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  4. 九人と死で十人だ

九人と死で十人だ/C.ディクスン

Nine―And Death Makes Ten/C.Dickson

1940年発表 駒月雅子訳 世界探偵小説全集26(国書刊行会)

 まず指紋のトリックについては、そもそもカーのオリジナルのトリックではありませんし、“作り物”(偽造)ではなくまがい物(249頁)だという表現にはやや苦しいところもあるものの、実行が容易で現象も鮮やかという点でよくできていると思います。解明には特殊な知識が必要ではありますが、これが解明できなくとも犯人の特定には支障がないので、さほど問題とはいえないでしょう。

 その指紋のトリックが、航海中の船上というクローズドサークルに配されることで、単なる“別人の指紋”――真犯人が容疑から外れる――にとどまらず、“誰のものでもない指紋”という不可解な謎に仕立てられているのがまず見事。指紋の持ち主が存在しないという一種の不可能状況が生じ、さらにそれが裏返されて“十人目の乗客”の存在という疑惑につながっていく*1ところが、非常に面白く感じられます。

 何より秀逸なのは、それが一人二役トリックと組み合わされることで、真相を隠蔽する強力なミスディレクションとなっている点です。“殺人によって一人増えた”という不条理な状況の裏に、“最初の時点で一人多かった”という人を食った真相が隠されているとはなかなか想定しがたいところで、オリジナルでないトリック(指紋)と陳腐なトリック(一人二役)との組み合わせにより予想外の効果を生じている、非常によくできた仕掛けだと思います。そして、Nine―and Death Makes Tenと人数が強調された題名によって、人数の錯誤が補強されているところも見事です*2

 捜査陣としては、現場に残された“犯人の指紋”が誰と一致するかがまず重要であるため、乗客同士の指紋を比較することは盲点となり、一人二役がなかなか露見しないことにもそれなりの説得力があります。実際のところは、戦時下でなおかつ特殊任務に臨むという状況から、乗船時のチェックは厳重になされるはず*3で、一人二役が成立するかどうか微妙ではありますが……。

 犯人のケンワージーとしては、架空の“バンワ大尉”のアイデンティティを補強するために“まがい物”の指紋を仕掛けたはずが、指紋採取時のトラブルによって思わぬ“一人三役”を演じる羽目になったわけですが、それが怪我の功名となっている部分もあるのが何ともいえません。特に、“バンワ大尉”を自殺に見せかけるという目論見が、遺書の紛失と目撃者の証言によって完全に破綻していながら、“十人目の乗客”に疑惑が向けられることで何となく辻褄が合っているのが面白いところです。

 読み終えてみると、ケンワージーただ一人だけが作中でエステル・ジア・ベイ夫人との個人的なつながり――動機の存在を示唆されているのですが、正面から堂々と否定するケンワージーとどこかおどおどした“ヴァレリー”の態度のせいで、何となくごまかされてしまう部分があります。そしてそれ以上に、戦時下ゆえのスパイ疑惑が動機のカムフラージュとなっているのが非常に巧妙です。

*1: 当初公表された乗客が八人で、その後H.Mの存在が明かされた九人となったことも、微妙に影響しているように思われます。
*2: その意味で、『Murder in the Submarine Zone』という英題はいただけません。
*3: 逆に、降船時のチェックはややゆるくなっている可能性もあり、一人二役が成立する余地がまったくないとはいえないかもしれません。

1999.12.25読了
2009.07.06再読了 (2009.07.19改稿)