が解体されてもなお異様な雰囲気が持続するのが本書の特徴で、ダグラス・G・グリーンが“怪奇的な探偵小説あるいは探偵の出てくる怪奇小説”
と評した(*2)バンコランものの味わいが、最も色濃く表れている作品といえるでしょう。
バンコランの相棒ジェフ・マールが暗い闇の中で犯人を待ち受けるホラーじみたクライマックスを経て、ついにすべての真相が解き明かされますが、特筆すべきは最後に待ち受けている恐るべき幕切れ。後の探偵役であるギデオン・フェル博士やH.M卿とは一線を画した、バンコランの“悪魔的な探偵”像(*3)がいつまでも印象に残ります。
1999.11.07 創元推理文庫旧訳版読了
2017.11.07 創元推理文庫【新訳版】読了 (2021.01.03改稿)
髑髏城 Castle Skull
[紹介]
ドイツのライン河畔にそびえる奇怪な城、髑髏城の城主であった魔術師マリーガーが、走行中の列車から身を投げる謎の死を遂げてから十七年。普段は城の対岸に構えた別荘で暮らす、新たな城主で高名な俳優のマイロン・アリソンが、ある夜密かに髑髏城へと渡り、何者かに銃弾を撃ち込まれた末に火だるまになって城壁から墜落死する事件が起きた。関係者の依頼を受けて捜査に赴いた予審判事アンリ・バンコランの前に、好敵手であるベルリン警察のフォン・アルンハイム男爵が現れる。かくして、仏独の名探偵が事件の謎をめぐり推理の火花を散らすことに……。
[感想]
本書はバンコランものの第三長編で、カーが直前に旅行したドイツのライン地方(*1)の古城が舞台とされており、【新訳版】の青崎有吾氏の解説でも言及されているように、二階堂黎人『人狼城の恐怖』や加賀美雅之『双月城の惨劇』に影響を与えたと思われますが、“髑髏城”の名称そのままに髑髏の形をした城という、“やりすぎ感”のある奇天烈な道具立てはカーならではというべきかもしれません。また、バンコランと因縁のある好敵手フォン・アルンハイム男爵が登場し、当時の世界情勢を反映するかのようなフランスvsドイツの推理対決が展開されていく(*2)のも、本書の大きな見どころとなっています。
さて、実のところ本書は、例えば現在の事件の“不可能状況”が少々曖昧だったり、派手な(密室)トリックがあるわけでもなかったりするところなど、一般的なカーのイメージからするとやや違和感を抱かれそうな作品でもあります。また、舞台となる髑髏城の姿や、新旧二人の城主の奇怪な死、さらには作中でたびたび語られる前城主・魔術師マリーガー(*3)の怪人ぶりなどが物語に怪奇色をもたらしてはいるものの、事件が人間の仕業であることが最初から明らかにされているのをはじめ、道具立ての割に超自然的な装飾がほとんどない(*4)ところも意外に思われるかもしれません。
本書でカーがやろうとしたのが何かと考えてみると、奇怪な古城を舞台にしたゴシック(風)小説を骨格としつつ、不気味な雰囲気を維持しながらも超自然的な要素はあえて排除し――幽霊の代わりに得体の知れない犯人の“影”を据えて、それに対抗する武器として頭脳/推理を配したカー流のゴシック小説+ミステリ、ということではないかと思われます。髑髏城という奇抜な舞台も、決してミステリ(トリック)での必要性からではなく、あくまでもゴシック小説にふさわしい世界として用意されたものでしょう。その点、一風変わった登場人物紹介(*5)に始まり、より雰囲気のある文章で綴られている【新訳版】は、ゴシック色が強調されていて魅力的です。
少なくとも、前述の『人狼城の恐怖』や『双月城の惨劇』などとはだいぶ方向性が違っているので、それらのような内容――とりわけトリック――を期待するのは禁物でしょう。また、バンコランとフォン・アルンハイムの推理の推理対決にしても、“フェアプレイ”を口にする割には重要な事実を相手に伏せるなど、“勝負”の方が優先されている感があるとともに、“多重解決”というよりは“どんでん返し”のような趣になっています(*6)。いずれにしても、対になった最後の二章――「フォン・アルンハイムは笑う」と「バンコランは笑う」(*7)での、二段構えの謎解きはまさに圧巻といっていいのではないでしょうか。
章の順序からしても〈バンコランの解決〉の方が正解であることは明らかですが、〈フォン・アルンハイムの解決〉の方も――その芝居がかった語り口もあって――かなり強烈な印象を与えるもので、十分に見ごたえがあります。そしてその後に控える〈バンコランの解決〉は、【新訳版】の解説で青崎有吾氏が指摘するカーの“トリック”の効果もあって実に鮮やか。と同時に、そのまま静かに味わい深い結末につながっていくところも印象的です。決して代表作とはいえないでしょうが、カーのある種の魅力が存分に詰まった作品といえるかもしれません。
*2: 加賀美雅之『双月城の惨劇』では、この推理対決の趣向も取り入れられています。
*3: 旧訳では“メイルジャア”とされていましたが、
“スペンサーの『妖精の女王』(中略)に出てくる幽霊じみた魔物の名”(【新訳版】158頁)と出典があるため、変更されたそうです。
*4: 「『狼男出現という気が――』」(旧訳版では「おおかみ憑きの恐怖」)と題された章もありますが、その辺の話はさらりと終わっています。
*5: 「訳者あとがき」によれば
“原書にあったものをそのまま掲載した”とのことで、例えば被害者のマイロン・アリソンは
“胸板に三発食らって髑髏の上で踊り、灯油にまみれて炎上”と紹介されています。
*6: このあたり、円居挽の〈ルヴォワール・シリーズ〉に通じるところがあるようにも思われます。
*7: ちなみに、後の『死時計』でも似たような趣向が採用されています。
1999.11.21 創元推理文庫旧訳版読了
2015.12.05 創元推理文庫【新訳版】読了 (2015.12.19改稿)
蝋人形館の殺人 The Corpse in the Waxworks
[紹介]
行方不明となった元閣僚令嬢オデットが、その翌日、死体となってセーヌ河に浮かんでいるのが発見された。予審判事アンリ・バンコランは、彼女が最後に目撃された蝋人形館の館主オーギュスタンを尋問し、さらに蝋人形館へ赴いて展示を見て回るが、そこに待ち受けていたのは、半人半獣の怪物像に抱えられた女――オデットの友人クローディーヌの死体だった。やがて事件の陰に浮かび上がってきたのは、蝋人形館のすぐ隣にある秘密の社交場“仮面クラブ”。捜査のために、危険を顧みずそこに潜入したジェフ・マールは……。
[感想]
バンコランものの第四長編であるとともに、デビュー作『夜歩く』以来続いてきた語り手ジェフ・マールとのコンビとしては最後となった作品(*1)です。以前のハヤカワ・ミステリ版は翻訳が古くて少々難があった(*2)こともあり、さほど印象はよくなかったのですが、今回創元推理文庫の新訳版で読んでみるとだいぶ趣が違っており、バンコランものでは一番面白い作品といってもいいように思います。
まずはやはり、物語の雰囲気が実に魅力的です。例えば序盤、館主オーギュスタンの口から語られ、さらにジェフの視点を通して描き出される蝋人形館の光景などは、“蝋人形は想像力に魔法をかける”
という作中の表現そのままに、現実離れしたことが起きてもおかしくないと思わされそうな、何とも妖しく幻想的なもの。そして、不吉な想像が具現化されたかのような形で死体が出現する場面は、圧巻というよりほかありません。
一方、物語が進むにつれてクローズアップされていく“仮面クラブ”は、パリの退廃と爛熟を象徴するような華やかさといかがわしさを併せ持つ、平穏な日常から切り離された“異空間”のように描かれており、これまた魅力的。そこにジェフが単身潜入して危険な捜査に挑み、ついには派手に大暴れする羽目になる「12章」から「16章」(*3)は、ノリノリで書かれたと思しき(苦笑)カー好みの冒険譚で、本書の大きな見どころといえるでしょう。
事件の方はといえば、カーの代名詞ともいえる不可能犯罪でこそありませんが(*4)、なかなか一筋縄ではいかないものになっており、巻末の解説で鳥飼否宇氏が“犯人隠匿の卓越した職人技が光る”
と評しているように、巧みに犯人を隠し通して意外な形で取り出してみせるカーの手腕が見事。また一方では、ある意味で非常にカーらしいともいえるユニークな趣向が凝らされ、印象に残る謎解きになっています。
そして、物語の最後の一幕――最終章でのバンコランと犯人の対決が実に印象的(*5)で、これもラストがすさまじい『絞首台の謎』とは一味違った形でバンコランのキャラクターが生かされた、カー作品の中でも有数の鮮烈な結末といっていいように思います。お世辞にも傑作とまではいえませんし、代表作として挙げられることもないと思われますが、十分に楽しめる佳作というべきでしょう。
*2: ただし、改稿前の感想に
““六つかしい”という表現は日本語にはないと思います。”と書いていた点について、訳者の和爾桃子氏によれば古くはそういう表記が使われていたとのことで、“日本語にはない”というのは誤りでした。ここにお詫びいたします。
*3: 当然ながらこの間――創元推理文庫版で80頁弱にわたって――バンコランは一切登場してきません。このあたりをみると、少なくとも本書のジェフは単なる語り手(観察者/記録者)にとどまらず、(ちょうど『疑惑の影』のギデオン・フェル博士とパトリック・バトラーのように)“静”のバンコランに対して“動”を担当する“もう一人の探偵役”となっている、といえるかもしれません。
*4: とはいえ、現場付近の状況に少々わかりにくいところがあるので、創元推理文庫版200頁にある見取図を早めにご覧になることをおすすめします。
*5: そのおかげで、十年以上間をおいた再読にもかかわらず、犯人をはじめかなりの部分をしっかり覚えていました(苦笑)。
1999.10.21 ハヤカワ・ミステリ版読了
2012.03.22 創元推理文庫版読了 (2012.03.27改稿)
毒のたわむれ Poison in Jest
[紹介]
故郷のアメリカへ戻ったジェフ・マールは、久々にクエイル判事の屋敷を訪れた。だが、判事は老いてすでに引退し、次男のトムが判事と口論の末に家を出て帰ってこないなど、クエイル家の様子もジェフが親しくしていた頃とはすっかり変わっていた。しかし感慨に浸る間もなく、ジェフとブランデーを飲み始めた判事がいきなり昏倒してしまう。グラスに注がれた炭酸水に毒が入れられていたのだ。判事は命を取り留めたものの、体調を崩したクエイル夫人も毒を飲まされていたことが判明し、さらにその夜ついに犠牲者が……。
[感想]
便宜上このページに入れてありますが、前作『蝋人形館の殺人』までのアンリ・バンコランものと次作『魔女の隠れ家』以降のギデオン・フェル博士ものとの間に位置する本書は、前作までに引き続いてジェフ・マールを語り手としつつ、英国人青年パット・ロシターが探偵役をつとめる唯一の作品であり、バンコランものに不満を抱いた(*1)カーが新たな方向性を模索した実験的な作品となっています。
最も顕著なのはやはり探偵役の交代で、犯罪者に対抗すべく悪魔的な雰囲気を漂わせていたアンリ・バンコランに対して、奇矯な言動が目につくパット・ロシターはいわばフェル博士のプロトタイプ――“若く落ち着きの足りないフェル博士”という印象。そのためもあって、どことなく文字通りの“素人探偵”の域を出ていないきらいもありますが、特に解決場面の味わいがバンコランものからだいぶ変わっているのは確かでしょう。また一方のジェフ・マールも、バンコランものでの(ほぼ)探偵役に随行する“ワトスン役”から、探偵役を離れて独立した視点を持つ語り手に転じています(*2)。
そして、語り手のジェフや探偵役のロシターまでも含めて、本書の登場人物はほとんど全員がクエイル家の“身内”といってもいい状況(*3)で、ストーリーが終始陰鬱な空気に閉ざされた家の中だけで進んでいくところも合わせて、大げさにいえば『クエイル家の殺人』という題名でないのが不思議なほど(*4)のドメスティックな物語となっている点などは、一連のバンコランものと一線を画しているにとどまらず、カーの作品全体でもあまり例を見ない、本書の大きな特徴といえるように思います。
“カー=密室”というイメージにはややそぐわない(*5)かもしれませんが、カーは『緑のカプセルの謎』や『火刑法廷』など意外に多くの作品で毒殺を扱っており、その中にあって本書は(長編としては)初めての毒殺事件という点でも興味深いものがあります。そしてその内容は、複数の毒薬が登場するだけでなく、家族の幾人かがそれぞれ個別に、しかし立て続けに毒を盛られるという不可解な事件で、『毒のたわむれ』という題名にふさわしく愉快犯めいた不条理な犯行が何とも薄気味の悪いものに感じられます。
事件の状況からみてクエイル家の中に犯人がいることはほぼ確実で、家族に疑いを向けざるを得ない登場人物たちの困惑と動揺、そして苦悩もひとしお――そしてそれは、“身内”の一員といってもいい探偵役のロシターさえも同様です。そのような登場人物たちの姿が、同じくクエイル家の“身内”であり、しかもクエイル家の失われた“古きよき時代”をも知るジェフの視点を通して描かれることで、物語に奥行きが出ているように思われます。
目を引くトリックが用意されているわけでもなく、地味な作品なのは確かですが、犯人はなかなか意外だと思いますし、最後に明らかにされる皮肉に満ちた真相や印象に残る幕切れなど、見るべきところもあります。とはいえ、全体的にちぐはぐになっている感もあり、ミステリとしてさほど出来がいいとはいえないのが残念。カーの熱心なファンであれば楽しめるかと思いますが……。
“すでにバンコランの四作目『蝋人形館の殺人』で、カーはこのフランス人に付与した悪魔的な人格にうんざりしていた。”(163頁)とされています。
*2: 実際のところは、前作『蝋人形館の殺人』でもすでにその兆しが見受けられます(→ 『蝋人形館の殺人』感想の脚注*3 を参照)。
*3: 唯一の例外であるサージェント刑事を除く。探偵役のロシターさえも、(すでに家族と面識のある)クエイル判事の三女ジニイの恋人として登場します。
*4: シェイクスピア「ハムレット」からとられた『毒のたわむれ』が、内容にもぴったり合ったいい題名なのはもちろんですが。
*5: 毒殺では必ずしも犯人が現場にいなければならないわけではなく、そのために密室とは組み合わせづらいところがあります。
1999.10.26読了
2012.03.31再読了 (2012.04.22改稿)
四つの凶器 The Four False Weapons
[紹介]
弁護士リチャード・カーティスと依頼人のラルフ・ダグラスは、ブーローニュの森近くにある別荘を訪れた。良家の令嬢マグダ・トラーと婚約したばかりのダグラスは、元愛人の娼婦ローズ・クロネツが結婚の障害となることを恐れ、関係を穏便に清算しようとしたのだ。しかしそのローズは、すでにベッドの上で死んでいた。そして現場には、黒い握りのピストル、細身で長めの短剣、大型のカミソリ、そしてボール箱につまった大量の睡眠薬と、いずれも人の命を奪うに十分な凶器が四種類も散らばっていた……。
[感想]
カーのデビュー作である『夜歩く』から『蝋人形館の殺人』までの四作続けて探偵役をつとめたアンリ・バンコランの、数年ぶりにして最後の登場となった作品です。作中ではすでに退職しているとはいえ、パリ警視庁への影響力が依然として強く残っていることもあって、登場するなり現職を差し置いて捜査の主導権を握るという健在ぶり。もっとも、初期(現役時代)の悪魔的な雰囲気は薄く、かなり“枯れた”印象になっているのは好みが分かれるところかもしれません。
物語は、無味乾燥な日常にうんざりしてスリリングな冒険を夢想する主人公・弁護士がカーティス、不可解な殺人事件という冒険に出くわす、カー好みの発端(*1)で幕を開けます。もっとも、事件はスリリングというよりもどこかピントの外れた不条理さが先に立っている感があり、巻末の解説でG.K.チェスタトン「三つの凶器」(『ブラウン神父の童心』収録)が引き合いに出されている(*2)こともあって、チェスタトンへのオマージュのような印象も受けます。
邦題にもなっている“四つの凶器”の謎は、なかなかユニークだと思います。四種類もの凶器が現場に残された状況そのものも不可解な謎ですが、普通に考えれば犯行手段は四者択一になるところが、本書では(一応伏せ字)“Four False Weapons”――“四つの偽の凶器”という原題によって、“四つの凶器”のいずれも被害者の命を奪った“真の凶器”ではないということ(ここまで)が示唆されているのです。
結果として、現場に凶器が散らばっているにもかかわらずハウダニットが成立するという、およそ例を見ない奇妙な状況になっている(*3)のが見どころです。そして、思いのほか早い段階で明らかになるその殺害手段は、やや伏線が不足気味なところは気にはなるものの、ひねりが加えられた面白いものになっています(*4)。とりわけ、そこに込められた皮肉と逆説は非常に秀逸です。
表層に表れた状況とは裏腹に、事件は様々な要素が絡み合って複雑な様相となっており、殺害手段が明らかになった後もなかなか真相は見えてきません。そんな中、カードの勝負(*5)を通じて犯人を追い詰めるという手段を採用するバンコランの姿(*6)は、「グラン・ギニョール」(『グラン・ギニョール』収録)を思い起こさせる印象的なものです。
意外性はそれなりという程度ですが、前述のように複雑な事件の様相と、犯人のおぞましい悪意は見ごたえあり。偶然が多すぎるようにも思えるところが難といえば難ですが、これはおそらく確信的なもので、それほど大きな瑕疵とはいえないのではないかと思います。
*2: 『四つの兇器』の村崎敏郎氏による解説でも言及されていますが、本書巻末の真田啓介氏による解説ではさらに、G.K.チェスタトン『四人の申し分なき重罪人』との関連も示唆されており、うならされました。
*3: G.K.チェスタトン「三つの凶器」は凶器の不可解な状況が主眼で、ハウダニットではありません。
*4: 『四つの兇器』の村崎敏郎氏による解説の最後の頁(同書294頁)には、殺害手段に関する若干のヒントが示されているので、予備知識を持たずに読みたいという方はご注意下さい。
*5: この部分、やたらに気合が入った描写なのがカーらしいところで、和爾桃子氏の訳文により魅力が増している感があります。
*6: バンコラン自身が勝負をするというわけではありませんが。
2008.02.15『四つの兇器』再読了 (2008.02.23改稿)
2020.01.16『四つの凶器』読了 (2022.02.06一部改稿)