南嶼(なんしょ)に囚と為るも宸襟(しんきん)を憶ひ、
刑後 維新の指針を示す。
無血の開城は万戸を匡(すく)ひ、
両雄の対面は千金に勝る。
征韓の論は破れて建言曠(むな)しく、
激戦の兵は傷つき落日沈む。
身は関山に斃(たふ)れて朝敵と貶(へん)せらるも、
皇都に像となって丹心を奉ず。
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・南嶼=沖永良部島。南洲の詩句をそのまま借用。
・宸襟=天子の心。南洲作の「沖永良部島謫居中作」の第八句の「願留魂魄護皇城」の詩意を借用。
・刑後=赦免後。
・匡万戸=官軍と幕府軍が戦えば、江戸中が火の海になるのを救った。
・両雄=勝海舟と西郷隆盛。
・論破=ここでは「ろんぱ」ではない。
・建言=政策など意見を申し立てること。
・激戦=西南戦争、特に田原坂(たばるざか)の戦い。
・関山=故郷の山、ここでは西郷が自刃した城山を指す。
・皇都作像=上野の西郷隆盛の像。
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朝敵となった南洲が、なぜ東京上野に銅像となったか?これは南洲作の「偶成」(ここを参照 )にある。その結句「不為児孫買美田」と詠じているように、南洲の行蔵(出処進退)に私心が無かった為であろう。拙詩でも「私心」を措辞したかった。 |
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