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訪松陰先生生誕之地有感



霸城山阿出神童,
少小始知寰宇鴻。
蹈海壯圖一夜斷,
老松應記雲和風。




吉田松陰先生像 吉田松陰生誕の地
吉田松陰の墓
高杉晋作の墓 高杉晋作庵跡の碑
吉田松陰像 久坂玄瑞像


                                                                                                                  
      松陰先生の生誕の地を訪ねて 感有り

覇城(はじゃう)山阿(さん あ )に  神童 ()で,
少小(せうせう) (はじ)めて知る  寰宇(くゎんう)(おほい)なるを。
蹈海(たうかい)壯圖(さう と )  一夜(いちや) ()たる,
老松(らうしょう) (まさ)に記したるべし  雲と風とを。

   *******     
  七月二十六日、二十七日、山口県の山口市と萩市を訪れた。
  松陰の生誕の地と墓所を訪れた。その詩。

memo:
二十六日:新大阪=新山口…山口サビエル記念聖堂→瑠璃光寺→菜香亭→県政資料館→泊
二十七日:萩・明倫館→文と萩物語大河ドラマ館→松陰神社(松下村塾舎等)→
吉田松陰誕生地松陰墓所→萩博物館→萩反射炉跡→角島→新山口=新大阪
       -----------------
・生誕地: 所在地は、山口県萩市大字椿東。
・霸城: 萩のこと。久坂玄瑞詩に「男兒蓬桑志,飄然出霸城」とある。
・山阿: 山の隈。
・少小: 若い。
・寰宇: 天下。
・鴻: 大きい。
・蹈海: 〔たうかい;dao3hai3●●〕ここでは、危険を冒して海を渡るの意で使う。また、海に身を投げる。投身自殺をする。秦に帝号をたてまつろうとする者があることを聞き、魯仲連が憤慨し、秦の支配を受けるよりは東海に身を投げた方がましだといった故事。前者の意では、現代・周恩來の『大江歌罷』に「大江歌罷掉頭東,邃密羣科濟世窮。面壁十年圖破壁,難酬蹈海亦英雄。」とある。後者の意では、『史記・魯仲連鄒陽列傳第二十三』に「彼秦者,弃禮義而上首功之國也,權使其士,虜使其民。彼即肆然而爲帝,過而爲政於天下,則連有東海而死耳,吾不忍爲之民也。』(中華書局版『史記』624ページ 二四六一頁)とある。(蛇足になるが、国語(=日本語)で、「ふむ」(音読み「とう」)と読む字に「踏」「蹋」「蹈」があるが、「蹈」は〔たう;dao3●〕で、「踏」「蹋」は〔たふ;ta4●〕で、前者と後二者とは別字)。「踏海」〔たふかい;ta4hai3●●〕(時世を慨して)海に身を投げる。投身自殺をする。
・壮図: 規模が非常に大きく立派な計画。松陰は従来の我が国の学問に飽きたらず、欧米遊学を志して、長崎でプチャーチンのロシア軍艦に、翌年は下田でペリーの船に乗っての密航を企てていた。
・記: 覚えている。
・雲和風: 雲と風とで、風雲のこと。「興風」は久坂玄瑞編輯の詩集。


平成二十七年七月二十七日




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